「本来の保守の理念を見失った安倍内閣」(『伝統と革新』第36号「安倍政権は日本を取り戻したか」)

今般「アベノミクスの継承」を掲げる高市早苗氏が自民党総裁選に出馬を表明されたのを機に、かつて『伝統と革新』第三十六号「安倍政権は日本を取り戻したか」に寄稿した拙稿「本来の保守の理念を見失った安倍内閣」を再掲します。PDFは画像をクリック。

言行相反の安倍内閣

平成二十四(二〇一二)年十二月に発足した第二次安倍内閣から足掛け八年が経過した。安倍内閣は、長期政権となったばかりでなく、首相の在任期間は、桂太郎を抜いて歴代一位になった。その意味では、歴史に残る首相と言ってよい。しかしその功績はというと、正直言ってあまり思い当たるものがない。

思うに、安倍首相の功績は、そのほとんどが短命に終わった第一次内閣で尽きてしまっているのではないか。平成十八(二〇〇六)年に発足した第一次安倍内閣においては、元来の主張である「戦後レジームからの脱却」を掲げ、防衛庁を防衛相に格上げし、戦後民主教育の元凶とされた教育基本法を初めて改正し、憲法改正のための国民投票法を制定し、従軍慰安婦を否定し、郵政造反組の復党を認めるなど、保守政治家のホープに相応しい功績を残した。残念ながら、その第一次内閣は、閣僚の不祥事や首相自身の健康問題、リーマンショックに見舞われ、僅か一年の短命に終わったが、称賛に値する功績を残したと思っている。

その後発足した民主党政権は、外国人参政権や夫婦別姓、対中韓「友愛」外交など、左翼的な政策を推し進めたことから、自民党の党首に返り咲いた安倍首相は保守色を強め、「日本を取り戻す」といって政権を奪還した。また、リーマンショックを引き起こした金融資本主義を「ウォール街中心の強欲資本主義」として批判し、「瑞穂の国の資本主義」を掲げて、民主党政権が推し進めたTPP交渉にも断固反対の姿勢を示していたのである。こうしたことから、満を持して始まった第二次安倍内閣は、真正保守内閣と期待された。

しかしながら、上述したように今に至るまでこれといった成果が見いだせないばかりか、かえって本来の保守的な信条に逆行する政策を推し進めている。以下にそのことを分野別に論じる。

国是なき外交と対米従属の強化

よく安倍外交というと、「世界を俯瞰する外交」などと言われるが、いまだに何のことかよくわからない。単に世界中を旅して、日本国民の税金をばらまいているようにしか見えない。首相自身が「結果じゃない、「動いている感覚」が大事だ」と言ったそうであるが、国民に「やってる感」を出すのが目的ということか。「自由や民主主義といった価値」を共有する諸国との連携を強め、台頭する中共に対抗するという戦略のようにも見えるが、肝心の盟主国であるアメリカでは、平成二十九(二〇一七)年に自国第一主義を掲げるトランプが大統領に就任し、中共との激しい覇権闘争を演じながらも、孤立主義の傾向を強めている。こうしたなかで、アメリカの同盟諸国も米中を天秤にかけており、中共が進める一帯一路戦略に便乗し始めている。当の安倍首相も一帯一路への条件付きでの協力を表明し、対中宥和政策に転じて習近平の国賓招致を推し進めた。

トランプ大統領の誕生は、対米自立の絶好のチャンスであったが、安倍首相はそのチャンスを活かさなかった。むしろ、トランプの当選後いち早くニューヨークのトランプタワーを訪れて貢物を献上し、恭順と忠誠を示したのである。こうした安倍内閣の従属姿勢は、アメリカからイージス・アショアのような「無用の長物」を向こうの言い値で購入していることなどにも表れているが、なかでも国民の記憶に新しいのが平成二十七(二〇一五)年に強行された安保法制である。この安保法制によって、これまで憲法で禁止されてきた集団的自衛権の行使が可能になり、事実上、憲法九条の改正は必要がなくなった。そのことは、安倍首相自身が、田原総一朗氏とのインタビューで「憲法改正の必要はなくなった」と述べ、その理由について「アメリカからの要求がなくなったから」と告白している。安倍首相は最近になって、九条改憲ではなく、「加憲」による自衛隊の明記を言い出しているが意味不明である。一方で戦争放棄と戦力不保持の条項を残しながら、自衛隊を付記すれば、自衛隊は戦力ではないと公言するのと同じであるだけでなく、自衛隊への違憲論争は終息するどころか、自衛体が戦力を有していることについて違憲の疑いが却って強まるのではないか。何れにしても、このような愚にもつかない「加憲」論が出てくること自体が、安倍首相のやる気のなさを物語っているように見える。

