大アジア主義とは何か

以下に『大亜細亜』創刊号における拙稿の一部を再掲する。

大アジア主義とは何か。

大アジア主義とは何か。この問いに答えるのはそう簡単ではない。おおよそで云えば、それは西欧列強によるアジア侵略の脅威に対抗するために、我が国を中心としたアジア諸国の連帯を説く思想と運動のことである。周知のように、明治以降の我が国は、富国強兵や殖産興業のスローガンを掲げて国家の近代化路線を邁進し、そのために西欧列強から先進的な技術や制度を輸入した。それは、明治草創期の我が国政府が、西欧列強から不平等条約を課された半独立の国家であり、いちはやく国家の近代化を成し遂げることによって、真に独立した国家としての地位を獲得する必要に迫られていたからに他ならないが、急速な国家の近代化は、一方では近代化の名を借りた西欧化への偏重をきたし、それはなかんずく井上馨外務卿による鹿鳴館外交のように、列強への露骨なすり寄りと追従政策になって表れたのである。こうしたなかで、旧士族を中心とする国民の一部は政府への不満を募らせたが、征韓論争を発端とする明治六年の政変で西郷等が下野すると、反政府運動は燎原の火の如く在野に燃え広がった。これに対して政府は新聞紙条例や讒謗律などを公布して反対党を厳しく弾圧したが、ついに明治十年西南戦争の勃発をもって不平士族による反政府運動は極点に達したのである。

大アジア主義の淵源

西郷は政府の欧化政策に対して、ご皇室を戴く我が国の国粋護持を以ってし、また西欧列強の覇道を戒めてアジアの道義を唱導した。それは『西郷南洲翁遺訓』に「廣く各國の制度を採り開明に進まんとならば、先づ我國の本體を居ゑ風教を張り、然して後徐かに彼の長所を斟酌するものぞ。否らずして猥りに彼れに倣ひなば、國體は衰頽し、風教は萎靡して匡救す可からず、終に彼の制を受くるに至らんとす。」とあり、また「文明とは道の普く行はるゝを贊稱せる言にして、宮室の壯嚴、衣服の美麗、外觀の浮華を言ふには非ず。世人の唱ふる所、何が文明やら、何が野蠻やら些とも分らぬぞ。予嘗て或人と議論せしこと有り、西洋は野蠻ぢやと云ひしかば、否な文明ぞと爭ふ。否な野蠻ぢやと疊みかけしに、何とて夫れ程に申すにやと推せしゆゑ、實に文明ならば、未開の國に對しなば、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導く可きに、左は無くして未開矇昧の國に對する程むごく殘忍の事を致し己れを利するは野蠻ぢやと申せしかば、其人口を莟めて言無かりきとて笑はれける。」あるのでも明らかである。

このように西郷は、欧化に対する国粋、覇道に対する王道の精神を体現する存在であったのである。城山の自決で彼の肉体は滅んだが、その高貴な道義精神は、西郷の精神的子孫によって継承された。その一人である頭山満は、大アジア主義の巨頭として知られるが、彼が率いた福岡の玄洋社は興亜の志望に燃えた多くの人士を朝野に輩出し、なかでも頭山と同志の来島恒喜は、外国人の内地雑居や外国人判事の登用といった屈辱的な条約改正案を進めていた外務卿の大隈重信に爆裂弾を投擲し、文字通り大隈を「失脚」に追いやった。頭山は来島の葬儀で「天下の諤々は君が一撃に如かず」と弔辞を述べ、この事件によって玄洋社の名は天下に轟渡ったのである。また玄洋社における少壮有為の若者たちは、アジア復興を夢見て大陸に雄飛し、ときには乞食同然の姿でつぶさに辛酸を舐めながらも、アジアの各地を踏査して風俗や人情などの情報収集に努めた。こうした大陸浪人と呼ばれる志士たちの領袖となったのが頭山であり、彼は、明治政府による欧化偏重を排して国体の守護者を任じすると共に、金玉均やアギナルド、孫文といったアジア独立の志士たちを献身的に支援することによって、アジアに王道を敷くべしとする南洲翁の精神を継承しようとしたのである。

玄洋社は国権団体か?

戦後、玄洋社は、我が国によるアジア侵略のお先棒を担いだ国権団体の権化とされ、頭山も、大アジア主義者というよりは、「右翼の親玉」や、「政界の黒幕」と云ったダークなイメージが植え付けられたが、明治14年に創立された玄洋社は、そもそも自由民権団体として出発したことが重要である。それが後年、国権団体としてイメージされるまでにはどのような変転があったのだろうか。たしかに、『玄洋社社史』には、日清戦争前夜の明治19年に、丁徐昌提督率いる清国北洋艦隊の水兵が、寄港した長崎で乱暴狼藉を働いたにもかかわらず悠々錨を抜いて立ち去った国辱事件を契機として、玄洋社がそれまでの民権主義を捨てて、国権主義に転向したことが記されている。しかし、玄洋社はそれより以前の明治15年に創立された当初から、憲則の第一条に「皇室を敬戴すべし」、第二条に「本国を愛重すべし」第三条に「人民の権利を固守すべし」とする三則を掲げており、第二条の「本国を愛重すべし」の「本国」はとりもなおさず、我が国の領土や人民、政府からなる主権、つまり国権を意味しているのであるから、国権主義は明治14年に突然出て来た訳ではなく、第三条にある「人民の権利」としての民権と矛盾なく両立並存する主張であった。

