【再掲】草開省三先生(東方国際学院院長)に聞く―朝鮮と李方子妃殿下について(平成23年2月、呉竹会『青年運動』)

東日本大震災での義援活動を謝する草開先生の話に涙ぐむ朴槿姈女史、右は安長江先生

我が国の朝鮮統治について

明治天皇様が「一視同仁(いっしどうじん)」と思し召されたのは大変深い哲学であり、それは日本人に百万円やったから朝鮮人にも百万やるといった経済的種類の平等ではなく、相手のメンタリティー(精神構造)をちゃんと理解して、それに配慮した統治をやるといった精神的性格のものです。この精神政策の点で、日本は安重根が糾問したようにいささかの不備がありました。言うことをきかないから力づくで支配するという武断的な統治に陥りました。これは明治天皇様のご聖旨にもとることですから、真摯に反省すべきです。

例えば、明治天皇様が朝鮮併合の詔を出されたとき、朝鮮は純宗皇帝の時代でしたが、我が国の内地ではこれを祝賀する提灯行列ができました。しかし「一視同仁」によるならば、我々日本人は、あのとき朝鮮人の悲劇に同情して泣いてやるべきであった。それを万歳万歳とやってしまったところに間違いがあったのです。

朝鮮の亡国について、彼らの側に責任はないか

朝鮮は歴史的に長いものに巻かれる傾向がある。我が国が日清戦争で勝ったあと、遼東半島の権益についていわゆる三国干渉を受けました。するとそれまで親日であった閔妃皇后は、いとも簡単に我が国を裏切りロシアの庇護を求めだした。宮廷ではロシア大使夫人が自由に出入りし、挙句のはてには高宗がロシア大使館に拉致されて政務をとるかと思えば、今度は閔妃に対抗する大院君が親日に転じるなど、大国を後ろ盾にした内紛をやっていたのです。

ところで当時の我が国の立場としては、朝鮮を征服する必要などなく、その独立を保全すれば足りました。しかし白村江の昔から、大陸の覇権国は我が国を攻め取るためにどうしても朝鮮を経由せねばならず、そのため朝鮮の内紛に乗じて侵略の触手を伸ばしつつあったのです。これを防止するために、我が国はやむをえずして朝鮮を併合したのですが、ちとやりすぎてしまった。この点について、朴正煕大統領の顧問であった李瑄根という人は、「大西郷と大院君の会談がなっていたら、その後の日韓対立はなかったであろう」と嘆いていました。すなわち、西郷は朝鮮と事を構える前に、道義に則り、腹を割って大院君を説得しようとしましたが、その計画は西欧近代に倣った内地政策を優先する大久保の反対に遭って頓挫した。しかし結局、江華島事件で我が国は武力で朝鮮に開国を迫ったのですから、西郷も「だから言わんこっちゃない」と憤慨していたことでしょう。

このように、たしかに朝鮮の内政は事大主義で分裂し、民衆は両班(ヤンバン)の悪政に苦しんでいた。閔妃を殺した日本人も大院君に利用されただけという人もいる。しかしそれは余りにも我が方にとって都合のいい解釈です。日本の朝鮮政策は失敗であり、それは月照和尚を抱いて入水した大西郷の精神の挫折と無縁ではありません。

日本と朝鮮を分けるもの

大西郷の精神は、日本と朝鮮の歴史と国柄を比較すると一層明らかになります。朝鮮は君臣父子の序列を重んじる厳格な儒教社会であり、徹底した国王専制と両班支配をやってきました。王の意見を批判すれば即刻死刑の強権政治が敷かれていた。朝鮮でハングルが生み出されたのは、階級的に分断されてろくに漢字を読み書きできない農民に文字を教えるためだとも言われます。

ところが対照的に我が国のご皇室は、親政を敷くことは稀で、その場合も強権を振るうというよりは、横暴きわまる幕府をただすといった性格が強い。むかし仁徳天皇の御代に我が国に論語と千文字をもたらした王仁博士は、「今日から日本人になる」といって、子子孫孫ことごとく日本に帰化してしまいましたが、その理由はつまるところご皇室の徹底した「優しさ」にあります。臣下を畏服させるのではなく、まさに仁徳を以て帰服させる大らかな統治です。神武東征のご鴻業(こうぎょう)について、古事記は一週間で完成したと書かれていますが、ある識者によれば、これは実際に15年程度の歳月を要したそうです。倭建命(日本武尊)の東征に際して景行帝が「荒ぶる神とまつろわはぬ人等を言向け和平(やわ)せ」と詔りされたご聖旨と同じく、高千穂から大和までの行程を「言向け和平せ」てじっくり従えていったからです。これが我が国ご皇室の特筆すべきお御業(みわざ)でありますが、前述したようにこれが上手く我が国の朝鮮政策に活かされなかったのは残念なことです。