戦後の日米関係は、アメリカが日本を守る代わりに、日本は国内の基地をアメリカに提供するという相互の「取引」によって成り立ってきた。したがって、そのような関係は、「非対称」ではあっても、安倍首相ら改憲派がいうように「片務的」ではない。もし彼らがいうように、「日米同盟」を「対称化」するということが、同盟関係を「双務化」することにつながるというのであれば、我が国が集団的自衛権を解禁する代わりに基地の提供をやめ、在日米軍を撤退させるか、あるいは我が国もアメリカの国土に自衛隊基地を置かなければ「対称化」したことにはならない。ところが、アメリカのために集団的自衛権を行使するが、基地も提供するというのでは、単に我が国の義務を増やし、対米従属に拍車をかけたに過ぎないではないか。

本来、我が国は独立主権国家として、自分の国は自分で守るというのが大原則である。そのための自衛権であるが、大国政治の現実のなかで完全な自主防衛というのは出来ないから、個別的自衛権を補うものとして集団的自衛権というものがある。つまり、あくまで主は個別的自衛権であり、集団的自衛権は従なのである。ところが、安倍首相は、個別的自衛権を尽くさずして、集団的自衛権を目的化している節がある。

個別的自衛権の最大の問題は、「専守防衛」政策である。攻撃は最大の防御であり、攻撃力無くして防衛政策は成り立たない。先般、政府はアメリカから数千億で購入したイージス・アショアの配備停止を突如発表したが、ミサイル防衛システムという、いくら高性能な「盾」を以ってしても、移動可能な発射台からミサイル飽和攻撃を受けたら全てを打ち落とすことはできない。しかし、たとえ一発でも命中すれば致命的なのである。そこで敵からの第一撃を阻止するためには、先制的自衛権を発動して敵基地を攻撃するか、仮にミサイル攻撃を受けた場合に倍返しで反撃する「報復攻撃力」を備えていなければならないが、我が国の基本的防衛戦略である「専守防衛」は、そのような「矛」の保有と矛盾する。

安倍首相は、中国の海洋侵略に対抗し、西南方面の国境離島に自衛隊を配備し、護衛艦「いずも」を空母化し、日本版海兵隊ともいうべき水陸両揚師団を創設するなどしたのは評価すべきであるが、肝心の「専守防衛」戦略はいまだに見直していない。

このように個別的自衛権の確立を後回しにして、アメリカの要求に基づく集団的自衛権の行使解禁を優先した結果もたらされるのは、際限なき対米従属である。今年は岸信介首相による安保改定から六十周年であるが、安保改定と同時に締結された「昭和の不平等条約」とも呼ぶべき占領遺制である日米地位協定は、孫の安倍首相になっても指一本触れられていない。この地位協定の下で、我が国は在日米軍に「治外法権」を認め、首都圏上空の広大な空域を米軍の管制下に置くなど、属国的地位を強いられている。

安倍首相は、プーチンとの北方領土返還交渉において、これまでの四島一括返還ではなく、歯舞・色丹の二島先行返還にシフトとしたが、その際、プーチンは、日米地位協定における「全土基地方式」(アメリカが好きな時、好きな場所に、好きなだけ基地を置ける)のもとでは、返還した北方領土に米軍基地が置かれかねないことへの強い懸念を表明した。

