「三和」に殉じた金玉均

金玉均

金玉均

まもなく3月27日は朝鮮独立の先覚、金玉均の命日である。金玉均は、李氏朝鮮末期に活躍した朝鮮独立開化派の指導者である。彼は朝鮮の貴族である両班に生まれ、朝鮮政局の中枢に参画したが、やがて我が国の明治維新を模範にした内政改革を志し、ついに明治17年、我が国と協力してクーデターを断行した。これが甲申事変である。しかし国王高宗の妃で当時朝鮮の最高実力者であった閔妃は、従来朝鮮の宗主国であった清国に救援を依頼し、金玉均は清軍の介入によって我が国への亡命を余儀なくされたのである。かねてより金玉均は、日本と朝鮮、中国が西欧列強の侵略に対抗するために、それぞれが独立的地位を確立して協力すべきであるとする「三和」主義を抱懐していた。これは樽井藤吉の『大東合邦論』の影響であるという意見もあるが、朝鮮初の新聞『漢城旬報』の創始者で生前の金玉均とも親交があった井上角五郎によると、金が日本滞在中に支援を受けた福沢諭吉の影響であるという。金玉均は福沢から聞いたこの「三和」の所信を「興亜策」として国王高宗に奏上し、さらには自らの号ともした。井上の回想によると、金が最後、周囲の反対をおして上海に渡ったのは、李鴻章にこの「三和」の信念を説くためであったという。

以下に該当部分を引用する。「金玉均君が上海に行きますことに付ては、今日までも書いた物が色々残っておりますが、何故金玉均が上海に行くことを決心したのか誰にも金君は話さない。私共にも極く秘密にして話しませんでした。所が或る晩おそく私の所に参りまして「今日は死別れに参りました、井上さん、死別れといふのはそういふことか、事情は福沢先生に詳しく申し上げましたが、実は三和の主義を以て李鴻章を説かうと思う、私が支那に行って李鴻章に面会が出来れば―或は面会する前に殺されるかも知れない、或は其の前に死ぬるかも知れない、或は又面会中に殺されるかも知れない、勿論面会後には生きては居ないだらうと思って居りますが、兎に角日本、支那、朝鮮の三国が共同一致して西洋の勢を防ぐのが目下の急務で、東洋平和の原因は茲にあるのだといふことを李鴻章に向かって説こうと思ふ」と」(井上氏『金玉均君に就て』中央朝鮮協会)。彼は日本亡命中に岩田周作という名を用いていたが、暗殺された上海の宿帳には岩田三和の名が記されていたという。

ちなみに小生は呉竹会が主催する墓前祭に参加してきたが、かつてそれについて書いた報告文を参考までに転載する。

金玉均先生墓前祭報告(平成24年)
さる平成24年3月31日、青山墓地において「先覚 金玉均先生墓前祭」が営まれました。本催事は、朝鮮開化派の指導者として甲申事変を起こしたことで知られる金玉均先生の命日に合わせ、先生の御霊を慰めそのご遺徳を顕彰することを目的に毎年営まれてきたものです。
金玉均先生は1851年、西欧列強、なかんずく大国ロシアによる東方侵略の脅威が忍び寄る朝鮮の忠清道で生を受けました。彼は、同国の伝統的な支配階層である両班の出身でありながら、清国への追従を続け、門閥政治に明け暮れる朝鮮の現状に危機感を抱くようになります。そこで当時、明治維新を成し遂げ、国家の近代化を推し進めていた日本を訪れ、福沢諭吉や大隈重信、渋沢栄一ら政財界の要人と交流を深めるなかで、朝鮮の近代化による自主独立を志向するようになりました。とくに元外務卿で興亜会の領袖であった副島種臣や、『大東合邦論』の著者である樽井藤吉らの興亜思想に強い影響を受けた先生は、西力東漸の勢いに対して日清韓の三国が団結することを意味する「三和主義」の思想を抱くようになりました。
そしてついに明治21年(1884年)、先生は開化派の指導者として朝鮮内政のクーデター計画を断行し実権を掌握しますが、守旧派である事大党の反動によって失脚し我が国への亡命を余儀なくされます(甲申事変)。このとき我が国政府は、事大党の後ろ盾となっていた清国の存在を恐れたために先生への支援を徹底しえなかっただけでなく、先生の亡命以降も清国の顔色を伺って北海道や小笠原などの僻地に彼を移送、軟禁するありさまでした。
これに反し、我が国の民間志士は、先生の亡命生活を献身的に援助し、なかでも玄洋社の頭山満翁を中心とする興亜陣営の一派は、先生が頭山翁の反対をおして渡航した先の上海で袁世凱が放った刺客の凶弾にたおれるまでの間、公私に渡る支援を貫き通しました。
本催事は、こうした歴史の縁に因み、頭山満翁の精神の継承者である頭山興助会長が祭主、そして大東塾の福永武氏が斎主を務めるなかでつつがなく営まれました。当日は強風が吹きすさび小雨が蕭々と降るあいにくの空模様でありましたが、50名ほどの参列者を得、閉式後近くの会議場に場所を移して催された勉強会でも、多くの参加者が多岐にわたるテーマで議論を交わしました。また先生の没後120年を迎える再来年に向けて、有志で準備を進めることなども話し合われました。
現在の我が国日本が、米国による覇権に追従し自主独立の気概を喪失している状況下にあって、朝鮮国家の独立とアジアの団結を目指した金玉均先生の事績は再評価に値します。その意味で本祭事がすこぶる有意義な催しとなりましたことを付してご報告と致します。

青山墓地にある金玉均の墓碑

青山墓地にある金玉均の墓碑

 

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