「本来の保守の理念を見失った安倍内閣」(『伝統と革新』第36号「安倍政権は日本を取り戻したか」)

今般「アベノミクスの継承」を掲げる高市早苗氏が自民党総裁選に出馬を表明されたのを機に、かつて『伝統と革新』第三十六号「安倍政権は日本を取り戻したか」に寄稿した拙稿「本来の保守の理念を見失った安倍内閣」を再掲します。PDFは画像をクリック。

言行相反の安倍内閣

平成二十四(二〇一二)年十二月に発足した第二次安倍内閣から足掛け八年が経過した。安倍内閣は、長期政権となったばかりでなく、首相の在任期間は、桂太郎を抜いて歴代一位になった。その意味では、歴史に残る首相と言ってよい。しかしその功績はというと、正直言ってあまり思い当たるものがない。

思うに、安倍首相の功績は、そのほとんどが短命に終わった第一次内閣で尽きてしまっているのではないか。平成十八(二〇〇六)年に発足した第一次安倍内閣においては、元来の主張である「戦後レジームからの脱却」を掲げ、防衛庁を防衛相に格上げし、戦後民主教育の元凶とされた教育基本法を初めて改正し、憲法改正のための国民投票法を制定し、従軍慰安婦を否定し、郵政造反組の復党を認めるなど、保守政治家のホープに相応しい功績を残した。残念ながら、その第一次内閣は、閣僚の不祥事や首相自身の健康問題、リーマンショックに見舞われ、僅か一年の短命に終わったが、称賛に値する功績を残したと思っている。

その後発足した民主党政権は、外国人参政権や夫婦別姓、対中韓「友愛」外交など、左翼的な政策を推し進めたことから、自民党の党首に返り咲いた安倍首相は保守色を強め、「日本を取り戻す」といって政権を奪還した。また、リーマンショックを引き起こした金融資本主義を「ウォール街中心の強欲資本主義」として批判し、「瑞穂の国の資本主義」を掲げて、民主党政権が推し進めたTPP交渉にも断固反対の姿勢を示していたのである。こうしたことから、満を持して始まった第二次安倍内閣は、真正保守内閣と期待された。

しかしながら、上述したように今に至るまでこれといった成果が見いだせないばかりか、かえって本来の保守的な信条に逆行する政策を推し進めている。以下にそのことを分野別に論じる。

国是なき外交と対米従属の強化

よく安倍外交というと、「世界を俯瞰する外交」などと言われるが、いまだに何のことかよくわからない。単に世界中を旅して、日本国民の税金をばらまいているようにしか見えない。首相自身が「結果じゃない、「動いている感覚」が大事だ」と言ったそうであるが、国民に「やってる感」を出すのが目的ということか。「自由や民主主義といった価値」を共有する諸国との連携を強め、台頭する中共に対抗するという戦略のようにも見えるが、肝心の盟主国であるアメリカでは、平成二十九(二〇一七)年に自国第一主義を掲げるトランプが大統領に就任し、中共との激しい覇権闘争を演じながらも、孤立主義の傾向を強めている。こうしたなかで、アメリカの同盟諸国も米中を天秤にかけており、中共が進める一帯一路戦略に便乗し始めている。当の安倍首相も一帯一路への条件付きでの協力を表明し、対中宥和政策に転じて習近平の国賓招致を推し進めた。

トランプ大統領の誕生は、対米自立の絶好のチャンスであったが、安倍首相はそのチャンスを活かさなかった。むしろ、トランプの当選後いち早くニューヨークのトランプタワーを訪れて貢物を献上し、恭順と忠誠を示したのである。こうした安倍内閣の従属姿勢は、アメリカからイージス・アショアのような「無用の長物」を向こうの言い値で購入していることなどにも表れているが、なかでも国民の記憶に新しいのが平成二十七(二〇一五)年に強行された安保法制である。この安保法制によって、これまで憲法で禁止されてきた集団的自衛権の行使が可能になり、事実上、憲法九条の改正は必要がなくなった。そのことは、安倍首相自身が、田原総一朗氏とのインタビューで「憲法改正の必要はなくなった」と述べ、その理由について「アメリカからの要求がなくなったから」と告白している。安倍首相は最近になって、九条改憲ではなく、「加憲」による自衛隊の明記を言い出しているが意味不明である。一方で戦争放棄と戦力不保持の条項を残しながら、自衛隊を付記すれば、自衛隊は戦力ではないと公言するのと同じであるだけでなく、自衛隊への違憲論争は終息するどころか、自衛体が戦力を有していることについて違憲の疑いが却って強まるのではないか。何れにしても、このような愚にもつかない「加憲」論が出てくること自体が、安倍首相のやる気のなさを物語っているように見える。

戦後の日米関係は、アメリカが日本を守る代わりに、日本は国内の基地をアメリカに提供するという相互の「取引」によって成り立ってきた。したがって、そのような関係は、「非対称」ではあっても、安倍首相ら改憲派がいうように「片務的」ではない。もし彼らがいうように、「日米同盟」を「対称化」するということが、同盟関係を「双務化」することにつながるというのであれば、我が国が集団的自衛権を解禁する代わりに基地の提供をやめ、在日米軍を撤退させるか、あるいは我が国もアメリカの国土に自衛隊基地を置かなければ「対称化」したことにはならない。ところが、アメリカのために集団的自衛権を行使するが、基地も提供するというのでは、単に我が国の義務を増やし、対米従属に拍車をかけたに過ぎないではないか。