李方子妃殿下の慰霊祭について

かねてより私は、梨本宮から朝鮮の李王室に嫁がれた李方子妃殿下の慰霊祭を、李氏の宗廟があるソウル郊外の英園に詣でて毎年続けて参りました。今年で22回目になります。殿下は、内鮮融和の重大なる国家的使命を帯びて朝鮮に渡られましたが、終戦後はご主人の李垠殿下と一緒に日本に帰国して今の赤坂プリンスがある場所に住んでおられました。元皇族の方でありながら、法律上は無国籍の在日韓国人として扱われたため、政府からは何らの保護を受けることもできず、財産を切り売りしながら細々と生活を維持されていたようです。もっとも戦後いきなり平民に下られた訳ですから、世間一般の経済観念に乏しく、生活の面での苦労も絶えなかったようです。李垠殿下などは、お一人で渋谷の闇市などに買い物に出かけると、値段もきかずに大金を払って大喜びしていたそうです。万事がそんな調子ですから、そのうち取り巻きの悪徳業者に盲目判を押させられて莫大な借金を抱え込んでしまいました。

そんな折、朴大統領のはからいでご夫妻は韓国に帰国されるのですが、そのときご夫妻は、朝鮮動乱後の復興のかげで、社会から取り残された弱者の惨状に心を痛められ、その後李垠殿下は、障害者のため特殊教育の学校建設を遺言したまま薨去されます。こうしたことから、方子殿下は、日本に帰国されると自らが製作した書画や陶器を売って資金集めに奔走し、ついに肢体不自由児施設の「明暉園」と知的薄弱児の学校である「慈恵学校」を設立するに至ります。その間、せっかく集めた大事なお金をだまし取られたり韓国人の差別や偏見に遭ったりしましたが、「韓国の土となり、生涯を日韓永遠の友好に捧げる」という大変なご覚悟によって見事に困難を克服されました。そうした殿下のご覚悟を物語る逸話があります。殿下の喜寿のお祝いを赤坂プリンスでやったときのことですが、当日の式次第では最後に自衛隊の吹奏楽団が『蛍の光』を演奏することになっていた。ところが、「私はこれから韓国に行って本当の闘いをしなければならない。それが『蛍の光」で送られては勇気が出ないから『軍艦マーチ』に変えてほしい」と仰るのです。なかには反対もあったが、そこは殿下も軍人の娘ですから頑として引かない。それでついに強行してしまわれた。私は演奏中、殿下が歩まれた波乱の生涯を想うと感動して涙が止まらなくなり、外で降っていた土砂降りの雨と一緒にずぶ濡れになったのを覚えています。

ところで、私が殿下の知遇をえたきっかけは、昭和47年の日華国交断絶にまでさかのぼります。当時私たちは教師として、政治的な分野での日台関係が断たれたかわりに、教育・文化面での関係を強くしなければならないという意識から、日華教育研究会を立ち上げた。ところが、そのうち台湾も無論大事だが、我が国と一番近い韓国との交流も優先すべきだという話になり、私が所属する日本教師会と大韓教育連合会の共催で日韓教育研究会を始めた。そんな関係から知人の紹介で殿下と知り合い、殿下のご要望で教育研究会に日本の有名な学者を呼んで韓国の特殊教育について啓蒙を促すことになったのです。

昭和64年に昭和天皇が崩御されて、方子妃殿下もご葬儀に参列されましたが、どうやらそのときの寒さでお風邪を召されたようでして、そのまま四月に韓国で薨去せられました。それから何年かして、韓国の友人と殿下の話をしていたときに、殿下のお墓には慰霊に訪れる日本人の姿もなく、ペンペン草が生えているということを聞かされ、これはいかんということで早速殿下のお墓がある英園をお参りしました。すると、韓国に側から日韓合同の慰霊祭を打診され、以降民間人の身で恐縮ではありましたが、毎年五月四日の大祭を続けてきたのです。

