アジア主義の先覚者、荒尾精の思想について(呉竹会『青年運動』平成25年2月号)

先に、アジア主義の先駆者であり頭山満翁が「五百年に一度の人傑」と称えた荒尾精(1859~1896)の思想と功績を、彼が記した『宇内統一論』を手掛かりにして紹介しました。明治開国以来、我が国の朝野はこぞってその関心を欧米に集中しておりましたなかで、荒尾はむしろその活躍の舞台をアジアに求め、陸軍参謀の軍人としてシナに渡り、商人を装いながら諜報偵察任務に従事しました。

ときあたかも西欧列強は、侵略の食指をアジアに伸ばし、瀕死の老大国となった清国と、その清国の宗主下にある朝鮮をまさに狼呑虎食しようと、耽々その機会をうかがっておりました。そこで我が国は、朝鮮の独立と東アジアの平和を確立するために清国と戦端を開き、輝かしい勝利を収めたのは周知のことであります。ところが当時の我が国世論では、戦勝の余勢を駆り、清国をこらしめるために過大な賠償金と領土の割譲を要求しようとする意見が根強くありました。かねてよりシナを実地に調査し、アジアの将来に経綸をめぐらしていた荒尾は、この状況を深く憂慮し、我が国戦勝の機運が濃厚となった明治27年の10月に『対清意見』と題する一篇の論文を発表します。

この論文のなかで、荒尾は「抑も此次我が宣戦の大旨たる、実に朝鮮の独立を将来に確めて、東洋の平和を永遠に維かんとするにあり。即ち是れ興亜の第一着手にして、此戦は近くは以て朝鮮の為、清国の為め、遠くは以て印度暹羅の為め、東方に邦する列国のために開かれたる一大義戦」(霞山会『東亜同文会史』所収『対清意見』)だと述べ、 日清戦争の目的が、シナをこらしめることにあるのではないことを明言しています。これを一読すると、「清国のために清国と戦う」というのはいささか奇異な感じを受けるかもしれませんが、決してそうではありません。荒尾の見方では、清国は根幹朽ちていまにも倒れそうな老大木と同じで、わずかに余命を保ちながらもすでに命運は尽きているのであり、放っておけば遅かれ早かれ自滅する定めにありました。

もっとも太平天国の騒乱以降、反乱鎮定に功績のあった曽国藩や故林翼、左宗棠などの元勲は、こうした清朝の衰運を挽回するために、たびたび国制改革の建議を奏上しましたが、結局採用されませんでした。荒尾はこの理由として「清国政府は元来胡人を以て中土に君臨するが故に、若し此等元勲の建議に従いて祖法を一変するときは、此国の衰運を恢復すること勿論なりと雖も、同時に其宗社の傾覆せんことを怕れて、遂に之を採用すること能はず、寧ろ祖法を枕として宗社を一日に長ふせんとするの窮策を執りし」による、と述べています。

かくして清国の中興は挫折し、その命運は尽きました。しかし一たび根幹朽ちた老大木が倒壊すれば、その隣で枝を交え林立する樹木も当然に被害を免れません。無論、その第一は朝鮮でしょう。事実、シベリア鉄道を敷設し着々満州進出の歩を進めるロシアは、清朝の庇護に頼る朝鮮の侵略を企んでいました。そして第二は日本です。このように清国が滅べば、その庇護に頼る朝鮮も滅び、朝鮮が滅べば今度は我が国が西欧列強の標的になる。まさに唇滅びて歯寒し。だからこそ荒尾は、「朝鮮の貧弱は仮令朝鮮の為めにこれを之を憂えざるも、深く我が国の為めにこれを憂えざるべからず。清国の老朽は、仮令清国の為めに之を悲しまざるも、痛く我が国の為めに悲しまざるべからず。苟も我国をして綱紀内に張り威信外に加はり、宇内万邦をして永く皇祖皇宗の懿徳を瞻仰せしめんと欲せば、先此貧弱なるものを救い、此老朽なるものを扶け、三国鼎持し輔車相依り、進んで東亜の衰運を挽回して其声勢を恢弘し、西欧の虎狼を膺懲して其の覬覦を杜絶するより急要なるは莫し」と述べ、まずは我が国が朝鮮の独立を確保するとともに、旧弊に沈淪する清国の革新を手助けして、両国を与するにたる強国に誘導することによって、三国が提携して西力東漸の脅威に対抗すべきだ、そしてそれこそが国家百年の長計に基づいた我が国の天職であると説いたのです。

