中臣祓師説(若林強斎講義、澤田重淵筆記)7/7

畜犯罪は、けものととつぐこと。古事紀(記)に馬ととつぎ牛ととつぎ、雞ととつぎ犬ととつぐ類とある。昆蟲は、或は田穀をそこなひ人を螫す蟲。これも田穀を害ひ人を螫す蟲のつくと云、然るゆえんがある。高津神は、雷に擊るヽ、これも罪の所以があり。高津鳥は、今云天狗ぞ。さま〲あやしひわざをするもの。このわざわいをうくるは、皆所以のあること。畜仆は、けものヽたふれ死すること。これもたヾでない。にはかにたふれ死するは、飼ものヽそふある所以あるはず。又吾手にかけてゆへなくころすをも云。蟲物爲罪は、人をのろうふこと。毒舌したり、神木に釘打の、人がたをして祈る類ぞ。云に云はれぬ隱微曲折の罪どもぞ。天津罪かくのごとく、國津罪かくのごとくと、許々太久の罪をあらはし出し、毫末蔽隱すことをせず、とんとかふ顯然明白に自首して出るを、輕重によつて、天津宮事を以て、大中臣それ〲にとりおこなはせ玉ふこと也。天津宮事は、天上の故事、朝廷の法式ぞ。天津はあがまへたつとぶこと。大中臣。大は贊美の詞。中臣は道の名、後世姓となる。初は讀日本紀稱德天皇神護景雲三年六月の詔に、神語に大中臣とある故、中臣朝臣淸磨に大中臣と賜るとある。神語は此祓ぞ。こヽでは姓でない、道の名ぞ。其道にかなふたは兒屋根命・種子命の如きがそれぞ。天津金木は、卽八針にする小木のこと。今世俗の詞にも、小きたきヾを金木と云詞がのこつてある。金木と云は、金氣でなふては祓はれぬゆへぞ。八針も金氣で云。懦弱で祓はるヽものでない。本打伐末打伐は、本と末とを切てすて眞中を用る。惣じて神道は中を尊ぶぞ。神宮の心の御柱を鎭むるも、本末をきり、眞中を用るぞ。千座乃云云。罪にしたがつて讀物をおほせ出さしめて、それをおきならぶるおき處を座と云。千座は、千處にあるから、其おき處に一はいおきみちたるを置足と云。置座の制は、訓解延喜式に出たり。千座・八座・四座・罪の輕重ほどづヽにあることなり。神代卷に、諸神達罪を素尊におほせて、千座置戸を以促徴、家財のこらず出さしめ、つひに髮を祓き爪を祓き贖ふて神遂にやらはれさせられた。かうでなふては、いつまでも罪科のまぬかるヽことはない。天津菅麻を本苅斷、末苅斷て、金木でさしはさむこと。菅麻は、ねらぬあさをも云。すがは、吾心淸々のすがで、潔白淸浄を表する儀とも云、又は菅と麻と二物、ともに八針の用にするとも云。いづれでもよい。これらも中を用る。八針爾取刺弖は、八本の幣串を、八つ足の案上に八本、案下に八本たつる。上は天津社へ上る幣、下は國津社へ上つる幣。天神地祗を勸請して、天津祝詞の太諄辭を以て宣るなり。すつへりほんと身の皮剝て贖物を出し、罪をあらはし、今までの罪咎をゆるさせ玉へと、餘事餘念なふ純一无雜に天神地祗へ申上るが、天津祝詞の太諄辭ぞ。神皇一體ゆへ、皇へさへ自首すればすむでない。君へも神へも申上ること。神代卷に、兒屋根命をして太諄辭を主らしむるとあるがこのこと。廣厚稱辭所ㇾ啓矣、と云も、神祝々ㇾ之、と云も、是なり。皆、神へ申上る詞ぞ。天津祝詞のには祕訣あり。底心つくして安排布置なく、赤子の様な心になつて申さねば、御聞屆はないぞ。こヽがきわめて大事。今迄犯し過つた罪咎はせふことがない。自首して蔽隱さず、贖物を出し、つんと吾が誠の至り、底心から神皇へ御斷申上げ、御聞屆けあらふあるまいはあなた次第、そこは此方の思慮にないこと。唯一心不亂になげき切て申し上より外はないぞ。