いまなぜ維新と興亜なのか

わが国日本はアメリカの属国であると言ったら、それを聞く人の反応は賛否両論に分かれるでしょう。しかし国家の内政は一定の自治を許されるが、外交は他国の意思決定に委ねる国のことを属国とまでは行かないが少なくとも保護国というとしたら、日米安保によって国家の防衛をアメリカに委ねるわが国は紛れもなくアメリカの保護国でしょう。こうした状況はもともと先の大戦でわが国がアメリカに負け彼らに強制されたのが発端ではありますが、それから65年以上たった今となっては、むしろわが国民が望んでそうした状況に安住しております。特に近年、隣国チャイナの軍事的台頭に対抗し、日米関係を強化しようという世論がそうした状況に拍車をかけています。

しかし、本サイトでも明らかにしますが、歴史上、大国の覇権に便乗し国家の防衛を図ろうという、いわゆる「事大主義」の発想に陥った民族は、李氏朝鮮しかり、清朝しかり、いずれも国家滅亡の憂き目に遭っています。明治時代のわが国民は、そうした隣国の悲哀を目撃し、半ば同情し半ば嘲笑したでしょうが、今度はわが国が事大主義に陥り、国家衰亡の淵に立たされているのですから、歴史とは皮肉なものです。

上述の通り、昨今のわが国では隣国チャイナの台頭に対抗し、旧来の日米関係を一層強化しようという議論が盛んですが、これはちぐはぐな議論です。たしかにチャイナはわが国の主権にとって油断大敵の脅威ではありますが、それはチャイナが強いからというよりも、わが国が弱いからです。国家の経済が成長すれば、それに伴い軍事力が拡大するのは通常の国家であれば当たり前のことです。しかし経済大国であるにもかからわず、愛国心に欠け独自の国軍を持たないわが国の方が異常なのです。そしてそうした脆弱な国家にわが国を改造した諸悪の根源は、これから一緒にチャイナに対抗しようという、アメリカに他ならないではありませんか。

それに考えてもみて下さい。たしかにチャイナはわが国の主権を脅してはいますが、いまだ実際の危害を加えてはいないという意味で「潜在的な」脅威に過ぎません。しかしアメリカは現実にわが国に対して不平等な地位協定を課し、沖縄を中心とする全国の領土に米軍基地を置き、毎年数千億もの血税を巻き上げているという意味で「顕在的な」脅威です。ちなみに日米地位協定では米兵の「治外法権」を獲得したアメリカですが、今度はTPPによってわが国から「関税自主権」まで取り上げようと策謀しています。まさに日米関係は安政の不平等条約の時代に逆行しつつあるのです。だとすれば、わが国の主権にとって本質的な脅威は、チャイナよりもむしろアメリカではありませんか。わが国がアメリカの保護国の地位にとどまる限り、チャイナはわが国にとって国家の主権を脅かす永遠の脅威になるでしょう。しかし、わが国の主権がすでにアメリカに蹂躙されているとしたら、我々はいったい、チャイナから何を守ろうというのでしょう。

さて国際政治における平和は国家間の勢力均衡によって保障されることは言うまでもありません。しかしアメリカの軍事支出が、世界の総軍事支出の過半を占める現在においては、いくらチャイナが軍事的に台頭しているとはいえ、日中の軍事力を足し合わせたとしてもアメリカのそれには及ばないのです。したがって専らの現実について言えば、チャイナの台頭がアジアの平和を脅かしているというよりは、むしろただでさえ強大なアメリカにわが国が追従し米中の勢力不均衡が助長されることによって平和が脅かされていると言った方が正確ではないでしょうか。

よって、結論に移りますが、今後わが国が国家の独立と平和を確立するために、ぜひ成し遂げねばならないことは、まず何よりもアメリカの保護国的な地位から脱却することです。しかしそうした物理的な国家としての独立を成し遂げるためには、さらにそれに前置して民族の精神的な独立が成し遂げられねばなりません。かたじけなくも、万邦無比の天皇陛下を戴くわが国の場合、そうした独立的変革は、歴史的に神武建国の原点に回帰するという意味での維新によって断行されてきました。そこでここにいう神武建国の原点とは、まさに天皇と国民の関係を貫く君臣の大義を正し、祭政一致、天皇親政の国体を顕現するということに他なりません(詳しくは本ブログ掲載の『本当の維新とは何か』を参照のこと)。これが維新。そしてこの磐石の基礎の上に、近隣アジア諸国との関係を見直し、彼らとの共存共栄による勢力均衡によってアジアの平和を保障する、これが興亜です。本ブログのタイトルを「維新と興亜」としたのは、以上のような趣旨によります。

むかし樽井藤吉(1850~1922)というアジア主義の思想家は、西欧列強のアジア侵略に対抗して日中韓の大同団結を説き、その主張を『大東合邦論』として世に問いました。そしてその思想に共鳴した金玉均(1851~1894年)は、朝鮮における独立党、開化派の指導者として甲申事変(1884)を断行しましたが、閔妃(国王高宗の正妃)等、事大党、守旧派の反動によって失脚、その後朝鮮は亡国の坂を転げ落ちて行きます。よっていまわが国が朝鮮の悲劇から学ぶべきは、事大主義を克服し、国家民族の独立を確立し、アジア諸国で大同団結して侵略者の脅威に対抗するという教訓ではないでしょうか。

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