もっとも、民権と国権という一見矛盾する概念を併せ持つ彼らの主張は、明治初期の我が国にある程度共通した見方であったようだ。頭山統一氏(頭山満の孫)は、『筑前玄洋社』のなかで、幕末・明治を通じて我が国民の共通意識であったのは、「尊王・攘夷・公議公論の三位一体をなす論理であった」と述べている。まず「尊王」については、幕末に佐幕か討幕かの争いがあり、明治になっても政府・吏党と在野・民党の争いがあったが、両者を通じて尊皇という一点にはいささかの相違もなかった。そして「攘夷」は、明治国家における国権の主張となり、「公議公論」は民権の主張を意味する。その上で、この「公議公論」は、君民一体の我が国において、「尊皇」の必然的帰結であり、それは徳川と列強という内外の「夷狄を攘う」、すなわち「攘夷」を断行することによって成し遂げられた。これが維新大業の本質である。『自由党史』にいわく、「維新の改革は実に公義輿論の力を以て皇室の大権を克復し、国民の自由を挽回し、内に在ては以て一君の下、四民平等の義を明らかにし、挙国統一の基礎を定むると倶に、外に向っては波濤開拓の策を決し、万邦対峙の規模を確立したることを。誠に是れ中興国是の帰着する所にして、是に於てか武門特権の階級的天地を破壊せる後ち、直ちに建設の方向に全力を投ずべき時機に達せり。」と。このように、当時の国民精神において、皇権の恢復は民権の伸長と同義であり、国権は、こうした君民の和協を妨げを払い除けるための権力として認識されていた。

玄洋社の民権論もまた、あくまで尊皇を基軸に据えたものであり、現行憲法が依拠する西欧起源のデモクラシーの思想とは全く似て非なるものである。それは玄洋社の前身で、箱田六輔を社長、頭山満を監事に配した向陽社の民権思想に関する以下の記述(上掲した頭山氏の著作)からも明らかである。いわく「向陽社の普選思想は、まったく日本的な君民一体の国体観の常識から出たものだった。無私にして、民の幸福を皇祖に祈られることをみずからの務めと信じられる祭祀権者天皇は、人民を「おおみたから(公民)」として、その権利を保証して、慈しまれる。権利を保証せられた人民(臣民)は、天皇に捧げる忠誠心において万民貴賎のへだてなく平等である。大臣も乞食も、天皇に対して完全に平等に忠誠を尽くそうとする、誇らしき義務意識を有する。この日本的「臣民の権利義務」は、西欧における君主あるいは国家が、人民に対し、その安全を保証するサーヴィスを提供し、人民はそのサーヴィスに相応する代価を、君主、国家に支払うという対立的契約観念が源流となる「権利・義務」概念とまったく異なるものであることは明瞭である」。さらに、こうした彼らの民権思想は、上述した向陽社の主導で設立された福岡全県の民権組織である筑前共愛会が明治13年、元老院に提出した「筑前共愛会憲法私案」において、参政権の資格として「土地保有・財産・納税額による制限を一切うたわず、ただ一家の戸主たることのみを条件としている」ことにも顕著に現れている。

玄洋社が民権団体の看板を捨てて国権主義に転向した契機としてよく指摘されるのが、明治24年の第二回総選挙に際して、頭山がときの松方正義内閣、なかでも内相の品川弥二郎と結託し、政府による選挙干渉、民権派の弾圧に加担した一件である。この一件を以って民権派たる頭山の変節と見なす意見もあるが、事の事情をよくよく調べてみると、主義を転向し節を変じたのは玄洋社や頭山ではなく、むしろ彼や彼らを取り巻く、政府であり民党の方であることが判る。というのも、政府の方では、「万機公論に決すべし」とする五箇条誓文を奉じながら、もっぱらの現実は薩長藩閥が大政を壟断し、明治15年の集会条例改正、明治16年の新聞紙条例改正、出版条例改正と続く一連の言論弾圧政策によって民党を圧迫する一方で、不平等条約の改正交渉に於いては西欧列強に対して屈辱的な譲歩を繰り返し、国民の怒りを買っていた。しかし一方の民党の方はどうかというと、それまで条約改正(国権)と国会開設(民権)を不可分のテーマとしてきた板垣退助率いる愛国社の運動が、政府の懐柔によって条約改正の要求を引っ込め、国会開設期成同盟への改組の後は、その運動目標を国会開設に限定したように、国権の主張を放棄して民権の主張に偏向し出したのである。愛国社は板垣退助率いる土佐の立志社が中心になって結成された民権派の全国組織であり、大久保暗殺後の明治11年に開かれた愛国者再興集会には、福岡を代表して後に玄洋社社長を務める進藤喜平太と頭山満が参加している。その後、福岡と愛国社の繋ぎ役は、共愛会を代表して箱田六輔が担い、彼は板垣をして「箱田あれば西南方面は安心なり」とまで評さしめたが、頭山は、次第に上述した民党の変節と堕落に幻滅し、むしろ一部では「国権党」と揶揄されていた熊本紫溟会の佐々友房等に接近した。この結果、頭山は箱田一派と疎隔を来たし、玄洋社内での孤立を深めていった。「一人でいても寂しくない男になれ」とは、そのときの彼が発した言葉とされている。このように、民権と国権を国家の発展にとって不即不離のものと考えていた頭山にとって、政府の国権に揺れ動き、また民党が民権に揺れ動きするのは、ともに容認しがたい変節であり、だからこそ頭山は「舟が右に傾けば自分は左に寄り、左に傾けば、自分は右による」というのを生涯のスタンスとし、ときには孤立をも顧みず、日本という船が覆らぬようにバランスを取るのを自己の使命と任じていた。このバランス感覚が判らなければ、晩年の頭山が大東亜戦争には諸手を挙げて賛成しつつも、東條の翼賛体制には反対し、中野正剛をして『戦時宰相論』を書かしめた所以も判らない。