本来、我が国は独立主権国家として、自分の国は自分で守るというのが大原則である。そのための自衛権であるが、大国政治の現実のなかで完全な自主防衛というのは出来ないから、個別的自衛権を補うものとして集団的自衛権というものがある。つまり、あくまで主は個別的自衛権であり、集団的自衛権は従なのである。ところが、安倍首相は、個別的自衛権を尽くさずして、集団的自衛権を目的化している節がある。

個別的自衛権の最大の問題は、「専守防衛」政策である。攻撃は最大の防御であり、攻撃力無くして防衛政策は成り立たない。先般、政府はアメリカから数千億で購入したイージス・アショアの配備停止を突如発表したが、ミサイル防衛システムという、いくら高性能な「盾」を以ってしても、移動可能な発射台からミサイル飽和攻撃を受けたら全てを打ち落とすことはできない。しかし、たとえ一発でも命中すれば致命的なのである。そこで敵からの第一撃を阻止するためには、先制的自衛権を発動して敵基地を攻撃するか、仮にミサイル攻撃を受けた場合に倍返しで反撃する「報復攻撃力」を備えていなければならないが、我が国の基本的防衛戦略である「専守防衛」は、そのような「矛」の保有と矛盾する。

安倍首相は、中国の海洋侵略に対抗し、西南方面の国境離島に自衛隊を配備し、護衛艦「いずも」を空母化し、日本版海兵隊ともいうべき水陸両揚師団を創設するなどしたのは評価すべきであるが、肝心の「専守防衛」戦略はいまだに見直していない。

このように個別的自衛権の確立を後回しにして、アメリカの要求に基づく集団的自衛権の行使解禁を優先した結果もたらされるのは、際限なき対米従属である。今年は岸信介首相による安保改定から六十周年であるが、安保改定と同時に締結された「昭和の不平等条約」とも呼ぶべき占領遺制である日米地位協定は、孫の安倍首相になっても指一本触れられていない。この地位協定の下で、我が国は在日米軍に「治外法権」を認め、首都圏上空の広大な空域を米軍の管制下に置くなど、属国的地位を強いられている。

安倍首相は、プーチンとの北方領土返還交渉において、これまでの四島一括返還ではなく、歯舞・色丹の二島先行返還にシフトとしたが、その際、プーチンは、日米地位協定における「全土基地方式」(アメリカが好きな時、好きな場所に、好きなだけ基地を置ける)のもとでは、返還した北方領土に米軍基地が置かれかねないことへの強い懸念を表明した。

このように、現在の従属的な対米関係が、我が国の対アジア自主外交を妨げているのであるが、こういうと、直ぐに安倍支持者から、中共による覇権主義的軍事膨張や北朝鮮による核・ミサイル開発の脅威が増大するなかにあって、早急な対米自立論は中共による侵略のリスクを高めるだけだといった反論がくる。たしかに、鳩山由紀夫のような抑止力の根拠なき反米思想や東アジア共同体論は有害無益であり、一足飛びに対米自立するなどということはもちろん不可能であるが、アメリカの覇権が衰退し、トランプ政権が孤立主義に回帰しつつあるなかで、我が国の自主独立は、中共の封じ込めを図るアメリカの国益とも合致する。よって、安倍首相は、アメリカとの協調関係を維持しつつも、対米自立に向けた戦略的段階論やロードマップを提示するのが、独立国の宰相として当然の責務ではなかったか。しかしながら、安倍内閣の外交には一定の方針がなく、目先の経済成長に囚われた結果、我が国は米中の狭間を彷徨い、ついには事大主義国の宿命として、埋没の末路を辿りつつあるように思えてならない。

「河野・村山談話」の踏襲

次に、歴史認識の問題である。

平成二十五(二〇一三)年十二月二十六日、安倍首相は、首相になって初めて靖国神社を参拝した。短命に終わった第一次安倍内閣で靖国参拝が叶わなかったことを「痛恨の極み」と述べていた首相にとって、第二次内閣発足から一年にしての参拝は、満を持しての参拝であった。

周知のように、首相の靖国参拝については、中国や韓国など特定のアジア諸国からの反発があり、それを意識してか、安倍首相は靖国参拝に際して、境内にある、靖国神社に祭られていない外国人を含むすべての戦死者を慰霊する鎮霊社を併せて参拝し、今回の参拝が、過去の戦争を正当化するものではなく、不戦の誓いを新たにすると共に、「自由と民主主義」のために亡くなった全ての戦死者を慰霊するものであることを強調した。しかし、靖国の英霊は「後に続く」を信じて戦ったのであり、靖国神社は「不戦の誓い」を立てる場ではない。また靖国の英霊は、「国体護持」のために戦ったのであり、「自由と民主主義」のために戦ったのではない。むしろ大東亜戦争は、アメリカが唱道する欺瞞に満ちた「自由と民主主義」との聖戦であったのだ。ところが、それを英霊は「自由と民主主義」のために戦ったなどと、全くあべこべな解釈をするのは、歴史の歪曲であり、英霊に対する冒涜ですらないかと思える。

このように、安倍首相の靖国参拝は、周辺国の批判を避けるため、用意周到な工夫が凝らされ、ときあたかもTPP合意や普天間基地の辺野古移転が決まるなど、対米関係が良好ななかで行われたのであったが、当時のオバマ政権は、首相の参拝に対して「失望した」との声明を出した。すると、この「失望」声明から、わずか三か月後の平成二十五(二〇一四)年三月十四日、首相は、衆議院予算委員会において、我が国による植民地支配と侵略、さらには「従軍慰安婦」への反省と謝罪を表明した「河野・村山談話」を公式に踏襲したのであった。