一旦祓て再犯するやうなことでは、却て神を瀆し慢ると云もの。頓と祓淸めて、各別な人間に生れかわるが祓の德ぞ。政の上でもこれなり。下面々の上でもこれぞ。如ㇾ此宣波云云。右の通、一心不亂になげき切て申上ると。天津神は天上の尊神、國津神は天下の諸神ぞ。天神地祗はらひ案に天降せらるれば。祓案は、諸神來格の場ぞ。高山云云。惣じて社は卑濕の地にはたてず、大山小山の上にすることぞ。末は山の頂なり。伊惠利はいほり、則御社ぞ。ながききつて申上る處をきこしめさるヽ、それが天津祝詞の太諄辭でなふてはきこしめさず、きこしめさるヽなり、天神地祗の御心もにこやかにならせらるヽぞ。神皇の上に照臨なさるヽも、益人を不便におぼしめし、潔き心になれかしとおぼしめさるヽより外ないからは、一心不亂に罪咎を悔み申上るをあはれませられ、御納受ましまさふことぞ。御蔭の露でたつ萬民ゆへ、罪咎を犯せば、自から悔みなげきて、自首して政法を恐れ神慮をいのれば、感應まします筈ぞ。如ㇾ此聞食弖者。拂申は風で云、淸申すは水で云。天神地祗御納受があれば罪はあらじものぞと、一點毛頭殘のない氣象模様が科戸乃風云云ぞ。科戸乃風は、神代卷に、風神を級長津と云から云ぞ。神宮で乾風云は、雨雲を吹拂ひ晴天にする功用あるゆへぞ。大津乃邊は、舩のあつまる處を大津と云。順風で大海原の原に押放つ如く。繁木加本は、しげりた草木ぞ。をちかたの野原のしげりたを。燒鎌は、やへばのするどな鎌。それを以てはらり〱と打拂如く、一點毛頭、遺乃罪者云云ぞ。まへには罪止云罪とばかり云、こヽに至り、遺乃罪云云と、まへのけぶらいはない。かふ拂はねば、祓徐でない。科戸風朝夕霧を吹拂は風で云。大津の邊は水で云。燒鎌は金氣のみぢんけぶらいなく、決然とたちきるを云。祓に金氣をたつとぶがこれぞ。佐久奈太理は、山のいたヾきから、眞一文字に白瀧の裂てなだれ落ること。佐久良谷に作るもある。所の名でない、太理・太仁、通ずるぞ。淡海栗太郡櫻谷の社、瀨織津姫をまつるゆへ、處名を櫻谷とす。櫻谷と云場が初からあるでない。所謂獅子飛と云處、湖水のおちぐち、佐久奈太理落瀧津の氣象のある處ぞ。惣じて祓徐は水邊により、面々出した讀物を、ふとのとごとをのつて水へながすこと。瀨織津姫は、速川の瀨まくら打處にまします。あと三神とこれを祓所の四神と申し奉る。祓戸に鎭座まし〱て、なげきヽつて祓徐をつとめ、太諄辭を以てのると、何とぞきたなき心を改め、いさぎよくなれとて、速川の瀨に屹度しずまらせらるヽ瀨織津姫ゆへ、あがものを川へ打込むと、大海へといれ持出し、おしながさせらるれば、あがものとともに罪咎はゆとりもなにもあることでないぞ。たヾ祓いは、佐久那太理に落瀧津速川のと云氣象でなふてはならぬ。祓ふ場所も、祓ふ氣象も、この意を得るやうにせよ。うじついたことでは拂はれぬ。急湍飛流白瀧のやうに氣象で打拂ふて、瀨織津姫ノ感應ましまして、罪咎を流して下さるヽぞ。諾尊の檍原の祓徐も、无念无想に水へ飛こませられ、堅横十文字、身心一致に祓清めさせられた處で、八十曲津日神直日大直日心化し玉ひ、天日と一致にならせられたるぞ。惣じて祓は日を目當にして、天日の如き心になるでヾなふては、祓にならぬ。それまで祓ふ。氣象がぬらりとしたことでは、祓でもなんでもないぞ。白瀧のやうな氣象で、天日と一致の心になるに至るも庶幾せられたものぞ。瀨織津姫感應あつて、海へぼしながさせらるヽと、あとは、ずう〱とこの氣象で祓ひぬかぬことはないぞ。如ㇾ此持出給天者云云。