しかし頭山の乗る舟の船首は常に「尊皇」という不動の方向を向いていたのであり、それだけは絶対の信念として生涯微動だにしなかった。頭山は、高場乱の下で浅見絅齋(山崎闇齋の高弟)の『靖献遺言』を愛読して忠勇義胆を錬り、また同郷の平野國臣に洗礼を受けた筋金入りの尊皇家だ。それは次のような頭山の発言からも覗える。「我が日本の天子様は宇宙第一の尊い生神であらせられる。そして一切の万物悉く天子様の御物でないものはない。わけても、その最も大切な御宝は、吾々一億の日本臣民である。この天子様の大みたからである吾々臣民の生命は、自分の生命であって而も自分のものではない。天子様の御為に死すること、それは臣民として大慶此上もないことである。」(藤本尚則編『頭山精神』)

皇道の恢弘

かように尊皇絶対の頭山にとって、彼の抱いた興亜思想は、内に対する民権の伸長の時と同じく、アジアに対する皇道の恢弘に他ならなかった。それは、同じアジア主義者で頭山と交流のあった宮崎滔天が夢想した天賦人権のユートピアとは明瞭に一線を画する理想であった。民権一家の宮崎家のなかで、滔天が最も感化を受けた六男の弥蔵は、『三十三年の夢』のなかで次のように、アジア復興の志望を述べている。

「おもえらく、世界の現状は弱肉強食の一修羅場、強者暴威を逞しゅうすることいよいよ甚だしくして、弱者の権利自由、日に月に蹂躙窘蹙せらる。これ豈軽々看過すべきの現象ならんや。いやしくも人権を重んじ自由を尊ぶものは、すべからくこれが回復の策なかるべからず。今にして防拒するところなくんば、恐らくは黄人まさに長く白人の圧抑するところとならんとす。しかしてこれが運命の岐路は、かかって支那の興亡盛衰いかんにあり。支那や衰えたりといえども、地広く人多し。能く弊政を一掃し統一駕御してこれを善用すれば、以って黄人の権利を回復するを得るのみならず、また以って宇内に号令して道を万邦に布くに足る。要は、この大任に堪ゆる英雄の士の蹶起して立つ有るに在るのみ。われ是を以ってみずから支那に入るの意を決し、あまねく英雄を物色してこれを説き、もしその人を得ば犬馬の労を執ってこれを助け、得ざればみずから立ってこれに任ぜんと欲す。」ここにあるのは、いかにも純朴で牧歌的な人種的勧善懲悪のロマンチシズムであって、それ以上の思想的根底はない。

これに対して、頭山が「大西郷以後の人傑」、「五百年に一度の英雄」と讃えた大アジア主義者の荒尾精は、『宇内統一論』のなかで、アジアに対する我が国の天命が「六合四海を一統して、普天率土の生民をして、洽く我皇の仁風を仰がしむること」、つまりはアジアに皇道を恢弘することであると説いた上で、「苟も我が国をして綱紀内に張り威信外に加わり、宇内万邦をして永く皇祖皇宗の愨徳を瞻仰せしめんと欲せば、まずこの貧弱なるものを救い、この老朽なるものを扶け、三国鼎峙し、輔車相倚り、進んで東亜の衰運を挽回して、その声勢を恢弘し、西欧の虎狼を膺懲して、その覬覦を杜絶するより急なるはなし」と述べ、日清韓三国の提携を説いている。荒尾は明治18年、陸軍参謀本部付の将校としてシナに渡り、その後、岸田吟香が上海で売薬業を営んでいた楽善堂の支店を漢口に開くことで、商家に扮して諜報活動に従事した。この漢口樂善堂は、玄洋社員を始めとする興亜志士たちの梁山泊となり、シナ浪人の宗方小太郎や石川伍一など多くの人士が出入りした。また荒尾はシナ各地の実情を調査した結果、日支提携の必要性を痛感し、両国の貿易振興を目的とした日清貿易研究所、後の東亜同文書院を創立した。この研究所からは、清国改造を志し、明治初期の我が国民としていち早く新疆の偵察に赴いた浦敬一(詳細は拙稿、「清国改造を志し、新疆偵察の途上で消息を絶った東亜の先覚烈士、浦敬一」参照)や、日清開戦に際し軍命を帯び遼東半島の敵情視察に赴いた結果、刑場の露と消えた「三崎」こと殉節三烈士(詳細は拙稿、「生を捨てて義を取る―「三崎」こと「殉節三烈士のこと」参照)など、シナ大陸の言語や情勢に精通し戦時は通訳官や情報将校として活躍した多くの志士たちを輩出している。荒尾は早くも陸軍士官学校の時代から、頭山と同じく『靖献遺言』を愛読して忠義を養い、学内では「靖献派」の領袖として畏敬されていた。しかも彼は上述したように、皇道恢弘としての大アジア主義を抱きながら、同時にその理想を具体化する事業家としての経綸も兼ね備えていたのであり、彼が説いた日清韓三国の提携は、「祖国を熱愛するが故に支那朝鮮を誘導扶助して、東洋を護る障壁たらしめんと」(『東亜先覚志士記伝』)する冷徹な戦略に裏付けられていた。このように、大アジア主義の戦略的な実践家である荒尾と、アジア復興のロマンチシズムに耽る滔天には同じアジア主義者でも聊かの懸隔があるのであって、それは滔天が前出した『三十三年の夢』のなかで、荒尾一派を目して「支那占領主義者の一団なりとなし、異主義の集団なり」として毛嫌いしていた事実とも無縁ではない。