いまさら言うまでもないが、かつての安倍首相は、若き保守派のリーダーとして、東京裁判史観に基づくアジア侵略史観、自虐史観を否定し、河野・村山談話に対する批判の急先鋒に立ってきた。こうした首相の歴史認識は、第一次安倍内閣において、慰安婦問題に関する辻本清美の質問主意書に対して、「軍の強制連行の証拠がない」との答弁を閣議決定したことなどにも現れていた。しかし、その後、米国内で反日ロビー活動が活発化し、安倍首相の歴史認識への懸念が強まると態度を軟化させ、閣議決定と同月には慰安婦への「同情とお詫び」を表明するに至った。こうしてみると、変節はいまに始まったことではない。

平成二十六(二〇一五)年のいわゆる「日韓合意」によって、慰安婦問題への「最終的かつ不可逆的」な解決が図られた。このとき安倍首相は、「従軍慰安婦」の存在を認め、謝罪するとともに、事実上の追加賠償である十億円を慰安婦支援の財団に拠出した。しかしその後も、韓国は合意を履行して日本大使館前の慰安婦像を撤去しないばかりか、釜山公使館前を始めとして世界各地に新たな慰安婦像を設置し、さらには徴用工問題で日本企業を提訴するなど、反日運動は底止するところを知らない。こうした韓国の不誠実な態度に対して、安倍内閣は、韓国政府を批判し、日韓通貨スワップの停止などの対抗措置を講じたが、韓国が合意を守らないことは、対日請求権の最終的解決を定めた日韓基本条約を反故にした時点で分かっていた。それよりも、安倍内閣が「河野村山談話」を踏襲し、「従軍慰安婦」の存在を認め、屈辱的な謝罪と賠償をあえてしたということの方が問題だ。

アベノミクスの挫折

次に、経済政策の問題である。

安倍内閣の経済政策といえば、「アベノミクス」である。第二次安倍内閣は、デフレからの脱却を最優先課題に掲げ、大胆な金融緩和、機動的な財政出動、成長戦略の「三本の矢」を柱とする経済政策を掲げた。日銀は黒田総裁のもとで、二年で二%のインフレ目標を設定し、「異次元の金融緩和」によって、マネタリーベース(貨幣供給量)を十二年末の一三八兆円から二年後には二倍の二七〇兆円に増やし、長期国債やETF(上場投資信託)の購入も二倍に増やした(十三年三月に一三五兆円が十五年三月には二九六兆円)。また政府は、積極的な財政出動を行い、十三年度のGDPベースの公的資本形成(公共投資)は八・六%もの増加になった。成長戦略に関しては、「日本再興戦略」を策定し、規制改革による供給サイドの強化を図った。これらの政策により、十二年度以降の消費者物価はマイナスからプラスに転じ、株価も就任前の九〇〇〇円から十三年度末には一五〇〇〇円まで上昇、失業率や有効求人倍率なども改善した。

しかし、上述したように、マネタリーベースが倍増した一方で、マネーストック(非金融機関での貨幣供給量)は十三年三月の一一五〇兆円から十五年三月の一一七七兆円とほとんど増えておらず、日銀マネーは金融機関に滞留し民間への貸し出しや需要喚起にはつながらなかった。本来、こうした景気の後退局面においては、政府が積極的な財政出動を行い、有効需要を創出せねばならないが、安倍内閣では財務省を中心とした財政規律派がプライマリーバランスの黒字化を主張し、公共投資は十四年度には二・〇%、十五年度には一・六%減少した。そればかりか、消費税率が十四年四月には五%から八%へ、十九年十月には八%から十%に引き上げられたことで消費が落ち込み景気回復を遅らせた。消費増税の一方で、法人税率は段階的に引き下げられ、一部の大企業には租税特別措置や輸出還付金などの特典が認められている。中央大学の富岡幸雄教授によると、大企業優遇の不公正な減税相当額は五%分の消費税額(九・四兆円)に相当するという。

これらの結果、日銀の「異次元緩和」にもかかわらず、生鮮食品を除いた消費者物価指数(コアCPI)は十七年で〇・五%、十八年で〇・九%、十九年で〇・六%の上昇に止まり、さらにエネルギー価格の上昇を除いた指数(コアコアCPI)では十七年で僅か〇・一%、十八年で〇・四%、十九年で〇・六%と、目標の二%には遠く及ばなかった。

内閣発足以降の七年間で、日経平均株価は二・三倍になったが、それは実体経済を反映したものではなく、日銀やGPIF(年金基金)による「官製相場」とも言われている。また金融機関に滞留した日銀マネーが、ヘッジファンドなどへの融資を通じて海外の投機筋に流れ、円安に乗じた日本株の買い叩きが進んだともいわれる。いまや我が国の株式取引(フロー)にしめる外国投資家の比率は七割に達し、彼らは株高によって莫大なキャピタルゲインと配当を手に入れる一方で、投資先の企業には高い自己資本比率(ROE)を要求し、労働分配率は低下して、労働者の実質賃金も低下し続けている。かくしてグローバル資本・大企業による国民・中小企業の搾取という現代版搾取の構図が成立しているのである。

