『統帥権奉還論―安倍首相は聖上に兵馬の権をお返しせよ』(呉竹会『青年運動』平成26年5月号)

統帥権jpeg○精神不在の再軍備

昨今、安倍首相は従来の内閣による憲法九条の解釈を変更し、これまでの個別的自衛権に加えて、集団的自衛権の行使を容認しようとしている。こうした議論は重要ではあるが本質的ではない、むしろ技術的な枝葉末節の議論である。なぜならば、国家の自衛とは、それが個別であれ集団であれ、一旦戦争ともなれば、実際に血を流して戦うのは我々生身の国民なのであり、そうした死活局面において、将兵たる我々にとって最も深刻切実な問題は、「我々はいったい何を守るために戦い、何のために死ぬのか」という、突き詰めて道徳的な命題に他ならないからである。

しかるに現行の安倍内閣を含めて、戦後の歴代内閣は、瑣末な法律論争に膨大な時間と労力を費やす一方で、この将卒の死活問題に対する道徳的な回答を避けてきた。これでは、仮に集団的自衛権を容認し、アメリカから大枚をはたいて買わされた兵器でどれだけ重武装しても、肝心の将兵の士気が振るわず、民族の底力を十分に発揮することはできないであろう。

あるいは、いくら味方の武器が敵のそれに対して劣弱でも、将兵に絶対の忠誠心と不屈の闘争心があれば、大楠公のごとく七生賊滅の精神で生き代わり死に代わりして戦い抜き、終には勝利することが出来る。明治維新や日清・日露の戦勝は、楠公精神の勝利である。また同様のことは、外国を見渡しても、ベトコンやタリバンの勇敢な戦いぶりが証明しているではないか。彼らの勝利は、戦時において勝敗の帰趨を決する究極的な要因が、武器や作戦の優劣ではなく、死を恐れぬ将卒の士気にあることを示している。

玄洋社の中野正剛は『戦時宰相論』の中で「国は経済によりて滅びず、敗戦によりてすら滅びず。指導者が自信を喪失し、国民が帰趨に迷うことによりて滅びるのである」と述べているが、あるいはこれを換言すれば、戦時において、指導者が自信を堅持し、国民が意気を阻喪しない限り、我が神州は絶対に不滅だということなのである。問題は、こうした将卒の絶対不屈の戦闘心が、奈辺に源泉するのかということである。

○首相の軍隊で戦えるか

周知のように、現在の自衛隊の最高指揮官は内閣総理大臣である。つまり、戦時に際して、自衛隊の将兵は内閣総理大臣に忠誠を誓い、またその命令に服従して国家に命を捧げるということだ。これは、現行憲法が国民主権を謳い、内閣総理大臣はその主権者たる国民に選挙された代表なのであるから論理的にはさもありなんである。

しかし戦争は生死の問題である。首相とはいえ、所詮は人間である。よって時には間違いも犯すし、国民から罵声を浴びることもあるだろう。そんな彼のために死ぬ国民はいない(菅某の名前で赤紙が届いても応召する国民は皆無だろう)。いや、それでも愛する家族を守るために戦うというのなら、わざわざ前線で命を危険にさらすよりも、家族ぐるみで外国に亡命すれば済む話だ。つまり何を言いたいのかというと、国民が祖国に命を捧げるということは、世俗を超越した目的、つまり神への信仰であり聖戦の大義に殉じるということであって、それがなければ、国家がいくら強権を発動しても、国民の死力を動員することなど到底不可能だということだ。

○国民精神の根幹は尊皇である

忝くも世界無比の皇室を戴いている我が国において、国民の愛国心の源泉は、万世一系の天皇陛下に対し奉る忠誠心をおいて他にない。そして、その誠忠心の要諦は、明治維新の端緒を開いた勤皇の志士、竹内式部が記した『奉公心得書』における冒頭の一節に尽きるのである。

夫(そ)れ大君(おほぎみ)は、上古伊弉册尊(いざなみのみこと)天日(あまつひ)を請受(こひう)け、天照大神を生み給ひ、此の国の君とし給ひしより、天地海山よく治まりて、民の衣食住不足なく、人の人たる道も明らかになれり。其の後代々の帝(みかど)より今の大君に至るまで、人間の種(たね)ならず、天照大神の御末(みすゑ)なれば、直に神様と拝し奉つり、御位(みくらひ)に即かせ給ふも、天(あめ)の日(ひ)を継ぐといふことにて、天津日継(あまつひつぎ)といひ、又宮つかへし給ふ人を雲(くも)のうへ人といひ、都を天(あめ)といひて、四方(よも)の国(くに)、東国よりも西国よりも京へは登(のぼ)るといへり。譬(たと)へば今床(ゆか)の下に物の生ぜざるにて見れば、天日(あまつひ)の光り及ばぬ処には、一向(いつかう)草木さへ生ぜぬ。然(さ)れば凡そ万物(よろづのもの)、天日の御蔭(おかげ)を蒙(かうむ)らざるものなければ、其の御子孫の大君は君なり、父なり、天なり、地なれば、此の国に生(いき)としいけるもの、人間は勿論、鳥獣草木に至るまで、みな此の君をうやまひ尊び、各(おのおの)品物(ひんぶつ)の才能を尽(つく)して御用に立て、二心(ふたごころ)なく奉公し奉ることなり。