怜悧な情勢認識

こうした荒尾と滔天の懸隔は、後に犬養毅や頭山等の民間志士が、アギナルド率いるフィリピンの独立党に武器を援助しようとして失敗した、いわゆる「布引丸事件」の際にも現れた。当初、滔天が香港で出会ったアギナルド側近のポンセを犬養に紹介したのは、フィリピン独立を想う一片の義侠心によるものであったが、かたや犬養の依頼を受けた玄洋社の頭山満や平岡浩太郎、その甥の内田良平などが、この独立運動を援助した背景には「それより前に内田良平氏がシベリア鉄道のエキの状況を視察かたがたシベリアの冒険旅行を企て、遂に露都に入った際、セントペテロブルクの日本公使館には八代六郎、廣瀨武夫などという海軍将校中の錚々たる逸材が駐在武官として滞在していて、共に国事を談じ合った末、日本は一面に露国の東方経略の鋭鋒を挫き、朝鮮、満州、蒙古、東部シベリアに強固なる地歩を占めると共に、一面にはマレー半島からフィリピン群島に我が海軍根拠地を得、これを国防の第一線としなければ、太平洋の制海権を握り、帝国永久の安危は期せられぬというに一致し、内田氏の帰朝後、福岡玄洋社の頭山、平岡等も此の説には非常に共鳴していた」(『犬養木堂伝』、原書房)というような深謀遠慮があったという。また他にも、尊皇家の頭山が、同じ日本への亡命客でも、保皇派の康有為ではなくて共和派の孫文を支援した背景には、孫文が満州の我が国への割譲を頭山に約したことが一因を成したともいわれている。このように、大アジア主義の思想と運動は、単にアジアの独立を夢見る豪傑たちの武勇伝に止まるものではなく、冷厳な国際情勢の認識に裏付けられた経略の実践であった点が重要である。

以上、大アジア主義の概要について述べてきたが、その要点を摘出すること以下の通りである。

第一に、大アジア主義は明治政府の欧化路線ないしは西欧列強に追従したアジアへの覇道外交に対抗し、西郷南洲を精神的淵源として、天皇を戴く国体の護持、王道外交を唱導するものである。

第二に、西郷精神の継承者である頭山満や彼が率いた玄洋社にとって、尊皇、民権と国権は、三位一体の概念である。しかるに政府は国権に偏して恩賜の民権を弾圧し、一方の民党は浮薄な民権論に堕して国家の根基を危うからしめた。そこで頭山は、舟のたとえにあるごとく、時に応じて立ち位置を右に変え左に変えしたが、尊皇という一点に於いて不変であった。

第三に、我が国の対アジア王道外交は、皇道の恢弘に他ならならず、普遍的な人権や万国平等の原則に立つものではない。しかし、荒尾精や頭山、平岡、内田といった玄洋社の抱いた興亜思想は、ただ皇道の恢弘を鼓吹するだけではなく、我が国に関する冷厳な情勢認識に基づいた現実的利害とも合致していた。

