以下に本条例案に反対する理由を七点申し上げます。
第一に、本条例の策定プロセス自体が多様性に反しているということです。本条例案では、多様性の対象として、年齢、性別、障害の有無、国籍文化的背景、性的指向及び性自認など様々な違いのある方々を想定しております。このため知事はこれまで幅広い分野での当事者団体と意見交換を行ったと述べておりましたが、本議会における中村実議員の一般質問の結果、9月におけるパブリックコメント実施までの間、実際に意見交換を行った当事者団体は「レインボー千葉の会」の一団体のみであり、本条例の本質が「LGBT尊重条例」である実態が明らかになりました。またパブコメ後に骨子案について意見交換を行ったとされる他の12団体も、商工会や経営者、労働組合といった経済関係団体が主であり、国籍文化的背景の異なる外国人や特別永住者に関する居住実態の調査や「レインボー千葉の会」以外の当事者団体との意見交換を行った形跡はありません。これで本当に多様な意見を聴取したと言えるのでしょうか。またパブリックコメントの結果についても、わずか1カ月間の間に、669人から1279件の意見が提出され、そのうち条例への賛同は47件、制定後の施策への期待は42件なのに対して、条例制定への懸念は外国人関係で81件、LGBT関係で175件、必要なしは112件、時期尚早は58件に及びました。特に先般の国会におけるLGBT理解増進法でも問題になった「性自認」の用語を含む第2条4項については、先の総合企画企業常任委員会での本間進委員の質疑において、332件の意見の内、約94%が反対していることが示されました。
しかしながら、このように多くの県民が懸念や反対の意見を示したにも関わらず、知事はそうした声を条例案に全く反映しておりません。これでは、一体何のためのパブリックコメントだったのかと言われても仕方ないではありませんか。またパブリックコメント以外でも、タウンミーティングなど県民への説明や対話の機会は一切設けておりません。このように、多様性尊重を謳う本条例の策定プロセス自体が、県民の多様な意見を尊重していないという矛盾した事態に陥っております。これは「千の葉を繋ぐ幹となる」ことを掲げて当選された知事の政治姿勢にも反するのではないでしょうか。
第二に、女性や子供の権利が侵害されかねないことです。パブリックコメントにおける主な意見のうち、最も多かったのはLGBT関係での条例制定に対する懸念であり、それは「女性を自称する男性が、女子トイレや更衣室などを使用する可能性が高まり不安である。性自認を主張するだけでそれが尊重される事には反対。一般的な県民や女性や子供の安全な暮らしが損なわれ性犯罪等の可能性が増加してくると思われ不安」といったものでした。これに対し県は、「自己の性別に関する認識を偽ることにより、女性を危険にさらすようなことは決して許されることではありません。」との考え方を示しております。しかし、主観的要素の強い「性自認」の言葉を使用する以上、性別を身体的特徴で判断することは難しく、実際問題そのような認識の偽りをどうやって見抜くのか不明です。
もっとも、現状では女子トイレや更衣室に女性を自認する男性が入る行為は違法であり、公衆浴場や共同浴場についても、県は厚生労働省の衛生管理要領が風紀の観点から混浴禁止を定めている趣旨から、男女は身体的特徴の性を以て判断するとの認識を示しております。しかし、先の10月25日における最高裁判決では、現行の「性同一性障害特例法」に基づいて、戸籍上の性別変更をするための要件として、生殖能力を欠くか、その機能を永続的に失わせることを義務付けたのは違憲であるとの憲法判断も示されております。したがって、今後この判決に基づいて国の法改正がなされる可能性もあり、女性や子供の権利が侵害される懸念は依然払拭されません。私は本条例が、男女の性別に対する県民の認識を歪め、こうした法改正に向けた世間の風潮を後押しすることになることを危惧しております。
第三に、「性自認」という言葉がもたらす混乱です。県当局はこの「性自認」の文言は、昨年策定された県の総合計画でも使われており、他県の条例でも使われているなど定着していると答えております。しかしこうした見解は、本年6月に成立したLGBT理解増進法において、この文言の使用をめぐって国論が紛糾し表現が改められた経緯と環境の変化を踏まえていません。