川より海ぞ。荒鹽之云云。くりかへし〱至極とほくふかいこと。これに速秋津姫のござりて、ぐつと呑でのけさせらるヽ。文義はきこへて、たヾ佐久奈太理から段々よむ語意氣象をみよ。詞をきくやいなや、身心いざぎよくなるぞ。速秋津姫は、神代卷に、水門神等號速秋津日命、とある。水門にまします神ぞ。惣じて門と云は、うしほの勢つよい處を云。鳴門・速吸名門・橘の小門、皆うしほのさしひきが、門戸を出入りする様なから、水門と云て、秋は水門の縁語なり。潮勢すみやかにはげしいから、速秋津姫と申し奉る。早秋津彦・秋津姫、海河を主らせらるヽ神ぞ。可々呑は、がじ〱とかみのんで、みぢんちりもはいものこりがない。如ㇾ此可々呑弖者云云。伊吹は、いき吹の合點。海水の氣通ずる處を云。上の荒鹽乃云云より、外海のとほいもふかいもない、至極のぎり〱の處から氣を發するぞ。それにまします神ゆへ、伊吹放給弖者云云。速佐須比咩は、さすらふは左遷のことを云。ながしものになつて、たよろふやうもなく、さすらいさまよふこと。日本紀に、流離伶俜の字を塡む。根の根、底の底にまします。御鎭坐傅記に、諾尊鼻を洗はせられて生る神、速佐須良比賣と號づく、土藏靈貴也、素尊と力を合せ在ますとあれば、素尊と一體。しかれば千座置戸の祓をなされ、神遂にやらはれさせられ、根の根、底の(底の)國へゆけとあつて、たよらせられうやうなくさまよはさせられたから、速佐須良と云て、あの荒金のあじきないしわざの、垢がくつとぬけにぬけたからでなければ、いさぎよき心身にはならせられぬぞ。天神地祓ににくまれ、上の法令にもそむくからは、身をかばわずのるかふぞる。かの祓をせねば、垢のぬけふやうがない。吾心清々しの心を得させられ、今の天下の尊神とあがまへ奉るも、根國底國にさすらはせられた艱難から、あヽみがけさせられた。これが祓の至極ぞ。それで神號をすぐにさすらひめと申し奉て、祓戸の至極に鎭坐まし〱て、天下蒼生の眞實に非を悔み過を改めて、祓を修めなげくものをあはれみ玉ふ守り神と立せられて、もちさすらひ失給ぞ。失は、根からなにもないこと。初に大海原に持出し、次に可々呑、次に伊吹放とあつて、こヽで失とあれば、まへの氣はない。こヽで格別の心身になるぞ。素尊の別號に比咩とあるは、祓戸の四神の傳をきかねばすまぬこと。瀨織津姫・速秋津姫は水、伊吹戸主は風、速佐須良比咩は金。風水金で始終貫くことぞ。如ㇾ此佐須良比云云。拂申、清申とくりかへし〱祓ひ清るが、もうよいと云はぬ合點。かう拂ふたからは、もふ罪咎はないと安んじては再犯になる。不有者曾止。いよ〱其上、祓申、清申に間斷はない。祓所乃八百萬乃神。天津神・國津神ぞ。八百萬乃神等諸共仁云云は、卜部家の本。高天乃原仁云云は、延喜式の祝詞にある。二つながら傳ゆへ附しておかれたぞ。まづ一通り文義如ㇾ此。神代卷と共、反復熟玩して、正旨を得るやうにすべし。面々御蔭の露にうるほふて、日月を戴き五穀を食て居るからは、心に覺へあるきたない處をさしをいては、須臾も身のおき處はない。身心潔白清淨に祓ひ清め、四神感應まします様にあれば、各別此身を生み直したやうなもの。これでこそ本法の吾國の人間で、かうなれとの冥慮なり、御しおきなりゆへ、めん〱かへりみるべき處、力を用べき處ぞ。いつまで学んでも此合點ないは、却て神明を瀆慢と云もの。冥罰可ㇾ恐こと也。

崎門学研究会

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