第三の成長戦略であるが、第二次内閣の発足に際して、安倍首相はリーマンショックに露見した「ウォール街中心の強欲資本主義」を批判し、「瑞穂の国の資本主義」を標榜して政権の座に就いた。ところが、その後の安倍内閣は、成長戦略の名のもとに、新自由主義的な規制改革を推し進めている。いまその事例を挙げれば、入国管理法の改正(第二次内閣発足時から外国人労働者は一〇〇万人増加した)、国家戦略特区法改正、TPP、農協の解体や農地法の改正、種子法の廃止など一連の農業改革、水道法や漁業法の改正、労働規制緩和など、枚挙に暇がない。最近では、コロナのドサクサに紛れた種苗法の改正が試みられたが、世論の反対で見送られた。(平成三十年四月における種子法(主要農作物種子法)の廃止を受けて、筆者は同志等と共に、安倍首相に対して「安倍首相に対して種子法廃止に抗議し、同法復活と併せて必要な措置を求める要望書」を提出した。この種子法の廃止は、我が国での市場拡大を狙うモンサントなどグローバル種子企業とアメリカ政府の外圧によるものであり、稲作を中心とする我が国の農業を破壊する売国的所業である。要望書の全文は、『不二』平成三十年九月号に掲載頂いたのでそちらをお読み下されたい。)

こうした規制改革は、①賃金や物価の下方硬直をもたらしてデフレを助長する②農村や地方社会、家族などの伝統共同体を解体し、東京一極集中を加速し、孤独と貧困、格差の問題を深刻化するといった点で問題であるが、さらに悪質なのは、内閣に巣食う一部のレントシーカー(利権屋)が、アメリカやグローバル資本と結託して、政府の規制改革によって生まれた利権を私物化していることである。なかでも、その首魁と目される竹中平蔵氏は、内閣の産業競争力会議(現未来投資会議)や国家戦略特区諮問会議の民間議員を務めながら、自らが会長を務める人材派遣会社のパソナや社外取締役を務めるオリックスに対して露骨な利益誘導を行っている。竹中氏は、アメリカによる「年次改革要望書」にしたがって、小泉構造改革を押しすすめ、我が国社会を格差で引き裂いた張本人だ。そのような曰くつきの人物を、いまだに政府内に温存している安倍首相もまた、同じ穴のムジナということである。

このように、安倍首相は政権内部の新自由主義者を野放しにし、「瑞穂の国の資本主義」に逆行する政策を押しすすめ、「日本を取り戻す」どころか、グローバル資本に「日本を売り渡す」政策を推し進めている。

終わりに

今般のコロナショックで、安倍内閣は対応を誤り、国民の支持を失った。目先のインバウンド消費や、オリンピックに固執したことで初動の水際対策が遅れ、国内での感染拡大を招いた。また今回のコロナショックで、最も打撃を受けているのは、いまや全労働者の四割を占める非正規労働者である。「世界恐慌以来」、「戦後最悪」といわれる未曽有の経済ショックのなかで、不安定な雇用環境にある彼らは、解雇や雇止め、長期の休業に直面し、生活の困窮に陥っている。非正規雇用の拡大は、別に安倍内閣に始まったことではないが、安倍内閣による一連の新自由主義的労働規制緩和が、そうした潮流に棹を差したことは間違いない。今回のコロナショックは、一感染症の蔓延に止まらず、ヒトモノカネと共にウィルスまでもが自由に行き来するグローバル資本主義のリスクや弊害を浮き彫りにするものであった。本来であれば、それへの反省は保守の側から出てくるはずであったが、国家を否定するリベラルの専売特許になっているのが口惜しい。まさに右の売国、左の亡国である。

とはいえ、私も政治家の端くれであるのだから、他人の批判ばかりをしていても仕方がない。問題なのは私がどう行動するかである。それはネオコン(保守の仮面を被った新自由主義者)でも、リベラルでもない、真正保守の勢力を結集して、我が国を真の独立に導くことである。これは並大抵のことではないし、これまで多くの殉教者を出したことも知っている。しかし、生き変わり死に変わりして「七生報国」の精神で戦えば、大願は必ず成就すると信じている。だから皆さん、諦めないで一緒に頑張りましょう。

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「東京オリンピックに異議あり—首相官邸前で東京オリンピックに反対する緊急街宣を敢行」(『国体文化』令和三年九月号)

日本国体学会の機関誌『国体文化』(令和3年9月号)に、先日の首相官邸前街宣に関する報告記事(「東京オリンピックに異議あり—首相官邸前で東京オリンピックに反対する緊急街宣を敢行」)が掲載されました。

 

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大東塾の機関誌『不二』で「真木和泉守論」の連載を開始

大東塾・不二歌道会の機関誌『不二』(令和3年6月号)で真木和泉守の連載を開始しました。真木和泉守は明治維新における王政復古の立役者です。私が学んでいる崎門学の影響も受けております。ご一読下されば幸いです。

 

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真木和泉守略年表

真木和泉守は文化十年(1813)、久留米水天宮神主真木施臣通称左門の長男として生まれた。幼名を湊と称した。

・文政六年(1823)、十一歳の時に父施臣が病没し家督を継いでからは名を保臣と改め紫灘と号した。

・天保三年(1832)、京都において神祇官領吉田氏より大宮司の状を受け、従五位下和泉守に叙任された。真木和泉守と称するのはこのためである。

・弘化元年(1844)、三十二歳の時水戸に遊学して会沢正志斉と会見し水戸学の影響を受ける。久留米に戻ると、久留米水戸学派である天保学派の領袖となる。

・弘化三年(1846)、藩主有馬頼長に『敢言草稿』等を上書して藩政改革意見を述べた。

・弘化四年(1847)、在京の友船曳巌の手引きで孝明天皇の即位式を拝観し、野宮定功等堂上公家の知遇を得る。この年から楠公祭の記録が見える。

・嘉永五年(1852)、久留米天保学派の同志が藩要路の人事刷新と藩政改革を図るも失敗し、「嘉永の獄」に連座する形で水田天満宮祀官であった弟大鳥居啓太の家に蟄居を命じられる。後に草庵「山梔窩」に移り文久二年二月まで十一カ年に亘って幽居する。その間、子弟に会沢正志斉の『新論』などを講義する傍ら、淵上郁太郎等の弟子を張耳飛目させて内外の情報収集に努める。『異聞漫録』はその記録である。