すなわち、我が国の天子は、天照大神より天津日継(あまつひつぎ)たる宝祚を受け継いだ神の末裔にして現御神(あきつみかみ)なのであり、この世で天の日を仰ぐ全ての生きとし生けるもののなかで、その大恩を蒙らぬものはない。だから人間は勿論、鳥獣草木に至るまで、みなこの君を尊敬し、各々の才能を尽くして天子のお役に立て、二心なく奉公するのが臣民の道であるということである。

○頭山翁の臣道論

奇しくも上述した式部の臣道論は、頭山満翁による『日本臣民たるの幸福』と題する説話の趣旨と全く合致する。翁は曰く、

我が日本の天子様は宇宙一の尊い生神であらせられる。そして一切の万物悉く天子様の御物でないものはない。わけても、その最も大切な御宝は、吾々の一億の日本臣民である。この天子様の大みたからである我々臣民の生命は、自分の生命であってしかも自分のものではない。天子様の御為に死すること、それは臣民として大慶この上もないことである。
我々は万物の中でも特に人間と生まれたことを天に感謝せねばならぬが、人間の中でも、尊い天子様の赤子として、この万邦に比類なき日本国に生まれたことは凡そこれより有難いことはない。であるから、吾々はこの天から授けられた恩恵に背かぬよう、絶対の誠をいたし、聖恩に報い奉るよう、常に吾と吾が志を励まして、日本臣民たるの本分を果たさなければならぬ。(藤本尚則氏編『頭山精神』所収)。

実のところ、両者の臣道論の合致は偶然ではない。というのも、式部は江戸中期に神儒習合の思想を確立した山崎闇斎の学統に連なり、頭山翁は、幼少時代に師匠の高場乱女史からその闇斎の学問を教わっているからである。かくして両者の根底には我が国史を一貫する敬神尊皇の精神が脈打っているのである。この敬神尊皇の精神こそ、戦時に際しては我が国民を打って一丸となし絶対不屈の戦闘精神を勃湧せしめる思想的源泉に他ならない。

○兵馬の権は何処にありや

ところで、我が国において、「兵馬の権」たる統帥権が天皇大権であることは、天照大神が天孫瓊瓊杵尊の降臨に際して、かの有名な「天壌無窮の神勅」と共に賜った三種の神器の一つに神剣が含まれていることにも暗示されている。周知のように、この神剣は素戔嗚尊が退治した八岐大蛇の中から見出され、後に景行天皇から夷狄調伏の大命を受けた日本武尊が佩帯していたことから、朝廷が掌握する武権(兵馬の権)の象徴となった。したがって、安徳天皇の入水と共にこの神剣が壇ノ浦の藻屑と消えたことは、朝廷が兵馬の権を喪失する不吉な前兆となったのである。

事実、その後の六百年間に亘って天下の権柄は武門に移り、朝廷は有名無実の存在と化した。よって、その後の忠臣義士たちによる王政復古の企ては、武家に盗まれた兵馬の権を取り戻すことに主眼が置かれたのであり、それは明治維新において特に顕著である。
岩倉具視に対する真木和泉の建策によって、「王政復古の大号令」に「諸事神武創業之始ニ原キ」と謳われ、天皇親征が志向されたことはその端的な例であるが、明治15年に煥発せられた『軍人勅諭』には、その趣旨がより明示的に記されている。

兵馬の大権は、朕が統(す)ぶる所なれば、其司々(そのつかさつかさ)をこそ臣下には任すなれ。其大綱(そのたいこう)は朕親之(ちんみずからこれ)を撹(と)り、肯(あ)て臣下に委ぬべきものにあらず。
子々孫々に至るまで篤(あつ)くこの旨を伝へ、天子は文武の大権を掌握するの義を存して再(ふたたび)中世以降の如き失体なからんことを望むなり。朕は汝等軍人の大元帥なるぞ。

また上述の精神は、明治22年に発布せられた大日本帝国憲法に反映され、第十一條において「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」と規定された。その証拠に、伊藤博文が記した帝国憲法の注釈書である『憲法義解』では同条について次のように説かれているのである。

恭(つつしみ)て按ずるに、太祖実に神武を以て帝国を肇造し、物部(もののべ)・靫負部(ゆぎへべ)・来目部(くるめべ)を統率し、嗣後歴代の天子内外事あれば自ら元戎(げんじゅう)を帥(ひき)ゐ、征討の労を親(みずか)らし、或いは皇子・皇孫をして代り行かしめ、而して臣連(おみむらじ)二造はその褊裨(へんぴ)たり。天武天皇兵政官長(つわもののつかさのかみ)を置き、文武天皇大に軍令を修め、三軍を総ぶるごとに大将軍一人あり。大将の出征には必ず節刀を授く。兵馬の権は仍朝廷に在り。其の後兵柄(へいへい)一たび武門に帰して政綱従て衰へたり。
今上(明治天皇)中興の初、親征の詔を発し、大権を総覧し、爾来兵制を釐革(りかく)し、積弊を洗除し、帷幕の本部を設け、自ら陸海軍を総べたまう。而して祖宗の耿光(こうこう)遺烈再び其の旧に復することを得たり。本条は兵馬の統一は至尊の大権にして、専ら帷幄の大令に属することを示すなり。