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16/03/17 自主防衛への道―いまこそ核武装による恒久平和の確立を
16/03/14 アルテミオ・リカルテと日比の絆2/3
16/03/12 アルテミオ・リカルテと日比の絆1/3
16/02/05 皇統護持論(令和2年9月修正)
16/02/03 「歴史認識におけるアメリカの干渉を排す」(『崎門学報』第六号より転載)
16/01/31 『崎門学報』第六号発行
15/12/23 吉田松陰先生『講孟箚記』を読む②(第十一場から二十場)
15/12/19 大アジア主義の実相(覚書)
15/12/01 梅田雲浜先生生誕200年記念墓参における挨拶文
15/11/25 「三島由紀夫、森田必勝両烈士顕彰祭」参加報告
15/11/07 『崎門学報』第五号発行
『崎門学者、梅田雲浜』(『崎門学報』第五号より転載)
15/10/29 梅田雲浜先生生誕200年記念墓参のお知らせ
15/09/25 平沼氏の復党に想う―いまこそ真の保守政党の結成を待望する
15/09/14 安保法案に反対するー個別的自衛権の確立が先決
15/09/08 ハワイ・イオラニ宮殿参観
15/08/29 若林強斎先生『雑話筆記』を読む④
15/08/27 若林強斎先生『雑話筆記』を読む③
15/08/24 若林強斎先生『雑話筆記』を読む②
15/08/20 若林強斎先生『雑話筆記』を読む①(『崎門学報』第四号より転載)
15/08/03 『崎門学報』第四号発行
15/06/18 下斗米伸夫『プーチンはアジアをめざす』メモ
15/05/13 我観:対米自立こそ急務(『崎門学報』第三号)
『崎門学報』第三号発行
15/04/12 東京書籍歴史教科書の何が問題か
15/04/09 木村三浩氏講演要旨
15/04/04 浅見絅斎先生『三国正統弁』(翻刻)
15/03/20 「三和」の精神に殉じた朝鮮独立の志士、金玉均の生涯について
15/02/28 吉田松陰先生『講孟箚記』を読む(第一場から十場)
15/02/13 浦安市に歴史教科書採択に関する請願書を提出
15/01/21 『崎門学報』第二号発刊
14/12/29 徳富蘇峰日記を味わう②-皇室中心主義とは何か
14/12/22 徳富蘇峰日記を味わう①-日本は民主主義に非ず
14/12/16 次世代の党はなぜ負けたか。
14/11/30 『保建大記』における神器論の問題
14/10/01 『崎門学報』創刊
14/09/01 栗山潜峰先生墓参
14/08/20 山縣大弐補論
14/08/03 「崎門学に学ぶ」(終)一水会『レコンキスタ』平成26年8月号
14/07/29 秦山先生小伝(『秦山集』)
14/07/14 栗山潜峰と『保建大記』
14/07/10 「崎門学に学ぶ」⑨一水会『レコンキスタ』平成26年7月号
14/07/09 佐々木実『市場と権力』(講談社)覚書
14/07/07 佐々木実氏講演要旨
14/06/07 『統帥権奉還論―安倍首相は聖上に兵馬の権をお返しせよ』(呉竹会『青年運動』平成26年5月号)
14/06/03 「崎門学に学ぶ」⑧一水会『レコンキスタ』平成26年6月号
14/05/30 頭山統一先生『筑前玄洋社』(葦書房)を読む
14/05/10 「崎門学に学ぶ」⑦一水会『レコンキスタ』平成26年5月号
14/04/22 武藤貴也(衆議院議員) 『わが国は核武装するしかない』
14/04/06 「崎門学に学ぶ⑥」一水会『レコンキスタ』平成26年4月号
14/03/31 中臣祓師説(若林強斎講義、澤田重淵筆記)6/7
14/03/30 中臣祓師説(若林強斎講義、澤田重淵筆記)5/7
14/03/24 再録 『先哲を仰ぐ』(平泉澄先生、錦正社)読書メモ8
再録 『先哲を仰ぐ』(平泉澄先生、錦正社)読書メモ7
再録 『先哲を仰ぐ』(平泉澄先生、錦正社)読書メモ6
再録 『先哲を仰ぐ』(平泉澄先生、錦正社)読書メモ5
14/03/23 再録 『先哲を仰ぐ』(平泉澄先生、錦正社)読書メモ4
再録 『先哲を仰ぐ』(平泉澄先生、錦正社)読書メモ3
再録 『先哲を仰ぐ』(平泉澄先生、錦正社)読書メモ2
再録 『先哲を仰ぐ』(平泉澄先生、錦正社)読書メモ1
14/03/16 中臣祓師説(若林強斎講義、澤田重淵筆記)4/7
中臣祓師説(若林強斎講義、澤田重淵筆記)3/7
中臣祓師説(若林強斎講義、澤田重淵筆記)2/7
14/03/13 頭山秀三先生 放送原稿『父を語る』
14/03/05 中臣祓師説(若林強斎講義、澤田重淵筆記)1/7
14/03/04 小林よしのり氏の『大東亜論』を読んだ。(1)
14/03/03 「崎門学に学ぶ⑤」一水会『レコンキスタ』平成26年3月号
14/02/20 呉竹会 十周年記念大会のお知らせ
日ロの関係打開の機は熟した
14/02/15 若林強斎について④神道大意
14/02/11 奉祝 紀元節
若林強斎先生について③忠と孝の狭間で
「崎門学に学ぶ④」一水会『レコンキスタ』平成26年2月号
14/02/06 若林強斎先生について②望楠軒の創設
若林強斎先生について①苦学力行の人
14/02/03 若林強斎先生の説く崎門学の必読文献
14/01/28 若林強斎『雑話筆記』摘録2
14/01/22 若林強斎先生『雑話筆記』摘録1
14/01/20 若林強斎先生『神道大意』2/2
若林強斎先生『神道大意』1/2
14/01/06 これぞ臣道の極致!『拘幽操師説』 (浅見絅斎講義、若林強斎筆記)(現代語全訳)
14/01/02 『神皇正統記』を読む⑭最終回
14/01/01 『神皇正統記』を読む⑬
13/12/29 安倍首相の靖国参拝を支持する。
13/12/28 『神皇正統記』を読む⑫
『神皇正統記』を読む⑪
13/12/23 奉祝 天長節
13/12/20 中国の防空識別圏設定に対するアメリカの二枚舌外交
13/12/18 『神皇正統記』を読む⑩
13/12/16 安倍首相は天皇陛下に大政を奉還し、在日米軍を撤退させよ。
『神皇正統記』を読む⑨
13/12/09 浦安市の歴史・公民教科書採択に関する柳市議の議会質問
歴史教科書における自由社と育鵬社の違い
13/12/07 わが国の核武装と原発推進は二律背反
