『靖献遺言』を読む9劉因

 劉因、字は夢吉は保定容城(現在の河北省容城県)の人、諸葛孔明の「静を以て身を修む」の語を愛しその家を「静修」と号したことから、劉静修とも呼ばれる。幼くして才を現し程朱の学を修めた。劉の時代は宋すでに滅んだ後であった。ある者の推薦により、元の世宗は劉を太子の守り役である賛善大夫に召したが、彼は継母が老いたことを理由に職を辞し去り、俸給も全く受けなかった。その後世宗は劉を集賢学士に任じたが病を理由に固辞した。

 絅斎が劉因の遺言として掲げた「燕歌行」は、かつて歴たる中国の地であった燕(現在の北京周辺)が夷狄の元に奪われたことへの慷慨悲歌である。絅斎によれば、劉因は大義を枉げて夷狄に節を売った許衡や呉澄などと異なり、漢民族としての臣節を全うしたのである。

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