日韓永遠の友好とアジアの道義、そのために殿下は生涯を捧げられた

李方子妃殿下の慰霊祭を通じた交流は、利害がからんでいないから純粋に文化的で高級なものだと思います。生前の方子妃殿下は、韓国人の日本人に対する根強い不信感を乗り越えられ、「障害児の母」として多くの人から敬愛されました。その崇高なご精神は、まさに神武天皇が詔した「言向け和平(やわ)す」の大御心であり、王仁博士が帰服したところの徹底した「優しさ」であり、明治天皇様が「一視同仁」と仰せになった思し召しです。この殿下が朝鮮でご実践になられた最高道徳を、我々日本人も努力して見習い、日韓両国は兄弟喧嘩はやめにしてお互いの長所を認め合わねばなりません。とくに、わりと道徳と科学が相即して発展した西欧諸国と違い、アジアには図体ばかりでかくて道徳を知らない国が多い。そこで日本と韓国が殿下の御遺徳を継承し、アジアに道義国家の模範を示せ、というのが最も私が申し上げたいことであります。

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浦安から日本を立て直す!(令和4年、浦安稲門会創立35周年記念誌に寄せた挨拶文)

浦安から日本を立て直す!

私は高校も早稲田大学高等学院だったので、高校大学と、母校には相当長い間お世話になりました。高等学院の入学式は大隈講堂で開かれ、ときの奥島総長が貫録たっぷりな演説をぶたれて、「君たち学院生には勉学のことは一切期待しておらん。ただ君たちの先輩に中野正剛と緒方竹虎という偉大な人物がいた事だけは覚えておきなさい。」と述べられました。その時の学院長先生が伴一憲というドイツ哲学の先生であり福岡出身の方だったので、よく院長室に伺っては、中野正剛や緒方竹虎の出身である福岡や玄洋社について話を聞かされました。中野正剛は、戦前の民政党の政治家で東条内閣の独裁政治と対決して自決しました。緒方竹虎は中野の親友であり、朝日新聞の主筆や戦後の自由党総裁を務めた大物政治家です。

なかでも中野正剛の演説は天下一品であり、私は大学に進学すると、中野に憧れて彼の出身である早稲田大学雄弁に入会しました。雄弁会では朝から晩まで議論に明け暮れ、先輩たちに議論で詰められる恐怖で必死に本を読み、地方遊説やフィールルドワークなどで見聞を広めました。また各大学での弁論大会にも出場し、東大の安田講堂や慶応の三田演説館などで演説したのは良い思い出です。私の学生生活は全て雄弁会に捧げたので、大学を卒業したというより雄弁会を卒業したという感じです。

大学卒業後は玄洋社の大アジア主義に憧れて単身インドに渡り、デリーとダライ・ラマ法王の亡命政府があるダラムサラという場所を行き来して、インド人や亡命チベット人に日本語教育を教える活動をしました。商売にも手を出しましたが見事に失敗しました。最初はチベットの独立を助けようと思って行きましたが、その内、他国を助ける前にまずは日本が自立していないじゃないかと思うようになり、生まれ育った故郷である浦安から日本を立て直そうと決意し、令和元年の統一地方選挙に出馬して浦安市議会議員になりました。いまは『維新と興亜』という言論誌を発行し世論喚起にも努めています。浦安は私の両親が合わせて5回市長選挙に出たこともあり、私にとっては宿命の地です。政治は日々闘いの連続ですが、浦安と日本の為に戦い抜きます。

ダラムサラの景色

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アトキンソン氏関連ツイート

#アトキンソン 氏は出所不明な論文を元にして創立者所有・創立者CEOと家族所有・家族CEOに最低の経営評価点を付けているが何を基準に評価しているのか不明だ。「プロのマネージャー」とはカルロス・ゴーンの様な非情な経営者を指すのだろうか。家族経営を目の敵にし中小企業の合併統合を慫慂している。

#アトキンソン 氏は企業数の99.7%を占め雇用の7割を占めている中小企業を合併統合しても雇用への影響はないと説くが、その根拠を示していない。また最低賃金を引き上げればMonospony(買い手独占)で労働者を割引で雇用している無能な経営者が淘汰されると言うが、利益確保の為に雇用は減るだろう。

中小企業こそ諸悪の根源!と主張する風が吹けば桶屋が儲かるばりのこじ付け図

#アトキンソン 氏が強弁するように単純に中小企業の規模が問題なのであれば、中小企業を統合して中堅企業や大企業にするだけでなく大企業をグローバル企業に統合した方が生産性は極大化して良い事になる。結局彼の目的は、我が国の企業を買い叩いてグローバル資本に売り飛ばす事にあるのではないか。

