『神皇正統記』を読む⑧

皇統系譜 天智天皇以下次に第五十七代陽成天皇であります。この御代に至り、藤原氏の台頭は専横に変わります。というのも、先述した良房の養子である基経は、太政大臣として天皇を摂政いたしましたが、甚だ僭越にも天皇不徳にして器にあらずとして、陽成天皇を廃位に追いやるという臣下として絶対にあるまじき暴挙を働いたのであります。しかし驚くべきことに、親房はむしろ基経の立場に与しており、以上の事実を次のように記しております。いわく「この天皇性悪にして、人主の器に堪えず見え給ひければ、摂政嘆きて廃立の事を定められにけり。・・・この大臣まさしき外戚の臣にて、政を専らにせられしに、天下のため大義を思ひて、定め行はれけるいとめでたし」。いかに藤原氏が、天児屋根命を始祖に仰ぐ由緒ある家系であるからといって、所詮は人臣に過ぎぬ分際で、天子の廃立に介入するのは大逆非道の謗りを免れないはずです。それを誰あろう忠臣の親房が肯定しているのですから、いささか奇異の感を禁じ得ません。

これも前述しましたが、親房には神皇正統記を通じて仏教的な因果応報の考えが見え、天子に徳がなくなると、皇位は万世一系のままであるが、その天子の御嫡流が衰微ないしは断絶し、皇統の正閏が入れ替わるという観念が伺われるのです。そのことを記したのが次の一節です。いわく「わが国は神国なれば、天照大神の御はからひにまかせられたるにや。されどその中に御誤あれば、暦数を久しからず、又終には正路に帰れども、一旦も沈ませ給ふためしもあり。これは皆自らなさせ給ふ御科(とが)なり」。つまりは、自業自得だというのです。例えば、仁徳天皇は聖君にましましたが、武烈天皇が暴君だったので皇位の正統は応神に復し、壬申の乱によって天子の正統は天智から天武に移りましたが、その後称徳天皇、世を乱し給ひしによって、天智天皇の御血筋を引かれる光仁天皇が御位を継ぎ給うたといった具合です。

そして藤原基経に廃位せられた陽成天皇の後を継がれた第五十八代光孝天皇の正当性についても、親房いわく「今の光孝また昭宣公(基経)の選にて立ち給ふといへども、仁明の太子文徳の御流なりしかど、陽成悪王にて退けられ給ひしに、仁明第二の御子にて、しかも賢才諸親王に優れましましければ、疑なき天命とこそ見え侍れ」。このように、あくまで有徳の天子が世を知らすべしとする親房の思想的態度が闡明せられております。

なお正統記は、この天皇の御代に、それまでの摂政が改められて関白となったと記しております。

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