渡辺惣樹『日米衝突の根源』(2011、草思社)を読む3  大陸横断鉄道開通

南北戦争の終結に伴い、ゴールドラッシュで開けたカルフォルニアとアメリカ東海岸を結ぶ大陸横断鉄道の建設がにわかに本格化しだした。1862年に大陸横断鉄道敷設法が成立すると、東からはユニオン・パシフィック鉄道、西からはセントラル・パシフィック鉄道が相競って線路の敷設を始めた。しかしここで一つ問題が発生する。それまで鉄道作業員の中心は、アイルランド系移民であったが、彼らは労働意欲が低くて職を移ろいやすい上に、折からの奴隷解放宣言の影響で、労働者が慢性的に不足していたのである。

そこでこの不足を補う労働力の供給地として清国に目を付けたアヘン商社は、シナ人をアメリカに輸送しだした。苦力と呼ばれる彼らは、表面上自由意思でアメリカに渡ったように見せかけられたが、実際はアヘン商社が領事裁判権を盾に、誘拐まがいの方法で連れ去った疑似奴隷であった。さらに清国政府は、シナ人の移民を禁止していたため、苦力貿易はあくまで秘密裏に行われていたが、アメリカの清国公使であったアンリン・バーリンゲームは、同治帝の叔父である恭親王と気脈を通じて、清国の外交使節団長に就任すると、清国の全権としてアメリカに渡り、「スワード・バーリンゲーム条約」と呼ばれる「低賃金労働者供給条約」を締結してしまう。これは清国の海外移民を解禁する内容であった。それにしてもアメリカ人であるバーリーンゲームが、清国の全権としてアメリカ政府と交渉するというのは甚だ奇妙な話である。かくして大量の苦力がカリフォルニアに渡り、大陸横断鉄道の建設に従事した。上述したセントラル・パシフィック鉄道の労働者のうち、九割の13千人はシナ人労働者であった。アメリカの東西から延びてきた線路が連結されたのは、18695月のことである。

 

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