平沼氏の復党に想う―いまこそ真の保守政党の結成を待望する

保守野党としての存在価値

次世代の党の平沼前代表が自民党に復党するとの報に接し、感慨を禁じ得ない。平沼氏は、かつて将来の総理候補と目されながらも、小泉首相の構造改革に抵抗して自民党を離党し、石原慎太郎氏等と「たち上がれ日本」を結成した。同党は、自民党の新自由主義路線と一線を画する真正保守政党と目されたが、石原氏の意向で橋下徹氏率いる大阪維新の会と合流した結果、党勢は飛躍的に拡大したものの、結党の理念は後退した。その後、石原氏と橋下氏の「円満離婚」によって、維新の会は分離し、平沼氏を代表として「次世代の党」が結成されたが、同党には、一部の新自由主義勢力が混入していたため、自民党との差異を打ち出せず、むしろ自民党の「補完勢力」に過ぎなくなった結果、先の総選挙では、多党乱立のなかで埋没し、壊滅的大敗を喫した。

平沼氏の復党によって、今後「次世代の党」がどうなるのかは不明である。しかし、いずれにしても、同党が自民党と一線を画する明確な方向性を打ち出せないかぎり、保守野党としての存在価値も将来性も見いだせないだろう。その上で、現在の我が国にとって必要なのは、あくまで皇室中心主義に立つ対米自立政党である。それは戦後の自民党政府が、口では「保守主義」を唱えながら、現実には戦勝国に押しつけられた憲法や日米安保体制に安住し、金権政治にまみれるなかで、ひたすらなる対米従属を続けて来たことへの反省から出発し、天皇陛下を戴く国家として、アメリカから真の独立を勝ち取ることを目的とした政党である。

対米従属としての安保法制

昨今、安倍首相が強行した安保法制も、自民党によるこれまでの対米従属を強化するものだ。安保法制は、我が国の集団的自衛権行使を可能にするものであるが、集団的自衛権は個別的自衛権の延長であり、まずは国家の自主防衛体制が確立されなければ、大国の思惑に翻弄されてしまう。その際、国内に米軍基地を抱え、抑止力をアメリカに依存する我が国が集団的自衛権の行使を容認すれば、自衛隊がアメリカの国策のために利用されることは火を見るよりも明らかである。

そもそも日米安保は、我が国がアメリカに基地を提供する代わりに、アメリカが我が国を防衛するという取り決めである。しかるに、我が国もまた集団的自衛権によってアメリカを防衛するのであれば、アメリカは在日米軍を撤退させるか、さもなくば我が国に基地を提供しなければ筋が通らない。あるいは、我が国が集団的自衛権を行使する代わりに、日米安保を見直し、在日米軍を撤退させ、自衛隊が正規の国軍として在日米軍に代替する抑止力となるのであれば、その暁には個別的自衛権が確立され、集団的自衛権も「日米同盟」を機能させる有効な手段として、我が国の国益に資するであろう。このように、在日米軍の撤退と自衛隊の国軍化なくして集団的自衛権は不可能であり、一層の対米従属を招くだけなのである。

しかるに「次世代の党」を始め、我が国の「保守」を自称する政治勢力の大半が、無批判に安倍首相の安保法制を支持しているのは如何にも不可解である。安倍首相は中国や北朝鮮の軍事的脅威を抑止するために「日米同盟」が重要であり、また緊密なる同盟関係を維持するために我が国の集団的自衛権行使が必要であると言うが、それならば、アメリカの我が国に対する軍事的脅威はどうなるのか。

アメリカが在日米軍によって抑止しているのは中朝だけではない。アメリカにとって、在日米軍は、日本における軍国主義の復活を抑止する「瓶の蓋」であり、戦後の占領憲法や日米安保体制を維持する軍事的保証に他ならない。つまり中朝への抑止云々を云うのであれば、我が国の再軍備の最大の障害となっている「日米同盟」のくびきを脱するのが先であって、逆にこれを強化するのは思考論理の転倒である。

何を「保守」するのか

我が国の自称「保守」勢力が、「日米同盟」によって我が国が守られていると錯覚しているのは、つまるところ我が国が軍によって「保守」すべき目的を理解していないからである。それはアメリカの云う「自由や民主主義」ではなく、ひとえに天皇を中心とした我が国の国体に他ならない。

その上で、現行憲法は、「国民主権」や「民主主義」、「政教分離」といった市民社会の基本原則に基づいているが、我が国は建国以来、万世一系の天皇が祭祀によって国民を統合し、国家に君臨して来られたのであるから、そういう意味では「国民主権」ではなく「君主主権」、「民主主義」ではなく「民本主義」、「政教分離」ではなく「祭政一致」であり、両者は水炭相容れないのである。

現行憲法は形式上、大日本帝国憲法の改正によって成立しているが、上述の通り、主権の変更を含む国家原理の根本的変更は憲法改正の限界を超えた革命的異変である。またこの変更が、アメリカの占領下で強制されたものであることを併せ考えると、現行憲法は手続き的にも、内容的にも法的に無効であることは明白なのである。

自称「保守」の欺瞞を突く

しかるに「保守」を自称する自民党が「憲法改正」を主張し、現行憲法の法的正当性を一旦認めているのは自己矛盾だ。占領憲法が法的に無効なのであれば、その主張は「憲法改正」ではなく、あくまで「憲法破棄」による「大日本帝国憲法の復活」か、「自主憲法制定」でなければならない。戦後七十年経って今更遡及的無効は無理だと言うのであれば、武家政権七百年、徳川幕府三百年の旧制を打破して王政を復古した明治維新はどうなるのか。我が国の悠久の歴史のなかでは戦後七十年など物の数ではないのである。

また巷間流布されている憲法無効論の根拠は、主として占領下での強制という手続き的なもので内容的なものではない。その点、自民党は言うに及ばず、天皇陛下を奉る次世代の党までもが、現行憲法の不当性を説きながら、憲法案の冒頭で、「国民主権」を謳っているのは思慮に欠けると言わざるを得ない。

本来、保守野党はより理念に忠実に、上述した自称「保守」の欺瞞を鋭く突き、国体の本義を正さねばならないが、平沼氏なき「次世代の党」にその役割を期待することが困難なのであれば、新たに「あくまで皇室中心主義に立つ対米自立政党」を結成する他ない。いまこそ、真の保守勢力の結集による新党の結成を待望する。

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