13/12/04 崎門学研究会「崎門学に学ぶ③」一水会『レコンキスタ』平成25年12月号
13/12/01 『神皇正統記』を読む⑧
13/11/25 『神皇正統記』を読む⑦
13/11/16 『神皇正統記』を読む⑥
『神皇正統記』を読む⑤
13/11/09 Why ‘ Asia Restoration’ ? 4
13/11/07 『神皇正統記』を読む④
13/11/06 『神皇正統記』を読む③
13/11/05 Why ‘Asia Restoration’? 3
13/11/03 Why ‘Asia Restoration’? 2
『神皇正統記』を読む②
13/11/02 崎門学研究会「崎門学に学ぶ②」一水会『レコンキスタ』平成25年11月号
13/10/27 インド、シン首相、訪中の成果(『インド・ニュース』10/27付)
13/10/26 インド財界、モディ氏に鞍替えの様相(英誌『エコノミスト』10月19日付)
親米保守の自己欺瞞を質す
13/10/25 Why ‘Asia Restoration’? 1
13/10/24 Is Mr. Abe really conservative?
安倍さんは本当に保守なのか? 
13/10/19 北畠親房『神皇正統記』を読む① 
13/10/18 拘幽操師説 浅見絅斎講述 若林強斎筆録(部分口語訳)
13/10/11 インド経済はなぜ減速しているのか2
13/10/10 インド経済はなぜ減速しているのか1
13/10/03 『崎門学に学ぶ』①(一水会『レコンキスタ』平成25年10月号)
13/09/24 拘幽操師説 浅見絅斎講述 若林強斎筆5/5
13/09/09 対米従属の構造分析①有馬哲夫『原発・正力・CIA』(08年、新潮新書)を読む2/2
13/09/06 対米従属の構造分析①有馬哲夫『原発・正力・CIA』(08年、新潮新書)を読む1/2
13/08/24 韓国との付き合い方―朴鉄柱先生のこと
13/08/23 TPP, Ultimate Unequal Treaty, Deprives Nation Stat
13/08/19 維新の源流、崎門学(呉竹会『青年運動』平成25年8月号)
13/08/09 拘幽操師説 浅見絅斎講述 若林強斎筆録4/5
13/08/05 生を捨てて義を取る―「三崎」こと「殉節三烈士」のこと(呉竹会『青年運動』平成24年8月号)
清国改造を志し、新疆偵察の途上で消息を絶った東亜の先覚烈士、浦敬一(『青年運動』平成24年4月号)
興亜の先達、荒尾精の「宇内統一論」を読む(呉竹会『青年運動』平成24年1月号)
13/07/30 拘幽操 山崎闇斎題跋
13/06/21 前泊博盛編著『本当は憲法よりも大切な「日米地位協定入門」』(創元社)を読む④
13/06/19 BJP党首「もはやチベット問題に無感ではいられない」(「チベット・ポスト」6/18)
13/06/10 兵馬の権、何処にありや-対露同志会による日露開戦の奏疏(呉竹会『青年運動』平成24年11月号)
13/06/08 大アジア主義は可能か2
13/06/06 青春の情熱は恋愛ではなく祖国に捧げるもの-来島恒喜先生のこと
13/06/05 大アジア主義は可能か1
13/06/03 前泊博盛編著『本当は憲法よりも大切な「日米地位協定入門」』(創元社)を読む③
13/06/02 明治天皇様が沖縄に寄せられた大御心は「一視同仁」
13/05/31 前泊博盛編著『本当は憲法よりも大切な「日米地位協定入門」』(創元社)を読む②
13/05/30 百術は一誠に如かず-藤原岩市とF機関(呉竹会『青年運動』平成25年5月号)
13/05/29 前泊博盛編著『本当は憲法よりも大切な「日米地位協定入門」』(創元社)を読む1/4
13/05/27 96条改正の是非について
13/05/26 あらためて橋下発言について思うこと
13/05/24 アジア主義の先覚者、荒尾精の思想について(呉竹会『青年運動』平成25年2月号)
13/05/22 石原慎太郎的「憲法無効論」への疑惑
13/05/21 いまなぜ維新と興亜なのか
13/05/09 チベットの歴史20 イギリスのチベット進出2
チベットの歴史19 イギリスのチベット進出1
13/04/30 拘幽操師説 浅見絅斎講述 若林強斎筆録3/5
13/04/29 チベットの歴史18 清朝のチベット制圧5
13/04/27 チベットの歴史17 清朝のチベット制圧4
13/04/26 拘幽操師説 浅見絅斎講述 若林強斎筆録2/5
13/04/20 拘幽操師説 浅見絅斎講述 若林強斎筆録1/5
13/04/18 チベットの歴史16 清朝のチベット制圧3
13/04/15 チベットの歴史15 清朝のチベット制圧2
13/04/14 浅見絅斎講義、若林強斎筆録『拘幽操師説』(資料)0
13/04/07 渡辺惣樹『日米衝突の根源』(2011、草思社)を読む7 門戸開放通牒
13/04/06 浅見絅斎先生『靖献遺言講義』巻の二、「三国正統弁」
13/03/31 山崎闇齊先生について
13/03/24 渡辺惣樹『日米衝突の根源』(2011、草思社)を読む6 米西戦争
13/03/22 「私はなぜガンディーを殺したのか」全文(1~7)
「私はなぜガンディーを殺したのか」7(終)
13/03/19 チベットの歴史14 清朝のチベット制圧1
13/03/17 「私はなぜガンディーを殺したのか」6
「私はなぜガンディーを殺したのか」5
13/03/14 「私は何故ガンディーを殺したのか」4
13/03/12 チベットの歴史13 ジュンガルと満州2
13/03/11 「私はなぜガンディーを殺したのか」3
チベットの歴史12 満州とジュンガル1
13/03/10 「私はなぜガンディーを殺したのか」2
13/03/09 「私はなぜガンディーを殺したのか」1
13/03/07 シナの軍拡に焦るインド
Anglo Indians
渡辺惣樹『日米衝突の根源』(2011、草思社)を読む5  アメリカのハワイ併合(後半)
13/03/06 渡辺惣樹『日米衝突の根源』(2011、草思社)を読む5  アメリカのハワイ併合(前半)
13/03/04 インドにおけるムスリム勢力の展開2
13/03/01 インドにおけるムスリム勢力の展開1