#アトキンソン氏 が企業規模が小さいが故に生産性が低いと名指しする宿泊・飲食・小売業だが、例えば個人営業の居酒屋が潰れて従業員が和民の様な大規模チェーンに移動した所で生産性=賃金が上がる訳ではないことを全く説明出来ていない。大企業になれば設備投資が増え生産性が上がるというのも嘘だ。

生産性が低いのは企業規模の様なサプライサイドの問題ではなくて、政府支出による有効需要が少ないというディマンドサイドの問題だ。何でもかんでも不景気や低賃金の元凶を中小企業のせいにする #アトキンソン 氏の主張は犯罪的だ。M &Aを進める投資銀行から金でも貰ってるのだろうか。

#アトキンソン氏 は日本の労働生産性が低いのは、政府による中小企業への優遇政策が生産性の低い中小企業を温存しているからと主張するが、非正規雇用が拡大し、ハゲタカに所有された大企業が労働者や中小企業を搾取しているからではないのか。単に企業が拡大すれば生産性が上がるとするのは短絡的だ。

自説に都合の良いデータだけを持ち出して相関関係を示しても因果関係を証明したことにはならない。街の駄菓子屋の店員が廃業してウォルマートのスーパーで働いたら労働生産性が上がるのか?#アトキンソン 氏はただ大企業の給料は中小企業よりも高いと言っているだけだ。意味のない主張である。

#アトキンソン 氏は日本の労働生産性の低さを全て中小企業のせいにし、日本人には分析能力がないと喝破しておきながら「大企業による搾取説」に対しては、搾取がありそうな建設業の生産性は低くないとか、データがないので断言できないとか言ってお茶を濁している。GSの一流アナリストなどこの程度か。

また #アトキンソン 氏は、宿泊や飲食、小売には搾取説が適用できないのに生産性が低いのは搾取説が間違っている証拠だと言っているが、呆れて物が言えない。この人は経済の実態を根本的にご存じないのではないかと思ってしまう。

さらに #アトキンソン 氏によると、仮に大企業による中小企業への搾取があったとしても、それは中小企業の生産性が低く価格競争に走りやすいからであって、日本の非効率な産業構造の結果なのだそうです。「弱い者が悪い」だから「弱者同士組め」という論法です。

#アトキンソン 氏は原因と結果を取り違えている。大企業だから生産性が高いのではなく、生産性が高いから大企業になったのである。逆に中小企業だから生産性が低いのではなく生産性が低いから中小企業のままなのである。したがって中小企業を寄せ集めたからと言って生産性が高まるわけではない。

#アトキンソン 氏は日本の国際競争力は高いのに生産性が低いのは産業構造が非効率だからと主張するが、その根拠にしているのはダボス会議で有名な世界経済フォーラムが出す如何わしいランキングのデータだ。勝手な格付けで日本の評価を落としておいて構造改革を要求する典型的な新自由主義者の手口だ。

そして日本の生産性が低いのは企業が細分化しているから、つまり中小企業が多すぎるからだという話に持っていくのである。わかりやすい

中小企業の生産性が低いとすれば、それは #アトキンソン 氏が言うように中小企業の経営者が無能だからではなく、下請けなどの中小企業が大企業やグローバル企業によって搾取されているからではないのか。

#アトキンソン 氏によると企業の規模が大きくなるほど経営者の質が高くなり、経営者の質が高くなるほど企業の規模も大きくなるのだそうです。そしてスペインで小さい企業の割合が高いのは無能な経営者が多く、大学教育の質が低いからだそうです。ってスペインに失礼だろ!

#アトキンソン 氏は、最低賃金の引き上げを主張し、それを根拠に「私は新自由主義者ではない、新自由主義者ならばそんな主張をする筈がない」と自己弁護しているが、要は賃金を引き上げて小規模事業者を潰し中堅企業に再編して銀行法改正によって参入した外資に売り飛ばすという算段ではなかろうか。

かくして我が国の伝統技術は外資に買い叩かれる。中小企業再編によって大量の失業者が出てもお構いなしだ。一時的に失業者が出ても「自助努力した優秀な人材なら中堅企業に吸収される」とか言って逃げるのだろう。

この手法は、彼がゴールドマンサックスにいた時に不良債権問題でやったことに似ているのではないか。すなわち、邦銀の不良債権を摘発し金融改革を唱えて、担保不動産を売却させゴールドマンサックスが安値で買い叩き巨額の利益を上げる。今度は跡継ぎのいない中小企業が標的になっているのではないか。

