渡辺惣樹『日米衝突の根源』(2011、草思社)を読む2 南北戦争と「奴隷解放宣言」

南北戦争はアメリカの建国史上、空前絶後、莫大な犠牲者を出す戦争であった。本書では719千人となっているが、wikiだと62万人となっている。何れにしても二位の第二次世界大戦、405千人に大きく差をつけるアメリカ史上最大の戦争である(下図)。南北戦争といえば、リンカーン、リンカーンといえば奴隷解放宣言と思われているので、あたかも南北戦争は奴隷制の存否をめぐる戦争のように思われがちであるが、本書の説くところそうではない。けだし、南北対立の根底には、アメリカの国策をめぐる「連邦派(フェデラリスト)」と「共和派(リパブリカン)」の対立があった。前者の「連邦派」は主として初代財務長官のアレクサンダー・ハミルトンを領袖とし、連邦政府に権力を集中し、中央銀行の創設や、国家主導の産業政策、保護貿易政策を主張した。それに対して「共和派」は、第三代大統領のトマス・ジェファーソンを支柱とし、州権の独立性を擁護して、イギリスとの自由貿易を主張した。当時、アメリカ産業の中心は北部であったことから、北部諸州は「連邦派」に与し、黒人奴隷を使ったプランテーションでイギリスに輸出する綿花を生産していた南部諸州は「共和派」を支持した。かくして国家は南北に分裂し未曽有の内戦に突入したのである。

さて南北戦争の勃発によって、アメリカ南部から綿花を輸入していたイギリスの紡績産業は休業を強いられた。イギリスは表面上、中立を装っていたが、裏面では南軍に艦船を提供し、フランスと結託して内戦に介入する機会をうかがっていた。そこで北軍が出した戦局打開の切り札が1862年の「奴隷解放宣言」である。北軍は奴隷解放の義旗を掲げ、農奴解放を決し啓蒙君主として知られたロシアのアレクサンドル2世に働きかけることで、内戦への介入を目論む英仏に釘を刺したのであった。このように、世に有名な奴隷解放宣言は、国際世論を味方につけ英仏の介入を阻止する北軍のしたたかな外交戦略に他ならなかったのである。

 

 

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