私は、この「性自認」の文言が、教育現場における過激な性差否定教育の根拠にされかねないことを強く危惧しております。事実、昨年6月議会において、「性自認」や「不当な差別的取り扱い」などの文言を入れた「性の多様性を尊重した社会づくり条例」を制定した埼玉県においては、小学5、6年生の児童に対して、お手元に配布したような「男女の性差」を否定する内容のリーフレットを配っています。さらに教員向けの「指導要領集」を作って研修を徹底し、その指導内容は、子供の日常会話において、例えば、「好きな男の子や女の子はいる?」との問いかけを「好きな人はいる?」に改めさせるよう求めているとの報道もあります。第二次性徴が始まる多感な時期の子どもたちに何故この様な教育を行うのか全く理解できません。多様な性の名の下に、抵抗力がない子ども達に特定の性に対する考え方を押し付けているだけではありませんか。本条例が成立すれば本県においてもこの様な歪んだ性差否定の教育が行われる事になります。
本県当局は、私が出席した勉強会において、本条例案は2条の2項において「男女のいずれもが、性別を理由とする不利益を受けることなく」とあるので、男女の性差を否定するものではないとの説明をされました。しかし、身体的特徴ではなく「性自認」による男女の規定は、男女の性差を無意味化し、実質的な性差の否定を帰結するものに他なりません。
カリフォルニア州など急進的なLGBT教育が行われているアメリカでは、成人の7%がレズビアン、ゲイ、バイセクシャルの何れかを自認しているそうですが、年齢別にみると、65歳以上が2%、30~49歳は8%、30歳未満は17%と若年層ほど高く、全米の高校生に至っては、4人に1人がLGBTQ を自認としているとの報告もあります。つまりこれは、LGBTであるとの性自認が、教育的・環境的な効果による影響が大きいことを示唆しております。アメリカでは性転換ビジネスと絡んだ、若者への第二次性徴を抑制するホルモン投与や性別適合医療が横行しており、過激なジェンダー教育をする学校と家庭との間に深刻な対立と混乱を招いているとも聞きます。知事は「性自認」という文言の削除を求める議員の要請に応じませんでしたが、この文言が孕む上述した様なリスクを本県の子供たちにも負わせようというのでしょうか。
第四に、伝統破壊です。古来、我が国は皇室を中心とした一大家族国家の国柄を形成してきました。そしてその中では、性的少数者もおおらかに包摂し、多様性を尊重してきた歴史があります。もちろん様々な差別や偏見もありましたが、一視同仁の大御心の下でそのような困難を乗り越えて来たのが我が国の歴史ではありませんか。ところがそうした固有の歴史を踏まえず、性的少数者に対して過酷な差別や迫害を行ってきた欧米の歴史に基づいた横文字の価値観を受け売りし我が国に適用しようとすれば、我が国の伝統的な国柄を破壊するのみならず、かえって多数者と少数者の差異を殊更に強調することによって新たな差別や逆差別を助長し、社会に無用な混乱と対立を引き起こすことにもなります。
県は本条例を制定すると、日本の伝統や文化が否定されるのではないかとの懸念に対し、「本県独自の食文化や地域の祭り、歴史的な街並みなどは大切な財産であり、これらの存在を否定するものではない」と答えております。しかしながらその一方で、先の一般質問では小路正和議員が本条例案に「日本の歴史や伝統文化を明記しなかったのは何故か?」と質問されたのに対して、「世の中には多様な価値観があり、伝統的な家族観など特定の価値観のみを規定する事は出来ない」といった答弁がなされました。つまりこの答弁の論理に従うと、本条例が成立すれば、学校教育で我が国の伝統文化に基づいた家族観は「特定の価値観」を強制することになるので教えられないという事になるのでしょうか。県が実施する婚活事業も、結婚・出産という特定の価値観を押し付けることになるのでしょうか。これでは結局、多様性の名の下に、我が国の伝統文化を相対化し否定することに繋がるではありませんか。
第五に外国人の問題です。本条例案では国籍や文化的背景の異なる人々も対象となっておりますが、前述したように、本県における外国人や特別永住者の居住実態の調査や関係団体との意見交換は行われておりません。無論、国籍や文化の異なる人々との交流は様々な利点もありますが、一方で安易な多文化共生論に潜む負の側面にも目を向けねばなりません。
