エドワード・ルース『インド 厄介な経済大国』(2008、日経BP社)覚書①

本著は英国生まれフィナンシャルタイムズ紙記者による渾身のルポタージュの邦訳である。インド情勢の分析としては秀逸だと思う。が、原著の初版が2006年で、それから6年以上経過しているので、以下では本著で提起された問題ないしは論点を参考にしてインド情勢をアップデートしたい。

 

インド情勢の分析対象は以下の三点

①宗教文化情勢

②社会経済情勢

③内外政治情勢

まず①に関して、本著曰く、ネルーの最大の遺産は、①民主主義②世俗主義③社会主義とのこと。インド社会は主にA.ヒンドゥー対その他の宗教B.ヒンドゥー内部におけるカーストによって細分化されており、それぞれの力関係で民主政治の帰趨が決する。このように社会内部のコミュニティーがそれぞれの信条と利益を主張できた前提には、世俗主義という前提があればこそであった。しかしBJPやその母体であるRSSのようなヒンドゥー主義団体は、インド社会の分裂と停滞を招いた世俗主義そのものを批判している。とくに、インドと分離独立したパキスタンはイスラムを国教としており、それと相互性の観点からも、国教を定めない世俗主義の真価が問われている。ただし、ここで看過すべからざるは、8世紀にインドに伝播したとされるイスラムの担い手が、少なからずロー・カースト出身のヒンドゥー教徒であったということだ。他の国民国家と同じように、インドが国民統合の中心に位置する共通の神話と伝統をヒンドゥー教の中に求めようとするならば、その最大の障害は間違いなくカーストになるだろう。

一方の国民会議派は、あいかわらずネルー王朝に牛耳られている。すなわち、国民会議派の主要メンバーであったネルーの親父、モーティラール・ネルーに始まり、ネルーから娘のインディラ・ガンディーに引き継がれ、さらにはその息子のラジーブ・ガンディー、その未亡人である現在の国民会議派総裁ソニア・ガンディーへと引き継がれたインドの「華麗なる一族」である。最近ではソニア・ガンジーの息子であるラホール・ガンジーが政治家として活躍し始めたため、会議派の取り巻き連中は彼の将来を嘱望してやまない。会議派は英国紳士の匂いがして、あまりインド的には見えない。本著では言及されていないが、国民会議はアラン・オクタビアン・ヒュームなるイギリスの生物学者が発起人となり「急増する反英勢力への安全弁」として設立された経緯がある。よって国民会議やその巨頭であるネルーの志向したリベラルな伝統も、どこまでインドの歴史的地層に根差したものであるのか、疑義を呈さざるを得ない。

しかしBJPに代表されるヒンドゥー至上主義政党も、どこかヒンドゥーの信仰や文化を政治利用している感がある。BJPの領袖であり、19922002両年の暴動に深く関与したとされるグジャラート州首相のナレンドラ・モディーは次の州選挙のマスコットをラーマクリシュナ・ミッションで知られるヴィヴェーカーナンダにするらしい。しかしヴィベカーナンダをヒンドゥー主義のマスコットにすることに対して彼の思想と運動を歪曲しているとする批判意見もある。

筆者の浅薄な予測では、次の総選挙は、上述したナレンドラ・モディーと国民会議の貴公子であるラホール・ガンディーの一騎打ちになりそうだ。そうなれば、インド政局の対立軸はより鮮明なるだろう。

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