・安政五年(1858)には王政復古の経綸である『経緯愚説』を草して野宮定功への上書を試みると共に、倒幕挙兵の具体的計画である『大夢記』を草す。

万延元年(1860)三月、桜田門外の変が起こる。これを受けて討幕策である『密書草案』を草す。同年九月には初めて平野國臣が松村大成と共に山梔窩を訪れ形勢について和泉守と密談する。

・文久元年(1861)九月、尊皇攘夷論の根本を叙した『道辨』、子孫への教戒を記した遺書ともいうべき『何傷録』を草す。平野、清河八郎等の志士陸続来訪す。

同年十二月『義挙三策』を草し、討幕の具体策を述ぶ。

・文久二年(1862)二月、薩藩柴山愛次郎、橋口壮介来訪す。入薩を決意し水田を脱出する。鹿児島に着し有馬正義、田中謙介と会見する。慇懃に抑留される。

四月、大阪に着いたが同月二十三日の「伏見寺田屋の変」が起こり有馬等は殉死、和泉守は京都の薩藩邸に拘置される。後、大阪、久留米に護送されたが朝廷の沙汰により赦免される。

・文久三年(1863)、『上孝明天皇封事(孝明天皇に上る封事)』、『勢、断、労三条』を草す。反対党の力で死地に立ったが学習院における堂上や長藩、津和野藩主の働きかけにより囚を解かれる。六月、長州の桂小五郎と会見し『五事建策』を説明し、討幕親征の方針が決まる。大和行幸が決まるも「八月十八日の変」が起こり七卿に従って長州に下る。『興国新策』を毛利侯に呈す。

・元治元年(1864)三月、和泉守及び久坂玄瑞が総管する清側義軍の総員三田尻を発船する。七月、禁門の変に敗れ天王山に退く。久坂等戦死す。同月二十一日、和泉守以下十七士天王山頂にて自刃す。

・明治二十一(1888)年、靖国神社に合祀さる。

※小川常人『真木和泉守の研究』をもとに作成

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今回の市長選挙に関する私の考え―浦安市長選挙の三大テーマと主要政策

〇今年三月は市長選挙。コロナ禍での強いリーダーシップが問われる

今年は3月に四年に一度の浦安市長選挙が行われます。現時点では、現職の内田市長の他に、松崎前市長も出馬を表明されています。松崎前市長は五期目の任期途中で突如県知事選挙に立候補されましたが、18年にも及ぶ長期政権のなかで東日本大震災での迅速果断な対応を評価する声がある一方、音楽ホールなどの様々な疑惑が残されたまま市政を去られたことについては、公職への復帰を目指される以上、市民に対して説明を尽くす必要があると思います。また一方の内田市長についても、過去四年間の成果が問われると共に、コロナ禍という未曽有の非常事態に立ち向かうリーダーとしての資質が厳しく問われることになります。

〇市長選挙の三大テーマとは?

そこで私は今回の市長選挙のテーマは以下の三つではないかと思っています。それは第一に、松崎前市政からの「継続と刷新」を掲げて出発した内田市政が、前市政の正の遺産を「継続」し、負の遺産を「刷新」できたかという点です。第二に、今般のコロナ禍という非常時に際して、内田市政が独自の検査体制の構築や中小企業や生活困窮者への支援など、市民に寄り添った迅速果断な対応が出来たかという点です。またコロナショックによる目下の財政危機に対して経費削減や公有財産の活用を含む大胆な行財政改革が断行出来たかという点です。そして第三に、基幹産業である観光業が打撃を受ける中、市の新たな付加価値を生み出す中長期的な発展戦略を打ち出せているかという点です。

〇内田市政は松崎前市政からの「継続と刷新」できたか。

第一の点に関しては、松崎前市政は人口が若い割に出生率が顕著に低い(1.12)本市の特性に鑑み、卵子凍結や市を挙げた婚活支援、少子化対策基金の創設などの少子化対策に力を入れたことは「継続」すべき取り組みでした。しかし、内田市長は就任当初の「事業総点検」で効果が薄いとして婚活支援を中止し、少子化対策基金も廃止したことは残念な「刷新」でした。(参考:少子化対策基金の廃止に反対する理由)一方で、松崎市長の下で副市長を務めた石井氏が内田市長になっても三年間現職に留まり続けたことは、内田市長が松崎前市長の負の遺産を「刷新」する上での大きな妨げになったと思います。

例えば、松崎市長が作った音楽ホールについては、土地の「等価交換」をめぐる不透明な経緯や、30年間で総額150億円という巨額の税金を費やす事業が松崎市長のトップダウンで推し進められたことについて未だに多くの市民が疑惑を抱いております。しかし内田市長が設置した「音楽ホール検証委員会」は、前市政当局の責任者である石井副市長を委員長に据え、他の委員も全員が市の職員から成る公正さを欠いた委員会であり、様々な疑惑に対して真摯な検討がなされぬままなし崩し的に事業の「継続」が決定されてしまいました。これに対し私は市議会で検証委員会に代わる「特別委員会」の設置を発議しましたが反対多数で否決されました。(参考:音楽ホール特別委員会設置発議及び採決結果(12.20)

