「三島由紀夫、森田必勝両烈士顕彰祭」参加報告

昨日、平成27年11月24日、一水会主催の「三島由紀夫、森田必勝両烈士顕彰祭」(場所:サンルート高田馬場)に参加し、檄文を奉読した。今年は、昭和45年の「三島事件」から四十五年の節目である。一水会の木村三浩代表は挨拶で、本祭の目的は、我が国の自主性を回復するために憂国の行動を起こした両烈士の魂を継承することにあると述べた。

第二部では、第二十九代航空幕僚長の田母神俊雄氏が記念講演した。内容の詳細は次号『レコンキスタ』をご覧頂くとし、ここでは梗概のみを記す。

  • 三島事件当時、田母神氏は防大の四年で、陸上訓練の後、食事をしていた際にニュースで知った。当時の防大校長は猪木正道氏で、防衛庁長官は中曽根康弘であった。猪木は三島と対談するなどし、三島を激賞していたが、事件後は「とんでもない奴」と言を翻した。防大のガイダンスでも、三島否定が宣伝されたが、学生内部には異論もあった。三島の行動は自分の為ではなく、国家の為に警鐘を鳴らしたものである。当時の識者は、いずれ自衛隊も国軍化すると言っていたが、結局状況は悪化してしまった。
  • 現在の自衛隊が装備している、F15戦闘機、イージス艦、パトリオットミサイル、FCS-3ミサイルシステム(?)などの兵器はアメリカの継続的な技術支援がないと動かない。これは外国メーカーの自動車と違う。これらの兵器はソフトウェアが能力の大半を決める。例えば、F15 戦闘機の場合、同じF15でもアメリカ製で米軍が使うのはBasic1でそれからBasic2、Basic3と能力が控除され、それが日本に輸出されて自衛隊で使われるから同じF15でも日米では性能が全く違う。これは兵器輸出の原則であり、最高性能を持つ兵器は国産のみなのである。よって、国家の自立は軍の自立、兵器の国産化を進める他に軍の軍の自立、国家の自立はない。これは鳩山のように口先で出来ることではない。他にもグローバルフォークという無人偵察機を自衛隊は導入するが、この偵察機が得たデータはリアルタイムで転送されず、解析データをアメリカの会社から買い取らねばならない。こうした兵器購入の大方は、政治決定され、自衛隊はその決定に基づいて価格交渉を行うようになっているが、そんなことではアメリカは交渉に応じようとはしない。自衛隊に兵器購入の決定権を与えなければならない。オスプレイ導入も政治決定であるが、それによる3600億と云われる防衛予算の増額は、アメリカに払う金であり、自衛隊を対米依存から抜け出せなくするから我が国の防衛にはマイナスである。
  • 政治が事なかれであるから下も事なかれになる。拉致問題も政府は事実を知っていたのに知らぬふりをし、竹島も、以前は我が国の戦闘機が上空を飛んでいたのに、韓国との摩擦を避けるという政治決定によってその後の実効支配を許した。これは政治の失敗であり、戦後教育の欠陥である。心神という戦闘機開発は、自身が航空幕僚長の時に止めろという指導があったが、何とか細々と続いている。開発技術者はあと五年もすれば居なくなってしまうであろう。それほど国産技術を高めるのは大変であり、だから最近MRJ国産ジェットを開発した三菱にしてもあえてライセンス国産と云ってアメリカから図面を買い、国内での製造にこだわったのである。国内製造だと国内に施設を作らねばならないのでコストは二倍になる。こうして我が国は戦後第一号となるF1戦闘機を開発したが、1960年代にその後継機であるF2の開発にアメリカが猛反対すると、時に防衛庁長官であった中曽根康弘の鶴の一声でF2は日米共同開発になってしまった。以来ズルズルとアメリカに引っ張られ独自開発の道は遠のいたのである。近年のF35戦闘機は、我が国は10番目の共同開発国である。これでは商売上の利益は得られるが、技術上の習得は少ない。
  • 田母神氏は、幕僚長時代にユーロファイターの導入を模索したが、氏が辞任した後は早速F35に決定し、国家の自立は遠のいた。政治は志向せねば何も変わらない。日米安保の名のもとで自衛隊は何でも米軍の下に置かれてしまう。在日米軍の横田基地に航空自衛隊の航空総隊司令部を移転したのは可笑しなことだ。なぜ航空自衛隊の最高司令部が米軍のレグレーション下に置かれねばならないのか。陸上自衛隊の中央即応集団の米軍座間基地への移転も、同様に問題だ。(ちなみに自衛隊艦隊司令部も横須賀の第七艦隊司令部と同居している。)
  • 本来シヴィリアン・コントロールとは、軍の財政権に関するもので人事権まで政治が掌握するという意味ではない。現場に意見を言わせないでは国が亡ぶ。政治主導というが、細部のことは役人しか分らない。それに我が国政府は、防衛計画大綱や、中期防衛計画が出来ると国民よりも先にわざわざアメリカに行って根回しをするから、口出しをされても仕方がない。今回の安保法制も、本来軍は国際法の定める禁止規定によって動くにも関わらず、日本だけが海外派兵に根拠法が必要(ポジティブリスト)な状態を改善した。我が国の政治は右往左往している。親中派は沢山いるが、保守派と呼ばれるのも大半はアメリカ派であり、真の日本派がいない。

三島、森田烈士の自決から四十五年の節目に、事件の後に生まれた小生が檄文を奉読したのは、身に余る光栄である反面、恐れ多くもあった。戦後七十年が経過し、三島、森田両烈士が変えようとした戦後体制は最早既成事実と化した感はあるが、だからといってこれを受け入れていいことにはならない。両烈士の目指した天皇国日本の道義的理想は永遠の真理であり、いかなる時代の変節にも色あせることはない。小生は、ただこの真理と現実との隔たりに恐れおののき、日々の小市民的生活を恥じ入るのみである。

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