本当の「維新」とは何か:第Ⅱ部③ ボストンにいるB君と香港にいるN君に捧ぐ

○戦後我が国に降り立ったマッカーサーの対日占領における権限は、本国や連合国との関係で脆弱であり、連合国によって設置されることが決まった極東委員会は彼の権限を凌ぐものであった。しかしこの極東委員会の構成国には、ソ連をはじめ、オーストラリアやニュージーランドなど「天皇制」の存続に関して否定的な国が含まれており、国体護持を条件に降伏した我が国の朝野を戦々兢々たらしめた。そこでマッカーサーは、「天皇制」の存続を保障するのと引き換えに、対日占領における先帝の協力を取り付け、神道指令や人間宣言、現行憲法の制定など、一連の民主化改革の機先を制することによって、対日占領における主導的地位を確立することに成功した。その際、マッカーサーが「天皇制」を擁護するために持ち出した理論的根拠は、戦前における天皇の権能が「立憲君主」としての形式的役割に限定されており、国家統治の実権は東条を始めとする軍部に掌握されていたというものであった。これは上述した西園寺公望の諌奏による「憲政の常道」の経緯や、『昭和天皇独白録』にも記されたように、先帝が張作霖爆殺事件で田中義一を叱責されて以降は、極力政治的発言をお控えになられて内閣の決定を裁可遊ばすようになったというご発言とも符合する。つまり天皇を軍国主義や全体国家の権化と看做す極東委員会の天皇訴追論に対して、マッカーサーやその後継者たちは、天皇があくまで英国流の立憲君主であり、それと近代的な議会制民主主義は矛盾しないことを主張することによって、むしろ天皇の権威を利用し、一連の民主改革の後見人としての新たな天皇像を打ち立てたのである。

 現行憲法は形式上、帝国憲法73条の改正規定を踏んでおり、先帝陛下もこの憲法をご裁可遊ばしている。これは大日本帝国が議会政治と親和的な立憲君主国であったことにし、主権在民を定める新憲法との法的な連続性を強調する演出であった。しかし上述の通り、我が国の国情は、立憲君主制が成立した英国のそれと全然異なり、天皇は市民社会の守護者たるリバイアサンではなく、皇祖の神勅を受けた我が国の唯一正当な主権者に他ならない。よって、皇祖皇宗より継受された天皇大権の帝国憲法と主権在民を謳い、天皇を「国民の総意に基づく」象徴と規定している現行憲法は水炭相容れず、前者から後者への移行は凡そ木に竹を接ぐ如く、憲法改正の限界を超えた「革命」、共和制の樹立を意味する。そこで憲法学者の宮沢俊義などは、昭和208月のポツダム宣言受諾を以て我が国に法的意味での「革命」が生起したとする「八月革命説」を提唱し、いまや憲法学説上の通説となっている。

 ところで、憲法が「政体」の根本を成すものであるとするならば、天皇主権の帝国憲法から国民主権の現行憲法への移行は、「政体」の革命的断絶を意味するものと見なければならず、上述の通りこの「政体」と君臣の義に立つ「国体」は唇歯輔車相補うものであるからして、「政体」の改変は畢、「国体」の衰微を招来せざるを得ない。現実に、人間宣言で天皇の神格が否定されたのみならず、現行憲法下の象徴天皇は一切の大権を剥奪され、国家の儀礼形式的な「国事行為」のみを行う存在とされている。そのため天業恢弘の現れたる「国家祭祀」は、「宮中祭祀」と名を変え、飽くまで「皇室の私事」とされて国民の視界から隔離されてきた。公教育で教育勅語が廃止されたのは無論、御真影も撤去され、天地開闢に淵源する我が民族の天孫神話は国民の脳裏から消え失せている。そしてその甚だしきは、文民統制の名のもとに、統帥権を干犯し軍の指揮権を内閣総理大臣に直属させた自衛隊である。我が国の軍隊は神武東征の古から、天皇を大元帥に仰ぐ光輝ある「皇軍」である。それがどこの馬の骨とも知れぬ一介の人臣を最高指揮官とする軽薄な「国民軍」に取って代わられ、軍人勅諭に闡明された建軍の本義は失われた。これでは朝廷から兵馬の権を盗み取り、覇道専制を働いた幕府政治と何ら変わるところがない。現行憲法は昭和の『禁中公家諸法度』だ。

 

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