例えば昨年全国で9千人以上の失踪者を出した技能実習生の問題ついても本県は他人ごとではありません。県警への聞き取りによると、昨年令和4年末の時点で、本県には16,656人の技能実習生がおりましたが、その内466人が失踪しております。また技能実習生の検挙人員と件数は、令和4年で107名197件だったのに対して、本年令和5年は9月末の時点で84人279件と増加傾向にあります。
また今年本県が条例で規制した金属スクラップヤードの問題についても、周辺環境に影響があるとして県が実地調査した116ヤードのうち、実に78.4%を占める91ヤードが外国籍の経営者であり、その大半は中国人であるとも伺っております。多文化共生を口で言うのは簡単ですが、外国人との共生は、彼等が我が国の伝統文化を受け入れ、道徳や法律、慣習、マナーを遵守するという前提の上にのみ成り立つのであって、この前提なき多様性尊重に基づいた多文化共生論は我々の平穏な生活を破壊します。
その最悪の実証例が、安直な多様性賛美と多文化主義のもとでイスラム系移民を大量に受け入れた結果、深刻な社会的分断と対立、混乱に陥った欧州社会の惨状です。『西洋の自死』を書いた英国のジャーナリスト、ダグラス・マレーによると、当時移民大量受け入れを正当化した政治家たちが口にしたのは、「経済成長に必要だ」「高齢化社会だから受け入れるしかない」「多様性は良いものだ」「グローバル化が進む以上移民は止められない」といった言い訳でした。いみじくも本条例案では、前文において「人口減少やグローバル化の進展、技術の革新など、様々な社会環境の変化が同時かつ複合的に発生しており、こうした変化に的確に対応していくには多様性がもたらす活力や創造性が重要となる」と述べております。まさに本条例と言っている事が同じではありませんか。先の総合企画企業常任委員会での質疑では、多様性が生む「活力」について、「人口減少等による労働力不足が深刻化する中、担い手不足の解消にもつながる」といった答弁がありました。これは県当局が労働力としての移民受け入れを推進している様にも聞こえます。
第六に、少子化対策の要請に逆行していることです。現在の我が国に「活力や創造性」が欠如しているとすれば、それは多様性が尊重されていないからではなく、最大の原因は少子化であります。つまり少子化による人口減少と労働力不足、購買力の低下が経済を収縮させ、地方を衰退させている根本の原因なのです。特に本県は、私の一般質問でも述べた様に、合計特殊出生率が全国平均を下回っていることからも、目下必要なのは「多様性尊重条例」ではなく「家族尊重条例」ではないでしょうか。
最後に第七に、本条例は理念条例には止まらないということです。この議場におられる議員の皆様の中には、本条例は差別禁止規定や罰則もない理念条例に過ぎないので人畜無害と考えておられる方もいらっしゃるのではないでしょうか。しかし、逆に理念条例だからこそ、市町村や学校の現場での拡大解釈や過剰な運用に歯止めがかからないとも言えます。特に本条例は第4条で市町村との施策実施における連携を謳っており、今後本条例を根拠にしたパートナシップ宣誓の拡大も想定されます。もっとも当局は本条例が同性婚や夫婦別姓に繋がるものではないと言っておりますが、たとえ熊谷知事がその様な事態を意図しておられないとしても、知事はいつか変わりますが条例は残り続けます。私は条例の法的な効力よりも、この条例が拠って立つ思想や考え方こそが問題であり、本条例の制定を通じてそうした思想や考え方が、現在の家族破壊に繋がる浮薄な思潮を助長することを何よりも危惧しております。
議員の皆さん、本条例の本質はLGBT尊重条例であり、千葉県版のLGBT理解増進法です。国会では傲慢な米国大使の内政干渉に議員が屈服し、碌に審議もしないで法案を通してしまいました。しかし本議場におられる議員の皆様は、吹けば飛ぶような国会議員とは異なり地元の伝統に深く根付いておられる方々ばかりです。その様な先生方がこのような伝統破壊の条例案に賛成をしてしまったら日本はどうなりますか。偉大な祖国の伝統を守りぬいた先人たちに顔向けができますでしょうか。日本の将来を担う子どもたちや後世の子孫に後ろ指を指されるような事はないと胸を張って言えますでしょうか。どうか各議員の皆様が、党派や会派の論理に囚われず、自己の良心に従い、日本のために勇気ある賢明な判断を下されますことを切にお願い申し上げまして、私の反対討論と致します。