吉田松陰先生著近藤啓吾先生全訳注『講孟劄記』(講談社第30刷)を読む 第4回

今回は35pから53pまで読み進めた。

特に36pに曰く、文王の楽しみが民と偕(とも)に楽しむ「偕楽」であるのに対して桀王の楽しみは民と楽しみを偕にせざる「独楽」であったと対比してあるのは面白い。「君民上下互いに其の楽しみを楽しむ」という、この「偕楽」こそ、国家の政治の理想であり、それは我が国における天皇と国民との関係において正しく体現せられてきた。

我が国が一度の「革命」を経ることなく、皇統連綿として国家に君臨して来られたのはその故であろう。

 

次に42p、孟子の言に曰く「梃(つえ)を制して秦・楚の堅甲・利兵を撻(う)たしむべし」とあるのは仁政を民に施すことが長い目で見ると最大の国防策になるという話である。俄かには肯んじがたいが、よくよく反芻するとその通りである。君主が義を重んじ、国家の運命に殉じれば、全国の忠臣義士感奮興起し死力を尽くして敵と戦う。一人斃れまた一人斃れても、大義のあるところ次から次に志士仁人が現れ永久に絶えることがない。まさに秦・楚のような強国に対する義兵闘争であるが、その際その闘争はいやがおうにも長期化の様相を呈するため、「屈伸の利」を用いた持久戦とそれを貫徹する君主の堅忍と決断が求められる。むしろ途中で諦めれば最初から諦めるよりも更に大きな被害に見舞われるであろう。だからこそ孟子は梁の恵王に対して「王請う、疑うなかれ」と述べた、そのように松陰先生は仰っているのである。

 

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