同様に、私は市街地液状化対策についても、格子状工法が住民合意を得られず失敗したことを受けて、地下水工法に関する「高洲実験」の信憑性を検証し直すべきではないかと訴えましたが、松崎前市長の下で格子状工法での液状化対策を推し進めた張本人である石井副市長が在職であったこともあり、問題に蓋をする形で議論が終結してしまいました。(参考:12月20日一般質問・答弁要旨2市街地液状化対策について)このように、前市政からの「継続と刷新」に関しては疑問符が付きます。

〇「顔が見えない」市長

第二のコロナ対応についてですが、今般のコロナ禍においては、多くの市民が生活に困窮し、ディズニーや飲食店(屋形船を含む)を始めとする多くの市内企業が甚大なダメージを受けております。こうしたなかで、内田市長も経験したことのない異常事態のなかで試行錯誤を重ねられたこととは推察しますが、全体として「市長の顔が見えない」との声が多く聞かれました。対照的に県知事選に出馬表明されている熊谷千葉市長はSNSなどを活用して市民とのオープンな対話・議論を重視し、かといって市民に迎合することなく自らの考えを自らの言葉で市民に発信し続けています。こうしたことからもコロナで苦しむ市民に寄り添い市民の声に耳を傾ける姿勢の違いが浮き彫りになったと思います。(参考:浦安市長と千葉市長のコロナ対応比較)またそうした姿勢の違いは、熊谷市長がデジタルを駆使して市民との直接対話を重ねられていることについて、内田市長が議場で「暇人だから」と言い放ったことにも象徴的に表れていると思います。私も先日、コロナによる延期が決定したディズニーでの成人式について独自にアンケートを実施し、その結果を市の公式ツイッターにコメントしたところ、市の企画部長から電話があり削除を求められました。本来オープンなツールであるツイッターにコメントしただけで削除を求めるこの企画部長の傲慢な態度にこそ当局の閉鎖性とデジタル活用に対する認識の問題性が現れていると思います。

〇立ち遅れる感染対策―問題意識と危機感の欠如

感染対策については、国や県の検査体制が立ち遅れる中、PCR検査への補助など独自の対策を打ち出す基礎自治体が現れております。こうしたなかで内田市長も浦安市独自のPCRセンターを開設しましたが、週に2日のみ稼働で一週間の検査件数は僅かに5.3件であり、殆ど感染対策の意義を成さないまま昨年八月末を以て閉鎖されました。昨年の9月議会では当局は市内のPCR検査を含む検査が一週間で700件受験可能と答弁しましたが(参考:浦安市PCRなどの検査件数を700件に拡大)、その後第三波が到来し感染者が急増するなかで開かれた12月議会で実際の検査件数を質問したところ、市は正確な数字を把握していませんでした。

私は市議会において、現在のように医師の診察がなくても、少なくとも医療従事者や介護施設の職員、教育従事者といった人々の命を預かるエッセンシャルワーカーに対しては、PCR検査よりも「安くて速い」抗原検査なども活用しながら、無料で検査が受けられる体制の構築を強く要望して来ましたが、危機感と問題意識のない当局は聞く耳を持ちませんでした。感染対策に関しては、保健所を管轄する県や地元医師会、病院間での緊密な連携と情報共有が不可欠です。しかし残念ながら市の対応は県任せで危機感と主体性が欠落していると言わざるを得ません。

これに対し、松崎前市長は出馬会見で本市独自の保健所設置を公約に掲げられています。これは隣の市川市が中核市に移行し独自の保健所の設置を目指していることに対応したものです。中核都市に移行するには人口が20万人以上といった要件があり本市(17万人)は無理ですが、中核市でなくとも国との個別の協議によって独自の保健所設置が可能です。とはいえ浦安市より少ない人口で独自の保健所を持っているのは全国でも小樽市(11万人)のみであり、実現のハードルは決して低くありませんが、こうした前向きな方針を果断に打ち出せるのも松崎前市長の強みです。(参考:浦安市独自の保健所設置の可能性について

〇コロナショックに対する飲食店支援も不十分

周知の様にコロナショックでは、ディズニーや市内ホテルが長期休業に追い込まれ、また屋形船や市内飲食店を始めとする市内企業は深刻なダメージを受けています。こうしたなかで内田市長は、市内中小企業への支援策として、主に①経営安定化資金(貸付)の拡充(貸付限度額1,500万→3,000万円に拡大、利子補給、2年間据置)②事業継続給付金(売上50%以上減少した企業に10万円給付、支給対象はR2.9月時点で600社6,000万円)③地域応援チケット(1人2,000円の商品券配布、支給対象は約17万人で3.4億円)等が実施されました。

しかし、経営安定化資金は所詮貸付であり利益が出なければ返済も行き詰まります。また給付の事業継続給付金も浦安市は10万ですが、隣の市川市では20万円、習志野や柏、鴨川でも20万円、我孫子や香取、成田などでは30万円、松戸や南房総では100万円と大きな差がありました。全国屈指の財政力を誇る割には給付額が少ないと思われた市民は多いのではないでしょうか。