したがって、そのためには、講和交渉で清国に追い打ちをかるような要求を突き付け、戦後の両国関係に禍根を残すようなことをしては本末転倒になります。荒尾はそのことを、『対清意見』に対する読者の疑問に答える形で発表した『対清弁妄』(明治28年3月)のなかで述べています。例えば、当時沸騰していた領土割譲要求については次のように言っています。「我国が領土割譲を求むる時は、即列国が禹域分食の素志を行ふの暁にして、我国が一省一郡を領得するの日は、即清国が四分五裂して豺狼の爪牙に掛かるの秋也。夫れ清国は已に四分五裂に終れり。赤毛碧眼の異種族は中原に跋扈せり」。つまり、清国の領土割譲は西欧列強の便乗追随を招き、我が国を却って危地に陥れると言うのです。また巨額の賠償金請求についても、国庫の窮乏した清国がこれを支弁するためには、官吏を酷使して人民の財産を搾取するか、国家の領土や利権を抵当に入れた外債を募集せざるを得ず、結果として「近くは清国朝野の憤怨を買ひ、遠くは泰西干渉の辞柄を作る」ことになると論じます。

ただ、だからといって荒尾は我が国が清国を一方的に寛容し、その革新を支援しろと言っているだけではなく、将来、シナが大国として復活したとき、往年の中華思想が再び鎌首をもたげ、却って我が国の脅威となる危険をも的確に予見しています。いわく、「彼等は国家極衰の今日に於いてすら、猶ほ自ら中華と誇称し、動もすれば夷狄を以て他邦人を遇せんとせり。然るに向後彼若し我が輔掖啓導に頼りて国力を充実するに至らば、其尊大倨傲の気癖は益す長じて、猜疑嫉妬の邪念は名を貪り牟る情焔を助け、土地人民の大を恃み無限不尽の富を擁して、宇内を睥睨し近隣を威嚇せんこと、殆ど疑うに足るものなし」(『対清意見』)。

よって我が国の対清政策は、「清国を振興して其驕慢を長ずるなかるべく、以て清韓を救護して我の天職を失墜なかるべく」、両者の微妙な均衡を維持することに向けられねばならない、これが荒尾の意見でした。このように、荒尾の論説は、アジア復興の盟主たる我が国の天職を強く意識しながらも、同時にアジアの地政学的な現実を正確に見据えたものでした。

さて、これまで荒尾精の論説を通して彼のアジア主義思想を見てきました。昨今、我が国とシナの関係が険悪化の一途を辿るなかで、上述した荒尾の思想は両国の前途にとって深遠な示唆を含むように思われます。清国は征服王朝であるが故に旧習に囚われ、曽国藩等の改革は挫折しましたが、シナ中共は鄧小平の優れた指導で改革開放を断行し、いまや民族国家に脱皮しようとしています。無論、これは一方で荒尾の予言通り往年の中華思想を再燃させ、我が国を含む近隣国の脅威になっていますが、長期的なアジアの復興にとっては良いことだと思います。しかしこれと対照的に現在の我が国は、事大主義の迷夢にまどろみ、さながら百年前の朝鮮に退行したかのようです。「鷸蚌の争い」という言葉があります。これは鷸(しぎ)と蚌(はまぐり)が浜辺で争いをしている間に、もろとも漁師に捕獲された故事に由来します。いま、そして将来にわたり我が国とシナが区々たる対立を続けたとしても、そんなことをして「漁夫の利」を得るのはアメリカだけだ、そんな荒尾の声が泉下から聞こえてくるような気がします。
敬称略

 

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