豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』(2008、岩波書店)を読む⑤

○豊下説への駁論 

では以上の前置きをした上で、早速本論の批判に取り掛かろう。まず先帝陛下の「戦争責任」論をめぐり、帝国憲法では天皇が主権者とされている以上、形式的責任は免れないが、実際の政治は側近や内閣の輔弼に委ねられていたのであるから、実質的責任は免れ得るという天皇免訴論の根拠は、筆者が指摘するように、戦時宰相であった東条に責任を「しょっかぶせる」側近たちの方便になったことは否めないだろう。また、『昭和天皇独白録』における「受動的」ないしは「立憲」君主としての天皇像とは異なり、実際には、先帝陛下が「立憲君主」の立場を逸脱した「能動的君主」であったとしても、そもそも明治憲法下で天皇は国家の大権を一手に掌握されていたのであるから別段不自然な話ではない。

しかし、こうした筆者の見方は幾つかの点で間違っている。第一に、まずここで筆者のいわゆる「戦争責任」なる概念は、いったい何に対する責任を指しているのか。東京裁判でアメリカが強弁したように、それがアジアの「平和に対する罪」であるならば、あの大東亜戦争は、我が国の自存自衛を確保し、欧米の侵略勢力をアジアから排除して「東洋全局の平和」を確立することを目的としていたのであるから、当然そうした聖戦遂行の主体であらせられた先帝陛下に「平和に対する罪」が被せられよう道理はない。しかしだからといって、陛下に責任がおありでないということにはならない。というのも、我が国はあの大戦で300万の同胞を犠牲に供したにもかかわらず、屈辱的な敗北を喫したのは紛れもない事実だからである。よってここで陛下のご責任とされるべきは、むしろ聖戦を貫徹し得ず、国家の敗北を甘受したことついて宝祚を受け継いだ皇祖皇宗に対し奉るものでなければならない。陛下は皇祖皇宗へのご責任を担い、そしてその人臣たる国民は、陛下を命がけでお守りする責任を負っている。だからその人臣の代表である首相の東条が、国家の敗戦によって陛下の御宸襟を悩ました重責に殉じるのは当然である。ただし、東条は東京裁判で敵国たるアメリカによって処刑されたのであるから、彼の死は「断罪」ではなく名誉ある「戦死」と見なされるべきだ。

第二に、筆者は、クルックホーンへの「回答正文」やジョージ六世への「親書」などを引き合いに出し、何とか陛下の「全責任発言」を否定して却って「東条非難」があったことを立証しようと躍起であるが(万死に値する)、かりに以上の文書にある通り、陛下が内心では宣戦の詔書に不服であったことを弁明されたことが事実であったとしても、だからといってそのことが東条首相への批判と責任転嫁を意味することにはならない。明白な論理飛躍である。むしろ陛下は宣戦に不本意でありながらも、「立憲君主」としてのお立場から内閣の決定をご裁可遊ばし、また一方では、統帥権を掌握する大元帥としてのお立場から、敗戦に対する全責任を従容としてお受け入れになったのである。この歴史の悲劇性と、陛下の想像を絶するご苦悩に、筆者はどうして思いが到らないのだろうか。

第三に、筆者がいうように、「事態の重要さ」に応じた陛下の御親裁が、皇祖皇宗からお預かりした「三種の神器」をお守りする至上目的に向けられていたというのは、その通りであろう。そして、「三種の神器」をお守りするために、内外からの共産主義の脅威に対する情勢認識から、陛下が一時はマッカーサーの占領政策に協力され、またその後に於いては、御自ら米国との外交に臨まれ、その結果筆者がいうように安保体制の「最大の守護者」になられたというのも信ずるに難くない。陛下の御存念が、一重に「三種の神器」、すなわちそれに象徴された天壌無窮の宝祚をお守りすることにあり、それは全て国家安泰と蒼生安寧のためであったことを私は信じて疑わないが、それでも結果的に、占領軍による民主化改革が国体の本義を喪失させ、また日米安保や日米地位協定のような「不平等条約」が、大元帥たる天皇の統帥権を干犯して我が国をアメリカの属国に陥れ、国家独立と民族自決の最大の障碍になっている痛ましい現実を見るにつけ、当時の重臣達は身を挺して陛下の思し召しをお諫め申し上げるべきであったと思う。

しかし第四に、このように陛下の思し召しが時として必ずしも正しくはないという一事を以てして、親政の担い手、すなわち「能動的君主」たる天皇の地位を否定し、これを「政治的行為」から隔離された「立憲君主」、すなわち「受動的君主」しての地位に限定する論拠とするのは見当違いである。「立憲君主」なる観念は、専制君主たる国王と財産権を主張する国民が不断に対立抗争してきた西欧社会特有の歴史的所産に過ぎないのであって、それとは対照的に君臣が利害休戚を共有してきた我が国の国情にはそぐわない。むしろ我が国における騒乱や専制は、親政権力が天皇の手から離れた時に引き起こされてきたことの方が多いのである。

そこで最後に再び第一の点に立ち返るのであるが、天皇は国家の主権者であらせられる以上、その政治的行為に対して無答責ではありえない。しかしそのご責任の対象とされるべきは、人臣たる国民でもその代表たる内閣でもなく、「三種の神器」をお預かりした皇祖皇宗に他ならないのである。その点で、天皇を国権の総攬者にして軍の統帥者として規定しながら、一方では「神聖にして犯すべからざる」超越者として、その政治行為に対する無答責を規定した帝国憲法は、論理内在的な矛盾を胚胎するものであった。

 

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