さらに地域応援チケットも、利用内訳は大型店舗が56%、小型店舗は44%。業種は食糧・小売が82%、宿泊飲食16.1%、生活娯楽教育が1.8%と、大型小売店での使用に集中しているようです(令和2年9月議会時点)。こうした結果を見ると、コロナショックで最も大きなダメージを受けている飲食店への支援が十分に行き渡っていない現状があると思われます。

いうまでもなく本市はディズニーやホテル、屋形船などの観光業が基幹産業ですが、内田市長はこれまで本市の経済を支えてきた基幹産業への支援を十分に果たしてきたと言えるでしょうか。例えば、厳しい経営状況に直面するホテルに対して、熊谷市長率いる千葉市では、昨年4月からいち早く「ホテルでのテレワーク割引制度」を打ち出し、利用料金を3000円割引するなどの支援策を実施しました。千葉市のホテル客室総数が9,400なのに対して本市は11,000。市民のテレワーク需要も高まるなかで、むしろ県内最多のホテル客室を擁する本市こそ先陣を切ってホテル支援に乗り出すべきではなかったでしょうか。また飲食店への支援についても、今回のコロナ禍では「ダメな」自治体と「できる」自治体の落差が歴然と現れました。例えば、文京区、横浜市、平塚市、流山市、江東区などの自治体は昨年四月の段階から地元商店街やベンチャーと連携し、テイクアウト情報サイトや区民による宅配ボランティアなどの取り組みをいち早く実施しています。こうした行政によるイニシアティブが本市では感じ取れないのは大変残念なことです。(参考:コロナが晒した「ダメな自治体」「できる自治体」

〇未曾有の財政危機に対し行財政改革を断行する決断力が求められる

ところで、今般のコロナショックの影響で、昨年の市税収入は法人市民税で20億円減少し、本年はこれに加えて昨年度の市民所得を基に算定される市税収入も10億円以上減少するとの予測が当局によって示されました。さらに市の貯金である財政調整基金の残高も市が健全財政を維持するために必要とした50億円を割り込む勢いで減少し、一般財源への繰り入れが困難になっていることから本年度の予算では財源が約60億円不足しているとの説明が当局からなされています。

こうしたなかで、内田市長は昨年、本年度当初予算編成方針を示され、経常的経費を全体で1割(約60億円)削減し、そのうち物件費と補助費をそれぞれ2割、総額50億円削減するとの方針を表明されました。問題はこの目標を単なる努力目標に終わらせることなく如何に実現するかです。目下における未曽有の財政危機を乗り越えるには、歳出削減の為の行財政改革を断行する市長の決断力と強いリーダシップが求められます。経常的経費の1割削減にしても、この目標を現実に達成するためには、物件費や補助費のみならず人件費(143億円)の見直しも含めた聖域なき議論が必要です。(参考:市政報告第十八号(令和2年10月号)

特に本市の職員給与は、「東洋経済オンライン」の実施した全国自治体職員平均年収ランキングで全国1位との報道もなされており(参考:浦安市職員の平均年収は全国トップ、765万円)、コロナ禍で一般市民が困窮し、市財政が悪化するなかで公務員だけ安泰というのでは到底市民の理解も得られません(すでに市長、副市長、教育長、市議会議員は報酬を1割削減しておりますが、全職員を含めた人件費の見直しが必要です)。同時に、歳出削減の為には、既成の事業や施策を停止または中止する勇気も必要です。内田市長も、コロナ対策として不要不急の事業を停止するとしましたが、市長の肝いり政策で16.5億円の工費を要する「子ども図書館」整備事業については、来年度以降への先送りは決定されたものの未だ正式な事業の中止は表明されておりません。(参考:(仮称)子ども図書館は中止ではなく一時中断)私は箱物事業としての「子どもと図書館」はもはや不可能になったと考えています。市長の最終決断が待たれます。

〇公有財産の戦略的な活用による新たな財源獲得を!

このように市税収入の大幅な落ち込みによる財政危機に対して大胆な歳出削減努力が求められる一方で、公有財産の戦略的な活用による新たな財源獲得のための努力も不可欠です。その象徴的な事例が新浦安駅前プラザ・マーレ一階にあるチャレンジショップです。これまで市は、このチャレンジショップについて、新たな創業を支援するとし、マーレ一階の店舗スペース(66坪)を一年間無償で提供し、さらには光熱費の半分を負担して来ました。しかし新浦安駅前ロータリーに面した一等地に位置するこの店舗スペースをテナントに貸し出せば年間数千万円もの賃料収入=新たな財源を見込むことが出来ることから、私は議会でも現在のチャレンジショップ事業の見直しとマーレの有効活用を市に求めてきました。しかしながら、市はこれまでの事業成果を十分に検証することなく、チャレンジショップの継続を決定したことは遺憾と言わざるを得ません。他にも内田市長が約2億円をかけて作った三番瀬環境観察館も、市民に有料のテレワークスペースとして開放したり、民間と連携しておしゃれなカフェを入れたりすれば、幾らでも収益源として活用できる筈です。(参考:浦安「三番瀬環境観察自然園」について総まとめ!)こうした新たな財源獲得の努力も尽くさずして、市から「お金がない」と言われても市民は納得しないのではないでしょうか。