#アトキンソン 氏は全雇用の七割を占める中小企業を中堅企業に再編しても雇用は減らない。既に96年から16年までに小規模事業者等は126万社減っているが雇用は増え続け、安倍内閣でも371万人雇用が増えたと言っているが、単純に非正規雇用が増えただけではないのか。眉唾なので検証する必要がある。

菅内閣による銀行法改正によって「外銀・外資ファンドによる中小企業の買収活動が活発化する可能性は高い。」それを後押ししたのが「中小企業淘汰論」を主張するアトキンソン氏だと囁かれている。全国の中小企業が低生産性を理由に外資に売られていくのか。 #アトキンソン

武蔵野市の松下市長にしても、アトキンソン氏にしても、自分の意見に反対するものや気に食わない者に対して、安易に「ヘイトスピーチ」とか「レイシスト」などというレッテル貼りをして貶めようとするのは卑怯である。彼等こそ民主主義の破壊者ではないか。 #アトキンソン

私を「レイシスト」と侮辱したデービッド・アトキンソン氏は、著書のなかで、自らが構造改革に関わる様になったのは「分析のできる日本人が皆無だったから」、ネットで自らが批判されているのは「日本人に恥の文化がなくなったからだ」と述べている。何様のつもりなのだろうか。 #アトキンソン

内閣の政策決定に影響を与える諮問会議に外国人が入るのは事実上の外国人参政権では?と問題提起したらレイシストと侮蔑され、逆に英国政府は諮問会議に外国人を入れているのかと聞いたら怠け者と蔑まれた。そして都合が悪くなるとブロック。アトキンソン氏の言動は常軌を逸している。

菅内閣の成長戦略会議で民間議員を務めたデービッド・アトキンソン氏に「レイシストな怠け者」と侮辱されました。相手が公人とはいえ、言って良いことと悪い事があります。法的措置を検討します。

アトキンソン様。逆にお聞きしたいのですが、貴殿の母国である英国政府の政策決定に影響を与える諮問会議の委員に、我が国やそれ以外の国の人間が名を連ねたことはあるのでしょうか?ご教示頂ければ幸いです。

こんばんは。ご本人から連絡頂けて光栄です。呼び捨てにしたのは失礼しました。外国人参政権が問題なのは公共政策の決定に主権者ではない人間や政治勢力が影響を与えるからです。その意味では外国人である貴殿が政府の政策決定に重大な影響を与える委員会の委員を務めるのも同じだと申しました。

外国人参政権は問題だし反対だが、ならばアトキンソンが内閣の諮問会議の委員になったことも公共政策の決定に影響を与えるという意味では事実上の外国人参政権ではないか。移民政策を推進し外国人定住者を増やしている自民党の自称保守派はよくよく自省して貰いたい。こういう時だけ威勢を張るのは欺瞞

いい加減にして下さい。いつまで同じことを言っているのですか?人をレイシスト呼ばわりして失礼ですよ。まだ答えて頂けてませんが、英国政府は英国連邦以外の優秀な外国人を政府の委員に迎え入れているのですか?

それは政府の政策決定に影響を与える公的な諮問機関に入れているのですね?何でも良いので証拠を示して頂けますか?

ふざけないで下さい。証拠もなく臆断で語っているのですね。無知なのは貴殿の方ではないですか?

あるなら示して下さいよwないんでしょう。怠け者の私ではなく浦安市民の為にも。

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私の理念と政策―浦安の発展戦略(令和4年2月更新)

理念

新旧町の文化を融合し、浦安を東京のベッドタウンから真の故郷共同体に変える(共同社会と利益社会の止揚による近代的共同体の創造)。これまでの拡大発展主義(集合住宅を増やして人口・税収を増やす)から転換して市場原理を抑制し、家族共同体を基調とした持続可能な共助社会を実現する。共助を促進するための公助という考え方に立つ。

政策

①教育改革ー教科書採択、教員独自採用育成、教員負担軽減。中高一貫校創設②少子化対策ー結婚・出産・子育て支援。家族第一主義宣言。婚活マッチングサービスの提供。出産費用(妊婦健診・分娩費)の実質無償化。家族保護政策として家庭内育児を補助。③災害対策ー液状化対策、緊急物資輸送、水害対策④産業振興ー創業支援、企業誘致⑤国県との広域連携ー地産地消の促進⑥共有経済の促進ーモビリティー、食糧⑦行財政改革ー経費削減、公有財産の戦略活用⑧都市開発-ミニ開発の抑制と二世帯住宅住宅への建替え補助。海楽クローバー(IC)の地下埋設による森林空間の創出。老朽化する集合住宅の補修や建替えに関するガイドラインの策定。

