興亜の先達、荒尾精の「宇内統一論」を読む(呉竹会『青年運動』平成24年1月号)

五百年に一度の偉人

 興亜主義の思想と運動を論じる上で、荒尾精(1859~1896)の偉大なる功績を特筆しない訳にはいかない。彼は早くから興亜思想に目覚め、大陸雄飛の大望を抱いたが、陸軍士官学校を卒業して連隊付けを経た後、ついに宿願かなって参謀本部支那部付けを拝命して支那に渡った。支那では、当時上海において楽善堂の名で売薬業を営んでいた岸田吟香という実業家の助力を得、漢口に楽善堂の支店を営むという形で、商家に身を扮しながら諜報任務に従事した。

 その結果、西欧列強の侵略から東亜を保全するために日清が提携する必要を痛感し、上海に両国の貿易振興を目的とした日清貿易研究所(後の東亜同文書院)を創立した。同研究所からは、日清日露の戦役で活躍した多くの情報将校が輩出している。この荒尾の人となりを、かの頭山満翁は「大西郷以後の人傑」と讃え、「諺に五百年に一度は天偉人を斯世に下すと云うとあり、当時最も偉人を憶うの時に荒尾を得たのであるから、此人は天が下せし偉人其人ならんと信ぜし位に、敬慕して居った」と回想している(井上雅二『巨人荒尾精』東光書院)。

 ところで、彼は上述したように事業家としての才能を如何なく発揮したが、一方で士官学校時代には山崎闇斎の高弟である浅見絅斎が著した『靖献遺言』を同志と愛読し、彼等はその綱紀の厳正なことから「靖献派」として畏れられたほど、強固な尊皇思想を行動の根底としていた。

 そこで以下では、この荒尾精の思想に焦点を当て、彼の著した「宇内統一論」を読み解きながら、興亜思想の真髄に迫りたい。なお本論の引用は全て上掲の『巨人荒尾精』を参照し、適宜歴史的仮名使いを改め、読み仮名を振るなどした。

我が国の天命

 まず本論では最初にわが国が宇内に行動する一大目的は何ぞやとの問いを発し、これに応えるに、わが国の天命は「六合四海を一統して、普天率土の生民をして、洽く我皇の仁風を仰がしむること是也」とする。そしてこの壮大なる使命は「実に皇祖天神が建国の創めに宣せられたる大叡旨にして、発して列聖天皇の愨徳丕蹟に現われ、伝えて不朽の皇典図書に存し・・・爾来年を閲する数千載、皇徳日に新にして大道愈振い、宝祚の隆なる、洵に天壌と窮まりなき者、是豈に万邦に冠絶せる我国体の真相にあらずや」と断ずるのである。

「天成自然の真君」

 古来、外国の歴史で英明の君主が国を興した事例は枚挙に遑がないが、その子孫から暗愚な君主が出ると、やがて国運が傾き王統が断絶するのが常であった。シナにも古くから「易姓革命」、すなわち君主に徳が無くなると天の命が革(あらた)まり、帝王の姓が易(か)わるという思想が流布しており、それによって「堯舜禅乗」や「湯武放伐」として知られるような「禅乗放伐」が度々繰り返されてきた。

 しかしながら我が国においては、本論でいうように、「皇祖天神の我国に君臨あらせられてより今に百数十世、神子神孫世々相承け・・・今上陛下に至らせらるるまで・・・毫も皇祖の御遺勅を損益せずして、皇祖の御遺徳を修めさせられ・・・嘗て一点の人為人力を其間に挟」むことが無かったのは、実に類まれというべく、そのような我が国の天皇はこれを「天成自然の真君」というべきである。本論にいわく、「皇国は無為を闘わし、帝国は徳を闘わし、王国は義を闘わし、覇国は智を闘わし、強国は兵を闘わす・・・皇の字は自王なり、自に従い王に従い、天より命ぜられたる自然の王というの義なり・・・しからば則自立して王たる者は勿論衆庶の推挙に依る者も、また皇にあらず」とあるのは、天成自然の天皇を戴く我が国のみが、「皇国」の名を冠するに足る唯一の国家だということである。

