新東亜論―米国の普遍主義を排す(2009)6

6.「グローバリゼーション」の実態は、「アメリカナイゼーション」に他なりません。

では一方のアメリカはどうでしょうか。まず、政教分離や個人主義はアメリカの建国理念ですから、それを世界に広めるのは当然アメリカの利益です。もともと個人中心の信条はピューリタンの思想的伝統であり、その意味ではアメリカのいうリベラル・デモクラシーも決してキリスト教という特定の宗教と無関係ではありえません。つまりアメリカの推進するデモクラシーは、彼らがいうようにあらゆる思想や宗教に対して寛大で平等ではありえず、「自己責任の宗教」であるキリスト教を濃厚に映し出す恣意的な教義なのです。国家は個人の内面に干渉してはならないというアメリカの主張が、決して公正中立な立場の表明でないのは、同様に国家は個人の経済活動に干渉してはならないという彼らの主張についても当てはまります。「日本株式会社」が国家の市場統制によって日米間の公正な競争を妨げているというアメリカの主張は、あたかも「構造改革」が日米双方の利益に奉仕するかのようなニュアンスを与えます。しかし実際に「構造改革」は、アメリカの金融業界の商機拡大に奉仕し、ドルを基軸とした国際金融システムを強化するばかりで、日本にとっては国内産業の衰退と国民資産の海外流出を帰結するだけなのです。ここまでくれば、最早、問題の構図は明らかでしょう。すなわち、アメリカが日本に押し付けるリベラル・デモクラシーとは、日米両国の共通利益を謳いながら、その実アメリカによる日本の精神的・物質的支配を覆い隠す巧妙なレトリックに他ならないのです。

 

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