①教育改革ー皇室を戴く我が国の伝統文化への矜持と故郷への愛着を持ちグローバルに活躍できるグローカル人材を育成する。歴史公民教育の是正とその為の教員育成。教員の人事権移譲、市による独自採用、補助教員の増員による事務負担の軽減。教科担任制、習熟度別学級編成の推進による実質的な教育機会の格差是正。中高一貫校を創設して優秀な子弟の市外流出を防ぐ。給食費の無償化。食育先進都市を宣言し、給食での遺伝組み換えや残留農薬に関する市独自の基準と検査体制の構築。子供たちの農業体験機会の提供。敬神崇祖の念を養うため新町地区に神社創建。政教分離の壁を突破。

②結婚・出産・子育て支援ー出生率が特に低い現状に鑑み、少子化対策を最優先課題と位置づけ浦安鉄筋家族宣言を発出。少子化対策基金を復活し、若者の出会いの場の創出(婚活マッチング、婚活パーティーの復活)、出産費用や妊娠検査費用の追加負担分の補助による実質的無償化、国の政策の盲点である家庭内育児への補助(保育費無償化の対象外である0〜2歳まで毎月定額支給)。また学校での妊娠・出産に関する教育は不可欠。

③災害対策。国の制度を活用し市街地液状化対策を再検討(実証実験の再実施)する。羽田シーレーン構想も含めて、海上での緊急輸送ルートの確保とその為の千鳥埠頭の整備などに取り組む。災害時のみならず航路を開設し定期運航化。千鳥倉庫や塩浜倉庫などと提携し、境川上でのドローン飛行実験を実施。遠隔自治体との災害協定によって食糧や災害物資の供給源を確保する。内水氾濫対策としての境川河口部水門の設置。基金の創設。

④産業振興ー産官学が連携したスタートアップエコシステムを構築し、マーレを創業支援の中核施設として整備する。ディズニーと連携したエンタメスタートアップの集積地に出来たら最高。新浦安を羽田に直結したグローバル創業の拠点にする。市内での起業を奨励し、企業移転や被雇用者の転入等に対して税制優遇措置を講じる。職住一体化の推進による移動性・流動性の抑制。国と連動した東京湾での洋上発電を実施。

⑤国県との広域連携。衰退する農林水産業を再生する為、県内地方自治体と連携して若者の新規就農就漁の促進。県に対して遺伝子組み換えに関する食品表示制度の創設を促し、生産者の顔が見える地産地消の関係構築。農業・漁業大国である千葉県の特性を活かし、農業・漁業体験機会の充実を図る。

⑥共有経済の促進。市民の生活コストの軽減と利便性の向上を図るため、フードシェアリングやシェアサイクリングなどのシェアリングエコノミーを促進し、その為に当該サービスを提供する企業との官民連携を推し進める。駅前駐輪場や市内交通結節点の市有地をシャアサイクル事業者に提供。フードロス削減の為、市内飲食店や小売店、子ども食堂等と提携してフードバンクを創設。市民に安価で提供。

⑦行財政改革ー上述した政策を実行するため財源を捻出する為、徹底的な行財政改革による歳出削減と公有財産の戦略的活用による歳入増加の取り組みを断行。経常経費削減による財源確保。マーレや三番瀬環境観察館、総合公園施設などでの民間事業者への賃貸やPFI導入による有効活用。郷土博物館の在り方再検討。

⑧都市開発-中町を中心とした戸建て地区でのミニ開発や集合住宅への建て替えを抑制し良好な住環境を保全する。親子間の同居を促進し二世帯住宅への建替えやリフォームへの補助を実施。市内に森林がないとう特性に鑑み、海楽ICを地中化して地上部を森林化し、市民の憩いの公園とする。老朽化する集合住宅に関して補修や建替えに関するガイドラインを策定し、住民の合意形成と早期対処を促進。

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山崎天王山、真木和泉守等殉国十七烈士の墓所を参拝し詩吟を奉納

令和三年十月三十日午後、『維新と興亜』の同人で京都山崎の天王山に登り、禁門の変に際して同地で戦死された真木和泉守ら殉国十七烈士の墓前にて、和泉守の辞世「大山の峰の岩根に埋めにけり我が年月の大和魂」の詩吟を奉納しました。念願叶い感慨ひとしおでした。真木和泉守は折本が『不二』で連載しています。

 

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