『靖献遺言』を読む2屈平

秦の滅亡の後、高祖劉邦によって打ち立てられた前漢は王莽の帝位簒奪によって滅び、王莽は新を打ち立てた。揚雄は『反離騒』を賦し、屈平の才を惜しんだが、やがて王莽の意に媚び、新に臣従して節を枉げた。一方で、龔勝(キョウショウ)は清潔の士であり、尊爵で誘惑する王莽の圧迫に耐えかねて絶食死した。

 

昔殷の紂王が暴政を働いたときに、周の武王はこれを放伐したが、伯夷・叔斎はそれを深く非難し、周の粟は食まずと首陽山にこもり蕨を食べて餓死した。いかに天下の英雄といえども彼が帝位の簒奪者であるならば、絶対に臣従しない。忠誠なる臣たるの道とはそういうものである。

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