〇浦安の将来を切り開く中長期的な発展戦略を示せ

以上で私が提案した方策は、当面の財政危機を乗り越えるための短期的施策と言えますが、浦安の繁栄を切り開くためには、中長期的なスパンでの発展戦略が求められます。それが今回の市長選における第三のテーマである将来に向けた発展戦略についてです。内田市長は令和元年に20年スパンの基本構想と10年スパンの基本計画からなる新総合計画を策定されました。コロナが来る以前から、本市は急速な高齢化による人口構造の変化、80年代に作った学校や公民館などのインフラの老朽化により歳出の増加圧力が強まり、既に総合計画策定時点で令和6年には財政が歳出超過に転じるとの予測が示されておりました。これは数字で見ても、平成26年に143.6億円あった財政調整基金の残高が令和元年には86.2億円にまで減少する反面、地方債残高は175.9億円から290.9億円と急速に増加していたことなどにも現れていました。(参考:浦安市の財政状況について―他市との比較)今回のコロナショックで財政悪化傾向は一気に強まりましたが、何れにしてもこれまでの右肩上がりの成長が終焉し転換点に立つ本市は、都市としての新たな付加価値を打ち出し戦略的な生き残りを図る時機に際会していることは間違いありません。

〇教育改革こそ発展の基だ

そこで私は、本市の中長期的発展の鍵を握るのは①公教育改革による全国屈指の教育水準の実現②国や地元企業、べンチャーキャピタルと連携したスタートアップ・エコシステムの構築にあると考えます。まず①の公教育改革についてですが、戦後我が国の公教育は自国の伝統や文化を否定し、「教育機会の均等」の名のもとでの悪平等教育がまかり通ってきました。しかし我が国が厳しい国際競争のなかで生き残り、誇りある国家としての栄光を勝ち取るためには、自国の伝統文化に誇りを持ち、個人の能力や才能を最大限に引き出す公教育を実現せねばなりません。さもなくば、教育格差はどんどん拡大し、我が国の将来を担う若者たちは、無気力と貧困の淵に沈んでしまいます。本市としても、公教育の形骸化は優秀な子弟の市外流出を加速し、市民間の教育格差を拡大させると共に、故郷意識の形成に支障を来すと考えられます。そこで方策として、小中一貫校の創設が挙げられます。これは義務教育課程を統合することで、従来の学級や学年に囚われず個人の学習段階に応じたカリキュラムを提供することが可能になります。公教育改革による教育水準の向上は、教育意欲の高い子育て世帯を呼び込み、市税収入の増加にもつながります。

また我が国の伝統文化に誇りを持てる教育についても、私はこれまで乃木大将と浦安との所縁(参考:浦安と乃木大将)や拉致問題への啓発、尖閣諸島に関する領土教育(参考:『石垣尖閣情勢視察報告書』を提出)、祝祭日の由来や意義に関する教育(参考:【動画】祝祭日の意義に関する教育についての質問(令和2年12月17日))などを引き合いに出しながら手を変え品を変え議会で質問し、子供たちが正しいし歴史観や国家観を培えるような教育の実現を市に求めて参りました。ところが昨年8月に行われた四年に一度の教科書採択では、残念ながら無国籍主義の歴史公民教科書(歴史は帝国書院、公民は東京書籍)が採択されてしまいました。しかし、愛国心のない人間は真の国際人やグローバル人材にはなれません。浦安から世界で活躍する人材を輩出するには我が国に誇りが持てる教育を実現せねばなりません。

〇市を挙げたスタートアップ支援の必要性

次に②のスタートアップエコシステムの構築については、本市も商工観光課や商工会議所が主体となった創業支援を行っています。しかしチャレンジショップの運営など、行政側の制度設計やイニシアティブが不十分なためにいまだ効果的な事業・施策にはなっていません。先にコロナで苦しむ飲食店を支援する為に、テイクアウト情報サイトやデリバリーボランティアに乗り出す自治体が出ていると述べましたが、なかでも横浜市は、フードデリバリーを手掛ける地元ベンチャーと商店街、市が連携して「うまいぞ!横浜」プロジェクトを展開しています。しかしこれも一朝一夕で実現したことではなく、時代に先駆けた横浜市のスタートアップ集積、大企業や研究開発拠点の構築といったエコシステム構築の取り組みがありました。(参考:横浜市と地元スタートアップが連携したフードデリバリーサービス「うまいぞ!横浜。」プロジェクト)インキュベーションやイノベーションを促すには、時代の先を見越したリーダーが率いる行政のイニシアティブと、地元企業や商店街、大学、ベンチャーキャピタル、知力ある市民、そして地元愛に溢れたスタートアップなどが有機的に連携したエコシステムの構築が不可欠です。そして浦安の場合、そのためのスタートアップ支援拠点としてマーレを活用するなどの方策を真剣に検討すべきです。本市の基幹産業である観光業がコロナで揺らぐ中にあって、本市もスタートアップ支援に本腰を入れることで将来を担う新たな産業を創出せねばなりません。

以上、今回の市長選に関する三つのテーマ、すなわち第一に内田市政は松崎前市政からの「継続と刷新」が実現できたか、第二に内田市政のコロナ対策(感染対策、経済対策)は十分であったか、第三、中長期的な将来の発展戦略を描けているかについて見てきました。そのなかで、幾つか政策提言もしましたが、前述した以外にも、今後30年以内に7割以上の確率で発生するとされている南海トラフ地震や首都直下型地震への対応やフードロス削減の為のフードシェアリング、AI婚活の導入、行政手続きのデジタル化、情報公開の促進など、山積する政策課題は多岐に渡ります。

何れにしても今回の市長選挙が、これまでのような地縁血縁、義理人情の選挙ではなく、政策論ベースで多くの市民が議論に参加し浦安の発展に寄与する選挙になることを切に願っております。

 

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