我が軍が天皇陛下を大元帥に戴く皇軍であるという認識は、明治の御代において朝野の隔てなく共通一致した国論であった。それは当時、政府に対する民権派の急先鋒と目された植木枝盛までが、その私擬憲法案たる『東洋大日本国国憲案』(明治14年)の第七十八条において、「皇帝ハ兵馬ノ大権ヲ握ル宣戦講和ノ機ヲ統ブ」と何らの躊躇もなく記していることからも伺われる。

以前、本紙上において、頭山満翁等が中心となり近衛篤麿公を戴いて結成された対露同志会が闕下に捧呈した「日露開戦の奏疏」について紹介した(平成24年11月号『兵馬の権、何処にありや-対露同志会による日露開戦の奏疏』)。この奏疏が捧呈されたのは、明治36年の12月であるが、それに先立ち、頭山翁は神鞭知常や河野広中、佐々友房等(何れも衆議院議員)、同志会の幹部を伴い、枢密院議長の伊藤博文を訪問している。

当時、伊藤は対露協商派の領袖として政府に圧力をかけ、ときの桂太郎内閣に開戦を躊躇させていた。そこで頭山翁は伊藤と直談判をすることによって開戦の決断を督促したのであるが、その甲斐がなかったため、政府の頭上を通り越して上奏の挙に及んだのである(詳細は小論参照のこと)。頭山翁をしてこの行動をとらしめた根底には、兵馬の権は天皇大権なのであるから、たとえ政府が開戦に反対だとしても、最終的には陛下の御聖断を仰ぐ他ないという思想があったことは間違いがない。

○国民軍から光輝ある皇軍へ

さて、先の大戦における敗北の結果、我が国はアメリカから屈辱的な憲法を押し付けられ、民族の自尊心を剥奪された。周知のように、この憲法は象徴天皇制を謳いながら一方では国民主権を謳っている。しかし我が国の国体は天壌無窮の神勅によって天皇を唯一正当な君主に戴くことに決まっているし、三種の神器の神剣は、兵馬の権が朝廷に帰して、天子が大元帥、軍の統帥権者であることを表徴してるのであるから、これと革命簒奪思想である国民主権は絶対に相容れるものではなく、いわんやこの国民主権に則って、国民代表としての首相が軍の最高指揮権を牛耳るなどという発想は、恐れ畏くも「統帥権の干犯」以外の何者でもなく、保元平治以降における朝威の失墜と武家の台頭に匹敵するような歴史の退行、暗黒時代への逆戻りに他ならないのである。

目下安倍政権は、憲法解釈を変更して集団的自衛権を容認し、再軍備を推し進めている。安倍首相が陛下の忠臣であり、現実政治の制約のなかで、国家民族の再生に尽力しておられることに異論をさしはさむつもりは無い。しかし、安倍内閣がいくら憲法の解釈や条文を変更し、軍の実力を増強しても、それが国民主権であり、首相統帥の下で実施される限り、たとえ自民党の憲法草案のごとく自衛隊を国軍に名前だけ変えても、所詮は国民の軍隊でしかなく、建軍の大義は通らない。それに、そんな筋の通らない軍隊では、将兵の士気が奮わず、民族の底力を発揮して外敵を破ることなど出来ないのである。

先に引用した中野正剛の『戦時宰相論』は、時の東条首相に対する批判であるが、当の東条は陛下の忠臣を以って知られ、「東条というものは一個の草莽の臣である。あなた方と一つも変わりない。ただ私は総理大臣という職を与えられている。ここで違う、これは陛下の御光を受けてはじめて光る」と言っていたそうである。かくいう東条は、やはり臣下の分を弁えたる真個の忠臣であった。彼は我が軍の強さの源泉が、現御神たる天皇に対する国民の絶対的な忠誠心に発することを正確に理解していたのである。

したがって、安倍首相はこの際、自らの掌握する統帥権を天皇陛下に奉還することによって建軍の本義を正し、国民の軍隊たる自衛隊を光輝ある天皇の軍隊たる皇軍に改組し、以ってその忠臣たる真価を証明していただきたい。

先に、かつて安徳天皇の入水によって三種の神器の神剣が壇ノ浦の藻屑と消えたことは、朝廷による兵馬の権の喪失を暗示していたと述べたが、実のところ、このとき海に沈んだのは、崇神天皇の御代に模造された神剣であり、本体は日本武尊が熱田神宮に奉納して以来、今も昔もずっと同神宮に鎮座ましましている。よっていかなる時代の変遷があろうと、天壌無窮の宝祚とともに、三種の神器が欠けることはありえないのであり、したがって、その不可分の一つである神剣が表徴する兵馬の権は、紆余曲折こそあれ、最後は必ず朝廷の元に帰する定めにあるのである。

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