13/02/28 デリーの大気汚染は北京よりヤバい
渡辺惣樹『日米衝突の根源』(2011、草思社)を読む4  支那人排斥法
13/02/27 インド情勢分析の視点―宗教・民族問題の視点から
13/02/13 先般のインド集団強姦事件を総括する(呉竹会『青年運動』)
13/02/11 祝紀元節 天皇陛下万歳 「神武建国の精神とは何か」
13/02/10 チベットの新年行事、ロサについて
13/02/08 チベットの歴史11 ゲルク派の勝利
13/02/06 チベットの歴史10 ダライ・ラマの起源
13/02/05 チベットの歴史9 転生ラマの起源
13/01/31 渡辺惣樹『日米衝突の根源』(2011、草思社)を読む3  大陸横断鉄道開通
13/01/25 渡辺惣樹『日米衝突の根源』(2011、草思社)を読む2 南北戦争と「奴隷解放宣言」
13/01/21 インド社会は、「市場の失敗」と「政府の失敗」のスパイラル
ラホール・ガンディ、ついに国民会議の実質トップに
吉田松陰先生著近藤啓吾先生全訳注『講孟劄記』(講談社第30刷)を読む 第7回
13/01/20 渡辺惣樹『日米衝突の根源』(2011、草思社)を読む1 太平洋への目覚め
13/01/17 チベットの歴史8 赤帽派と黄帽派の相克
13/01/13 チベットの歴史7 ゲルク派(黄帽派)の勃興
13/01/10 チベットの歴史6 チベットとモンゴル2/2
13/01/09 チベットの歴史5 チベットとモンゴル1/2
13/01/07 チベットの歴史4 王政時代
吉田松陰先生著近藤啓吾先生全訳注『講孟劄記』(講談社第30刷)を読む 第6回
13/01/05 チベットの歴史3
13/01/02 チベットの歴史2
13/01/01 チベットの歴史1
12/12/31 吉田松陰先生著近藤啓吾先生全訳注『講孟劄記』(講談社第30刷)を読む 第5回
12/12/26 訪印中のプーチン、インドと約3800億円の武器売却商談をまとめる。
12/12/25 『靖献遺言』総説
12/12/23 16日デリーにおける女性学生レイプ事件について
吉田松陰先生著近藤啓吾先生全訳注『講孟劄記』(講談社第30刷)を読む 第4回
12/12/13 浅見絅斎先生と『靖献遺言』
12/12/05 『靖献遺言』を読む11方孝孺
12/12/02 吉田松陰先生著近藤啓吾先生全訳注『講孟劄記』(講談社第30刷)を読む 第3回
12/11/30 中野剛志氏『TPP亡国論』におけるTPP反対論の論拠
12/11/25 エドワード・ルース『インド 厄介な経済大国』(2008、日経BP社)覚書③
吉田松陰先生著近藤啓吾先生全訳注『講孟劄記』(講談社第30刷)を読む 第2回
12/11/18 吉田松陰先生著近藤啓吾先生全訳注『講孟劄記』(講談社第30刷)を読む 第1回
12/11/15 日支尖閣有事予測①
12/11/13 エドワード・ルース『インド 厄介な経済大国』(2008、日経BP社)覚書②
12/11/03 『靖献遺言』を読む10謝枋得
12/11/01 エドワード・ルース『インド 厄介な経済大国』(2008、日経BP社)覚書①
12/10/21 本当の「維新」とは何か:第Ⅱ部全文
本当の「維新」とは何か:第Ⅱ部④ ボストンにいるB君と香港にいるN君に捧ぐ
12/10/19 本当の「維新」とは何か:第Ⅱ部③ ボストンにいるB君と香港にいるN君に捧ぐ
12/10/15 『靖献遺言』を読む9劉因
12/10/11 本当の「維新」とは何か:第Ⅱ部② ボストンにいるB君と香港にいるN君に捧ぐ
12/10/07 本当の「維新」とは何か:第Ⅱ部① ボストンにいるB君と香港にいるN君に捧ぐ
12/10/04 本当の「維新」とは何か:第Ⅰ部全文 ボストンにいるB君と香港にいるN君に捧ぐ
本当の「維新」とは何か:第Ⅰ部④ ボストンにいるB君と香港にいるN君に捧ぐ
12/09/29 本当の「維新」とは何か:第Ⅰ部③ ボストンにいるB君と香港にいるN君に捧ぐ
12/09/28 インドの経済界に根を張るゾロアスター教徒
12/09/26 パトリック・ブキャナン論説『海兵隊を召還せよ』
12/09/24 本当の「維新」とは何か:第Ⅰ部② ボストンにいるB君と香港にいるN君に捧ぐ
12/09/21 パトリック・ブキャナン論説『いまこそ、祖国に帰るとき?』
12/09/19 本当の「維新」とは何か:第Ⅰ部① ボストンにいるB君と香港にいるN君に捧ぐ
12/09/17 豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』(2008、岩波書店)を読む⑤
豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』(2008、岩波書店)を読む④
12/09/14 豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』(2008、岩波書店)を読む③
12/09/12 豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』(2008、岩波書店)を読む②
12/09/09 第三次アーミテージ報告(全訳資料):『米日同盟―アジア安定の鎮台』(2012.8)⑨
第三次アーミテージ報告(全訳資料):『米日同盟―アジア安定の鎮台』(2012.8)⑧
12/09/08 豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』(2008、岩波書店)を読む①
12/09/06 第三次アーミテージ報告(全訳資料):『米日同盟―アジア安定の鎮台』(2012.8)⑦
12/09/03 訪印中の梁光烈国防部長、戦没者墓碑への表敬をスルー
12/09/02 第三次アーミテージ報告(全訳資料):『米日同盟―アジア安定の鎮台』(2012.8)⑥
12/08/31 シナはアルナチャル・プラデーシュを「南チベット」と呼称
12/08/30 第三次アーミテージ報告(全訳資料):『米日同盟―アジア安定の鎮台』(2012.8)⑤
12/08/29 第三次アーミテージ報告(全訳資料):『米日同盟―アジア安定の鎮台』(2012.8)④
