安保法案に反対するー個別的自衛権の確立が先決

我が国の集団的自衛権行使を可能にする安保法案が間も無く成立しようとしている。

21の法律からなるこの法案は、複雑多岐で理解し難いが、要するに、我が国と密接な関係にある他国が第三国から攻撃を受け、その攻撃が我が国の「存立危機事態」に該当すると政府が判断した場合は、自衛隊による海外での武力行使を認めるという内容らしい。これは、これまで憲法9条によって集団的自衛権の行使を否定し、自衛権を個別的自衛権に限定してきた政府解釈の大きな転換であり、国会の周辺では安保法案に反対する大規模なデモが繰り広げられている。問題とされているのは、政府の判断に委ねられる「存立危機事態」なるものの定義がはっきりしない為に、時の政府の恣意によって幾らでも拡大解釈が可能なこと、そして「我が国と密接な関係にある国」とは、即ちアメリカのことであり、そのアメリカは、これまで「自由と民主主義」の名のもとに世界中で戦争を仕掛けてきたことから、ひとたび我が国が集団的自衛権行使を容認すれば、「存立危機事態」と称して、アメリカが世界で行う戦争に巻き込まれる危険があるということであろう。

政府は安保法案によっても、我が国はアメリカの言いなりにはならないと言っているが、我が国の政府が、日米安保によって国防の大半を委ねるアメリカからの要求を拒否することは双方の力関係から言って現実的に困難である。かりにアメリカからの参戦要求を拒否すれば、彼らは日本防衛の拒否を示唆して我が国を恫喝するだろう。また安倍首相は、安保法案を強行する理由として、北朝鮮のミサイル開発や中国の軍拡や領土拡張といった安全保障環境の変化、アメリカの国防費削減などの要因によって、軍事面における対米協力の必要性が高まったことなどを挙げているが、それを言うならソ連による核ミサイルの標準が東京を向いていた冷戦下の方がよほど重大な脅威であるし、ニクソンショックでアメリカが国防費を削減した際にも、我が国で集団的自衛権の議論は出て来なかった。つまり首相の言う「安全保障環境の変化」は、集団的自衛権行使を容認する理由にはならない。それに中国や北朝鮮の脅威があるから集団的自衛権が必要性だというのならば、現実に中朝を抑止しているのはアメリカなのであるから、そのアメリカの要求を我が国の政府が拒否できる筈がない。拒否することが即ち抑止力の低下に繋がるのであって、何でもかんでも中朝の脅威のせいにしてしまえば日本はアメリカに従わざるを得なくなるのである。このように、アメリカの抑止力は、中国や北朝鮮に対してのみならず我が国に対しても向けられているのだ。保守層の中には、集団的自衛権の行使容認が、自衛隊や我が国の防衛政策の足かせを除去するという意見もあるが、実際は逆に従来の政府による対米追随に拍車を掛け、自主的な外交能力の低下を招くことになる。

一般に、集団的自衛権が独立主権国家の政策として有効に行使される為には、他国との同盟が、相互の独立と政策的自律性を担保した対等な関係でなければならない。そして、その対等な同盟関係は、相互に対する抑止力を担保することによって初めて可能になるのであり、さもなくばその同盟は支配と従属の不道徳な関係にならざるを得ない。「日米同盟」の場合、アメリカが在日米軍の抑止力によって我が国を威圧しているのに対して、我が国はアメリカに対する抑止力を何ら持っていない。だから対米従属に陥るのである。要するに、集団的自衛権は、我が国の自主的抑止力の構築、ストレートに言えば核武装なくして不可能なのである。しかし、これは飽くまで演繹的結論であって、現実的に我が国が核武装するとアメリカから経済制裁を食らい、そうなると食料自給率が低く、エネルギー資源の大半を輸入に頼る我が国の経済は立ちいかなくなる可能性が高い。よって当面は、従来の憲法解釈を維持して集団的自衛権の行使を否定し、個別的自衛権の範囲と中身を拡大・充実させていくのが先決である。

本来、集団的自衛権は個別的自衛権の基盤の上に成り立つ概念であり、安倍首相が宣伝する中朝の脅威も、我が国の個別的自衛権によって抑止すべき問題である。しかるに、戦後の防衛政策は、個別的自衛権は専守防衛の蓋を被して封印し、在日米軍のありきの議論がまかり通ってきた。その結果、対米協力としての集団的自衛権が、個別的自衛権の基盤を侵食し、「日米同盟」がかえって我が国の自主防衛能力を損なうという矛盾を来してきたのである。中朝の脅威が増大し、アメリカの抑止力が低下しつつある今、確かに我が国の防衛政策は岐路に差し掛かっている。しかし、そこでの進むべき道は、集団的自衛権の容認による対米従属の強化では無く、個別的自衛権の強化による対米依存からの脱却、具体的には日米安保・地位協定の改定による在日米軍の漸次縮小・撤退と、自衛隊による米軍抑止力の代替の推進、また従来の専守防衛政策の撤回と攻撃型空母の建造を含む、核以外で自主国防体制の構築である。繰り返すが、集団的自衛権は個別的自衛権が確立された後に来る議論なのである。

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