韓国との付き合い方―朴鉄柱先生のこと

最近、韓国の増長が甚だしい。竹島の不法占拠は言うまでもなく、いわゆる「従軍慰安婦」の存在をでっち上げたり、サッカーの日韓戦で安重根の肖像やお門違いな垂れ幕を掲げてみたりと、いささか目に余る傍若無人ぶりである。どうして韓国人はこうなのか。なぜ彼らはかくも我々を侮るのか。あるいは、そうした彼らに対して、我々日本人は、どのように向き合ってゆけばよいのか。このように日韓関係が険悪化の一途をたどる今日において、ぜひ思い出したい人物がいる。その人の名は朴鉄柱、日本名を新井清資という。彼は我が国統治下の朝鮮で生まれ、戦後はソウルで日本文化研究所を創立し、激しい反日世論に直面しながらも、平成二年に66歳で亡くなるまで終生日韓親善の信念を貫き通した生粋の知日家である。以後、尊敬を込めて彼を先生と呼びたい。

朴先生は、大正11年、釜山の裕福な両班の家に生まれた。釜山は昔駕洛国があった場所である。駕洛の建国神話では、始祖金首露王が、現在の金海市の北方にある霊峰「亀旨峰(くじぼん)」に降臨したとされ、これと我が国の記紀で天孫降臨の地とされる高千穂の「くしふる峰」が発音的に似通っている事実は、いわゆる「日鮮同祖論」の根拠とされてきた。先生は少壮より「日本天皇の高貴にして神聖なる精神伝統」に感銘を受けたことから内地に渡り、皇典研究所で神職を得た後は郷里釜山の竜頭山神社や光州神社、下関の住吉神社で奉職された。しかし憂国の心情もだしがたく、上京して中村武彦先生らの尊攘同志会に身を投じられた。またその縁で、葦津珍彦先生の薫陶も受けられている。

上記の通り、戦後は韓国人としてソウルに赴き、日本文化研究所を創立されたが、そこでの研究主題は①日本神代文化の研究②帰化文化の研究③日本の信仰、道徳等精神文化の研究であり、その目的は両国の国家形成に遡る大局観に立った文化親善を促進することにあった。しかし時あたかも李承晩政権下の韓国では反日感情の嵐が吹き荒れており、先生は帰国早々「反共法」違反の疑いで逮捕投獄、研究所は閉鎖されてしまう。それでも釈放後の先生は、当局の監視と世論の迫害を受け、洗うがごとき赤貧に堪えながらも韓日文化研究所の所長として日韓交流を続けられた。

そんな先生の思想的一端を知る手掛かりとして、以下では名越二荒之助先生が学生団を率いて同研究所を訪問された折りに、先生が行われた講演の摘記を紹介したい。

「日本はすばらしい。万世一系の御皇室(御をつけられる)を戴き、歴史に断絶がない。日本固有の神道が、現在に至るまで相続されており、国家全体が調和された形で形成されている。“八紘為宇”という考え方は、日本の大らかさの現れであって、これは積極的に世界に知らせる必要がある。

それに較べて韓国の歴史は、悲惨であって断層が深く、涙なくして見ることはできない。・・・韓国の檀君神話といっても、あれは高麗時代、モンゴルの支配下に置かれた時、一然上人が民族精神を振起するためにまとめたもので、高麗神話の性格が強い。ほかに新羅や百済や駕洛にも神話がある。韓国は日本のように統一した一つの神話にはなっていない。・・・私が日本神話に内面的親しみを感ずるのは、日韓は同祖だと信ずるからである。・・・そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。・・・最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。“事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし”というのが、開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。・・・大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスを始めとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。・・・ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。二百数十万の戦死者はたしかに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇の対象となるのである。」

このように先生の思想はある意味で日本人以上に日本的であったが、それが却って天皇国たる日本の理想と戦後民主主義によって堕落した日本、そしてアメリカによって断絶せられたアジアの現実との隔絶を浮き彫りにした点に、先生の悲劇性があった。その点に関して、上述した葦津先生は朴先生に次のような注意を促されている。

「日韓両民族が、一視同仁の聖天子の兄弟たるべき時代は消え去ってしまった。君は悲しいだろうが、仲のわるい隣邦の外国人にすぎなくなった。日本人の道義も失はれ、金権の外に考へない気風に汚染されている。韓国人は、自ら国を亡ぼしてしまった歴史を、ことさらに抹殺して、日本をただわる者にして、公正の歴史をゆがめて、対日請求のやくざ集団のやうな思想にとりつかれている。ここでは、はっきりと日韓は別国とわり切って、冷徹な国家対国家の国際公法の「理性」に立ち、相和すべき理があれば和するが、対決すべき理あれば同意を拒否し、対決するとの原点に戻って、初めから、出直す外にあるまい。」

以上で垣間みた先生の思想はこうも言い換えられるかも知れない。すなわち、日韓は同祖同根である。しかし北朝鮮の高句麗が騎馬民族なのに対して南朝鮮の百済や新羅、先生の郷里である駕洛は農耕民族でそれぞれの建国神話も異なる。統一的な建国神話がなく、万世一系の皇統も存在しない。つまり朝鮮には国体が無いのである。国体が無いから国粋への確信がない。確信が無いから外国思想にすぐかぶれ強い者に雷同し、その裏返しで自分と同等かそれ以下の者を軽侮するのである。これが朝鮮の宿痾たる「事大主義」なのであり、近代に関して言えば、最初は清朝に臣従し、日清戦争、三国干渉の後はロシアに追随して我が国を侮った。しかし日露戦争で我が国が勝利すると、今度はそれまでロシアにかしずいていた連中が雪崩を打って我が国の朝鮮統治における協力者となったのであるが、戦後は一転して反日侮日の急先鋒となったのである。まさに国体なき朝鮮の歴史は涙なしには語ることができない。冒頭に述べた昨今の反日旋風も、その根底にあるのは彼らの哀しき事大主義である。こうしてみると、我々日本人は、韓国の挑発に怒るよりも、むしろこれを憐れむべきではないか。朝鮮に対し一視同仁の大御心を以て君臨遊ばされた、御歴代の天皇様の大御心を拝すべきである。

(以上の文章は全て『朴鉄柱大人を偲ぶ』(平成三年発行)を参照致した。)

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