 もっとも、このように我が国は天成自然の真皇国であるがゆえに、幾千万の我が国民は、各自の肺腑より発する皇室への尊崇敬慕の念が、「何に由りて、此の如きか」をほとんど自覚していない。そこでその所以を、本論は人類団結と国家成立の起源に遡って説き起こす。

忠孝一致の家族国家

 すなわち、「そもそも人類団結の最先模型は家にして、家より族を成し、族より国を成し、国と家とは大小単複の差ありと雖も、其の秩序と組織とは全く同一精神に基く者とす・・・然り而して天創草眛の人類が、始めて家を成せる所以を尋ぬるに、一に血縁を重んじる情念が、夙に彼らの心田に栽培せられたるに由る者の如し」。そこでその血縁を重んじる情念から血縁の本源たる父母への尊崇が生まれ、さらに「漸く人類繁殖の度を加え、一家より数家を出だして、遂に本支宗族の関係を生じるに及んでや、家人が家主を尊崇するの念は、直ちに族人が宗家を尊崇するの念と為り・・・更に進んで邦国の形態を成すに至るも、そのいわゆる治者被治者の関係は、取りも直さず家人の家主に対し、族人の族長に対する関係にして、いわゆる君臣上下の分位は、取りも直さず子孫の父祖に於ける、支族の宗族に於ける分位に外ならず、何となれば君家は九族百姓の共同宗室なればなり」。

 かくして我が国において「君臣の義は、父子の親とその精神を一にし、法制道徳均しく君家なる一源泉より流出し、全国を挙げて渾然一家団欒の状を呈せしむる」に至るのである。これは裏を返せば我が国が、一度の革命を経験することなく、「天成自然の真君」たる天皇を戴き、万世一系の国体を護持することが出来たのは、我が国における国家成立の根拠が、上述のように、皇室を宗室、臣民である国民をその支族となせる忠孝一致の血縁原理であることに原因するものといえよう。

世界の皇化

 そして更には本論の冒頭で、我が国の天命が「六合を統べ、四海を一にし、以て普天率土の生霊を化育せしめる」ことであると宣言されたのは、「数千載の上より、数千載の下に至るまで、よく天成自然の原形を全うして、毫末だも神聖を汚されざる者は、真に唯我が国と我が皇室とあるのみ」だからに他ならない。つまり我が国は世界で唯一の道義国家であるがゆえに、他の道義の不在に苦しむ国家を皇化によって救うことが「皇祖天神」の御神勅に示された崇高な使命だと説くのである。

 ただし、ここに示された道義的理想は、自国の実力を度外視した空想ではなく、むしろ当時の緊迫した大陸情勢に対する怜悧な地政学的分析に裏打ちされたビジョンである。そのことは荒尾が別に著した興亜政策に関する所見(『対清意見』、詳細は『青年運動』平成25年2月号参照)に見えており、そこで彼は「朝鮮の貧弱は、仮令朝鮮の為めにこれを憂えざるも深く我が国の為に憂えざるべからず、清国の老朽は仮令清国のために悲しまざるも痛く我が国のために悲しまざるべからず。苟も我が国をして綱紀内に張り威信外に加わり、宇内万邦をして永く皇祖皇宗の愨徳を瞻仰せしめんと欲せば、まずこの貧弱なるものを救い、この老朽なるものを扶け、三国鼎峙し、輔車相倚り、進んで東亜の衰運を挽回して、その声勢を恢弘し、西欧の虎狼を膺懲して、その覬覦を杜絶するより急なるはなし」と述べている。つまり彼(荒尾)はここで「祖国を熱愛するが故に支那朝鮮を誘導扶助して、東洋を護る障壁たらしめんと欲したのである」(黒龍会編『東亜先覚志士記伝』)。

 

 以上で概観したように、本論は山崎闇斎を学祖とし、湯武放伐の排斥を特徴とする崎門学の影響を色濃く映し出している。さすがは陸士時代に「靖献派」の領袖として威名をとどろかした荒尾の面目躍如といったところである。そして「世界皇化=宇内統一」に発展する彼の興亜思想は、つまるところ尊皇を基軸とした維新の延長に他ならない。つまり維新と興亜は不即不離ということだ。(敬称略)

 

      荒尾精

 

 

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