『靖献遺言』総説

『靖献遺言』は山崎闇齊先生の高弟である浅見絅齊先生の主著ともいうべき作品であり、貞享元年(西暦1684)、絅齊先生が33歳の時に編修を始め、貞享四年に完成をみました。四年の歳月を費やしていることからも、先生の辛苦の程が伺えます。一時は闇齊先生と師弟の葛藤を生じた絅齊先生でありましたが、本作は絅齊先生が闇齊先生から受けた講義を基にしてそれを発展させたものです。これは後年、絅齊先生が「(闇齊先生ハ)学問ハ名分ガタタネバ、君臣ノ大義ヲ失フトノ玉フゾ。此ノ意ヲ世人ニシラセント思フテ、ヲレガ靖献遺言ノ書ヲアラハシ出シタゾ。コノ書ヲヨクミヨ。聖人ノ大道、嘉右衛門殿ノ心、コノ書ニアリ。」(多田亀運『浅見先生学談』、近藤啓吾先生『崎門三先生の学問』より孫引)と述べておられることからも知られます。引用中、嘉右衛門殿とは闇齊先生のことです。そして絅齊先生が申された通り、『靖献遺言』は「君臣ノ大義」を貫いて国家に身を殉じた屈平、諸葛亮、陶潜、顔真卿、文天祥、謝枋得、劉因、方孝孺等、八人の忠臣義士の生涯、並びにそれに関係付随する故事が、厳格な学問的考証に基づいて編述されております。書名にある「靖献」の字は、『書経』微子篇において、微子、比干と併せて殷の三仁の一人とされる箕子が微子に言ったとされる「みずからや靖んじみずから先王に献ず」(人々おのおのみずから靖んじて己の志す道を進み、それぞれその身命を捧げて先王に報いるべきである、の意)という言葉によります(近藤啓吾先生『靖献遺言講義』)。また「遺言」(イゲンと読む)とあるのは、本書が各篇の冒頭に上述した八人それぞれの遺言を掲げていることによります。

 絅齊先生は、本書に登場する八人の忠臣義士に仮託して君臣の大義名分を闡明することによって婉曲に幕府による武家政治を批判したのですが、こうした性格を持つ本書は、その後、王政復古を目指す尊皇討幕運動のバイブルとして志士たちの間で愛読されました。なかでも、越前の藩儒、吉田東篁を通じて崎門の学統を継いだ橋本左内などは、常時この『靖献遺言』を懐中に忍ばせていたと言われます。

そこで以下では、この『靖献遺言』を、近藤啓吾先生が記された『靖献遺言講義』(国書刊行会)をテキストとして読み進めて参りましょう。近藤先生は、今日では数少ない崎門学の大家であり、我々は近藤先生の偉大な学問的ご功績により、300年以上前に書かれた『靖献遺言』を拝読し、そこに示された永遠の道を人生の指針とすることができます。

 

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