「私はなぜガンディーを殺したのか」3

ロカマニャ・ティラクが死んだ1920年以降、ガンディーの国民会議における影響力はますます高まるまり終には至高のものになった。民衆を覚醒させる彼の運動は強烈な印象を与え、正義や非暴力を掲げた誇大な行進のスローガンによって一層強められた。繊細で知識に明るい人たちは誰もこのスローガンに反対できなかった。しかしそうしたスローガンには斬新でオリジナルなものは含まれていなかった。それらはどんな社会運動でも掲げられたスローガンだったのである。だから多くの人々が日常の生活の中でそんな浮ついた原則の熱心な支持者になりえようなどと想像するのは、夢想以外のなにものでもなかった。

実際に名誉や義務、自分の家族や友人、国家に対する愛情はしばしば我々をして非暴力を無視して暴力を行使するように強いるかもしれない。私は攻撃に対する武力抵抗が不正であるなどとは決して思わない。我々は抵抗し、もし可能ならばそんな敵は力で圧倒してしまうことが宗教的ないしは道徳的な義務であるとすら思う。(ラーマーヤナの世界では)ラーマはラヴァナを目まぐるしい戦闘の中で殺害しシータを救出した。(マハーバーラタの世界では)クリシュナは邪悪なカンサを殺し、アルジュナは、敵に味方したという理由で尊敬するビッシュワナを含む多くの友人や親戚を闘争の上殺さねばならなかった。ラーマやクリシュナやアルジュナを暴力を使ったとして罪人呼ばわりすることで、ガンディーは人間の行為の源泉を全く無視したのである。

さらに最近の歴史では、チャトラパティー・シヴァジがムスリムの暴君を最初に牽制し最終的に撃破したのは英雄的な戦いであった。シヴァジが攻撃的なアフザル・ハーンを力で圧倒し殺すことは極めて重要であったのであり、もしそれに失敗していたら彼は命を落としていただろう。シヴァジやラナ・プラタープ、ゴービンド・シン導師等、インドの偉大な戦士たちを偏屈な愛国主義者として非難することによって、ガンジーは単に自己欺瞞を暴露していたにすぎないのである。逆説的に見えるかもしれないが、ガンディーは真実と非暴力の名のもとに名状しがたい災難をインドにもたらした暴力的な平和主義者である。そしてそれはラナ・プラタープやシヴァジ、シン導師がインドに自由をもたらした英雄として国民の心のなかで永遠に輝くのとは対照的である。

 

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