当代アジア主義試論

当代アジア主義試論

○戦前の大アジア主義は、西欧列強の帝国主義に対して我が国を盟主としたアジア民族の連帯と共存を目的とするイデオロギーであった。しかし清朝では戊戌変法が失敗し、朝鮮では甲申事変で金玉均が失脚するなど、そもそも当時のアジア諸国は自主独立の気概が乏しく、我が国として与するにたる相手ではなかった。こうしたことから、我が国では福沢諭吉が「脱亜入欧」を唱え、頭山満は孫文が共和主義者であるにも関わらずこの帰国子女の革命家を公然と支援し続けたのである。

それから一世紀、いまや中国は強国となり、韓国も一人前の先進国に変貌した。よっていまこそアジア連帯の機運は醸成したかに思われるにも関わらず、我が国の世論では却って中国脅威論が沸騰し、韓国の成功を素直に称賛する意見は少数である。これはどうしたことか。

○大東亜戦争で我が国はアメリカに敗けた。しかし同じ戦争で中国に敗けたと思っている日本人はほとんどいない。我々はこの戦争で300万の同胞を無惨なやり方で失った。彼らを殺したのはアメリカである。そしてその結果、我が国の領土には10万人以上のアメリカ兵が居座っている。蒋介石や毛沢東に殺された日本人が何人かを私は知らないが、少なくとも我が国の領土に中国兵は一人もいない。にもかからず、なぜ我々は中国を憎み、アメリカを許すのか。去年の大地震で原発から放射能が漏れて、あれだけ大騒ぎをしている国民が、どうして自分たちの親に放射能の爆弾を投げつけた連中の仕打ちを忘れているのか。

○アメリカは寛大な国だと人は言う。アメリカは自由と民主主義の国だと人は言う。しかしいまアメリカが世界でやっていることは何だ。アラーの権威を冒涜し、アラブの無辜の民を虐殺している。そしてそれと同じことを、かつて我々もアメリカにやられたではないか。これの一体なにが寛大か。なにが自由と民主主義か。そこである者はいうだろう。中国こそ侵略者だ。なぜならば、彼らはチベットやウィグルの土地を奪い、民を殺したではないかと。なるほど確かに中国は侵略者だ。しかし彼らが侵略を諦めたら中国はどうなる。水は涸れ、資源は枯渇し、経済は破綻する。すると暴動が起こり治安は悪化し、55の民族はこぞって自治や独立を主張し始めるだろう。さらに内憂は外患を誘致し、外国勢力が中国の主権に干渉を始める。まさしくアヘン戦争以降の悪夢が再現せられるのだ。でも、アメリカの場合、彼らが侵略を止めたところで一体何が起こるというのか。アメリカの水は涸れるか。資源は枯渇するか。経済は破綻するか。内乱が勃発し、外国に侵略されるというのか。否、むしろ現実は裏腹である。アメリカは自らが手を染めた侵略戦争によって国富を蕩尽し、世界の信用を失い、社会の分断を招いているのである。

○我が国にとって強い中国、強い韓国の出現はむしろ歓迎すべき情勢の変化である。過去の歴史を振り返れば、明治以降の戦争は、すべて中国と韓国の弱さによって引き起こされた。朝鮮が強国であれば、朝鮮への宗主権をめぐる日清・日露の両戦役は起こりえなかったし、それによって多数の将兵を死に追いやることもなかった。また中国が強国であれば、我が国が泥沼の大陸戦線に引き込まれることもなかったし、大東亜戦争に至る亡国の道を歩むこともなかった。我々はただ、自己の身を守るためにやむを得ず朝鮮を獲り、朝鮮を守るためにやむを得ず満州を獲り、満州を守るためにやむを得ず華北を獲り、こうして次第に戦線を拡大してついには決定的な破局に遭遇したのである。よって今日、再び中国の内政が騒擾し、また彼らが弱い国に転落したとしたら、その余弊をもろに被るのはまたしても我が国なのである。

○中国脅威論の予測によれば、いまから十年後に米中の国力が逆転し、その結果、アジアで従来の覇権国たるアメリカないしはその属国と挑戦国たる中国の武力衝突が発生するという。しかしアメリカが南北を裏庭のような友好国に挟まれ、大西洋を挟んだ東隣りにはもはや「歴史の終わり」を迎えたEUがロシアとの緩衝国になっているのに対して、中国は四囲をロシアやインド、日本といったライバルに囲い込まれ、その内部には無数の反体制派や、自治や独立を主張する少数民族を抱えている。したがって、いくら中国の軍事力が伸長しているといっても、自然それは各方面に分散せざるをえない。その事実を考慮にいれず、太平洋に悠々艦隊を集中しているアメリカの脅威に目をつむるのはアンフェアである。

○残念ながら、大東亜戦争で一敗地に塗れた我が国は、戦後アメリカの犬になった。臆病で吠える勇気はないが、「ここ掘れワンワン」とシッポを振って、新たな飼い主であるアメリカに金貨をもたらす従順な犬にである。しかしどんな犬も、満足な餌を与えない飼い主のことをもはや主人とは思わないであろう。戦後のいわゆる「日米同盟」は、我が国が「自由と民主主義」を受け入れ、基地をアメリカに提供し、アジアから孤絶する引き換えとして、アメリカの豊沃な国内市場と西側の開かれた市場経済にアクセスする恩恵に浴するとという相互の利益に基づいていた。しかし現在、そして将来の我が国にとって経済的な恩恵をもたらす相手国はアメリカよりもアジア、なかんずく中国やインドである。とすれば「日米同盟」の基礎は溶解している。今日における我が国の道徳的荒廃は、アメリカから無批判に受け入れた「自由と民主主義」、そしてその根底にある西欧キリスト教的な個人主義道徳の帰結であり、恥知らずにも天皇陛下への忠誠を捨て去った国民の堕落した姿である。もはやこの恥辱と過去の怨念に値するだけの見返りがないとするならば、我々はいつまで連中の言いなりに甘んじていろというのか。

○アメリカがいくら覇権の黄昏にまどろんでいるといっても、いまだ世界の総軍事支出の過半をしめる超大国であることに変わりはない。よって彼らはこれからも貪欲に自己の価値と利益を世界に押し付けるだろう。しかしこれに対して、我が国がいくらアジア諸国との連帯と共存を主張したとところで、いまや強国となったアジア諸国は皮肉にも我が国を自主独立の気概に乏しく与するにたらない小国といって笑うだろう。下手をすれば、むしろ百年前の中国や朝鮮のように、我が国の弱さがアジアを舞台とした戦争の原因になるかもしれない。このように、国家にとって弱さは平和と秩序に対する罪悪である。したがって我々は、まずおのれの内に巣食う事大主義を克服し、しかるのちにアジアとの共存共栄に百尺竿頭の一歩を進めねばならないのである。

 

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