12/08/27 第三次アーミテージ報告(全訳資料):『米日同盟―アジア安定の鎮台』(2012.8)③
12/08/26 韓国こそ「戦争責任」を謝罪せよ。
12/08/25 第三次アーミテージ報告(全訳資料):『米日同盟―アジア安定の鎮台』(2012.8)②
12/08/24 第三次アーミテージ報告(全訳資料):『米日同盟―アジア安定の鎮台』(2012.8)①
12/08/23 マネサールにあるマルチ・スズキ工場、厳戒監視下で再稼働
12/08/20 スリランカをめぐるインドの憂鬱
12/08/18 『靖献遺言』を読む8文天祥
12/08/17 新東亜論―米国の普遍主義を排す(2009)12
新東亜論―米国の普遍主義を排す(2009)11
新東亜論―米国の普遍主義を排す(2009)10
新東亜論―米国の普遍主義を排す(2009)9
新東亜論―米国の普遍主義を排す(2009)8
新東亜論―米国の普遍主義を排す(2009)7
新東亜論―米国の普遍主義を排す(2009)6
新東亜論―米国の普遍主義を排す(2009)5
新東亜論―米国の普遍主義を排す(2009)4
新東亜論―米国の普遍主義を排す(2009)3
新東亜論―米国の普遍主義を排す(2009)2
新東亜論―米国の普遍主義を排す(2009)1
12/08/16 日本の終戦記念日は、インドの独立記念日
12/08/11 孫崎享『戦後史の正体』(創元社,2012)書評
12/08/10 『靖献遺言』を読む7顔真卿
12/08/07 『靖献遺言』を読む6顔真卿
12/07/27 インドの内政・外交に関する仮説
12/07/18 当代アジア主義試論 追補1
12/07/16 『靖献遺言』を読む5陶潜
12/07/12 チャンドラ・ボースと「F機関」
12/07/08 近代資本主義の終焉
12/07/01 ダラムサラの神聖と卑俗
12/06/15 インド当局、カルマパと関係のある台湾籍の中国人を逮捕
12/06/13 『靖献遺言』を読む4諸葛亮
12/06/12 『靖献遺言』を読む3諸葛亮
12/06/10 『靖献遺言』を読む2屈平
12/06/07 当代アジア主義試論
12/06/05 インド論構想メモ
チベット人を主とするインド国境守備特殊部隊SFF(Special Frontier Force)5
チベット人を主とするインド国境守備特殊部隊SFF(Special Frontier Force)4
チベット人を主とするインド国境守備特殊部隊SFF(Special Frontier Force)3
チベット人を主とするインド国境守備特殊部隊SFF(Special Frontier Force)2
チベット人を主とするインド国境守備特殊部隊SFF(Special Frontier Force) 1
12/05/29 孫崎享『不愉快な現実』覚書
12/05/23 『靖献遺言』を読む1屈平
12/03/04 第三回史記列伝勉強会梗概 第三回史記列伝勉強会梗概
第2回史記列伝勉強会梗概
第1回史記列伝勉強会梗概
12/01/10 インドの不動産登記制度について
檀君は国祖神か?
12/01/08 チベット出自の中国人諜報員がダライラマの襲撃を企図とインド情報部
11/12/28 朝鮮方策要綱-朝鮮研究の中間的結論
11/11/04 第三回朝鮮勉強会資料追補
11/11/01 第三回朝鮮研究会レジュメ~朝鮮総督府の統治実績について~
11/10/27 山本七平『現人神の創作者たち』(下)覚書
11/10/21 藤井厳喜氏新著『日本人が知らないアメリカの本音』(PHP)覚書
11/10/16 アメリカの対日政策覚書
11/10/15 フォーリン・アフェアーズ誌上、朴槿恵論文が意味するもの
大使館職員がナバ危機に対して重大な関心を表明(Phayul)
11/10/11 朝鮮研究会レジュメ
朝鮮研究会設置趣旨及び日
11/10/10 『The Snow Lion and the Dragon』1Melvyn C.Goldstein 
『The snow lion and the dragon』2
『The snow lion and the dragon』3
13人のチベット人学生がデリーの中国大使館外で逮捕される。
11/10/08 チベットからさらに心痛むニュース、2人のチベット人が自決す(Phayul)。
11/10/07 人民解放軍、パキスタンに占領されたカシミール地域で活動活発化、とインド軍司令官(Phayul)
11/09/17 我観:近年の韓流ブームについて
11/09/11 山本七平『現人神の創作者たち(上)』覚書2
9/5付朝鮮日報 「私たちは指導者の子」 金総書記が朴槿恵氏に
11/09/06 山本七平『現人神の創作者たち(上)』覚書1
11/09/04 国体問題研究会設立趣意(平成二十二年)
国体論の論点(平成二十二年)
11/08/14 黄長燁回顧録-金正日への宣戦布告(文芸春秋)メモ
11/08/13 朝鮮問題に関して検証されるべき諸仮説
11/08/09 『高度国防国家戦略』(2009)要約
『高度国防国家戦略』(2009)目次
『高度国防国家戦略』①
『高度国防国家戦略』②
『高度国防国家戦略』③
『高度国防国家戦略』④
『高度国防国家戦略』⑤
『高度国防国家戦略』⑥
『高度国防国家戦略』⑦
『高度国防国家戦略』⑧
『高度国防国家戦略』⑨
『高度国防国家戦略』⑩
『高度国防国家戦略』⑪
『高度国防国家戦略』⑫
『高度国防国家戦略』参考文献
11/08/07 『1930年代の悪夢が再現されるのか』
11/08/02 カーター・エッカート『大日本帝国の申し子』(草思社)書評
11/07/31 石橋湛山の小日本主義について
11/07/13 朴槿恵氏、始動(『東亜』)
11/07/11 呉善花『韓国人からみた北朝鮮―独裁国家のルーツ』(PHP)覚書
李來榮(イネヨン)高麗大学校教授講演摘要
11/07/08 河信基『韓国を強国に変えた男 朴正熙』(光人社)読後感
11/06/05 金両基『物語韓国史』(講談社新書)メモ
11/05/25 黒龍会『会報』(「露国の実力を算して和戦の利害に及ぶ」)メモ
11/05/24 平成の「日韓合邦」試論(2010)
朝鮮問題研究の趣旨と論点
11/05/18 本日518ブログ開設
露国東方経営部面全図全容