このように、現在の従属的な対米関係が、我が国の対アジア自主外交を妨げているのであるが、こういうと、直ぐに安倍支持者から、中共による覇権主義的軍事膨張や北朝鮮による核・ミサイル開発の脅威が増大するなかにあって、早急な対米自立論は中共による侵略のリスクを高めるだけだといった反論がくる。たしかに、鳩山由紀夫のような抑止力の根拠なき反米思想や東アジア共同体論は有害無益であり、一足飛びに対米自立するなどということはもちろん不可能であるが、アメリカの覇権が衰退し、トランプ政権が孤立主義に回帰しつつあるなかで、我が国の自主独立は、中共の封じ込めを図るアメリカの国益とも合致する。よって、安倍首相は、アメリカとの協調関係を維持しつつも、対米自立に向けた戦略的段階論やロードマップを提示するのが、独立国の宰相として当然の責務ではなかったか。しかしながら、安倍内閣の外交には一定の方針がなく、目先の経済成長に囚われた結果、我が国は米中の狭間を彷徨い、ついには事大主義国の宿命として、埋没の末路を辿りつつあるように思えてならない。

「河野・村山談話」の踏襲

次に、歴史認識の問題である。

平成二十五(二〇一三)年十二月二十六日、安倍首相は、首相になって初めて靖国神社を参拝した。短命に終わった第一次安倍内閣で靖国参拝が叶わなかったことを「痛恨の極み」と述べていた首相にとって、第二次内閣発足から一年にしての参拝は、満を持しての参拝であった。

周知のように、首相の靖国参拝については、中国や韓国など特定のアジア諸国からの反発があり、それを意識してか、安倍首相は靖国参拝に際して、境内にある、靖国神社に祭られていない外国人を含むすべての戦死者を慰霊する鎮霊社を併せて参拝し、今回の参拝が、過去の戦争を正当化するものではなく、不戦の誓いを新たにすると共に、「自由と民主主義」のために亡くなった全ての戦死者を慰霊するものであることを強調した。しかし、靖国の英霊は「後に続く」を信じて戦ったのであり、靖国神社は「不戦の誓い」を立てる場ではない。また靖国の英霊は、「国体護持」のために戦ったのであり、「自由と民主主義」のために戦ったのではない。むしろ大東亜戦争は、アメリカが唱道する欺瞞に満ちた「自由と民主主義」との聖戦であったのだ。ところが、それを英霊は「自由と民主主義」のために戦ったなどと、全くあべこべな解釈をするのは、歴史の歪曲であり、英霊に対する冒涜ですらないかと思える。

このように、安倍首相の靖国参拝は、周辺国の批判を避けるため、用意周到な工夫が凝らされ、ときあたかもTPP合意や普天間基地の辺野古移転が決まるなど、対米関係が良好ななかで行われたのであったが、当時のオバマ政権は、首相の参拝に対して「失望した」との声明を出した。すると、この「失望」声明から、わずか三か月後の平成二十五(二〇一四)年三月十四日、首相は、衆議院予算委員会において、我が国による植民地支配と侵略、さらには「従軍慰安婦」への反省と謝罪を表明した「河野・村山談話」を公式に踏襲したのであった。

いまさら言うまでもないが、かつての安倍首相は、若き保守派のリーダーとして、東京裁判史観に基づくアジア侵略史観、自虐史観を否定し、河野・村山談話に対する批判の急先鋒に立ってきた。こうした首相の歴史認識は、第一次安倍内閣において、慰安婦問題に関する辻本清美の質問主意書に対して、「軍の強制連行の証拠がない」との答弁を閣議決定したことなどにも現れていた。しかし、その後、米国内で反日ロビー活動が活発化し、安倍首相の歴史認識への懸念が強まると態度を軟化させ、閣議決定と同月には慰安婦への「同情とお詫び」を表明するに至った。こうしてみると、変節はいまに始まったことではない。

平成二十六(二〇一五)年のいわゆる「日韓合意」によって、慰安婦問題への「最終的かつ不可逆的」な解決が図られた。このとき安倍首相は、「従軍慰安婦」の存在を認め、謝罪するとともに、事実上の追加賠償である十億円を慰安婦支援の財団に拠出した。しかしその後も、韓国は合意を履行して日本大使館前の慰安婦像を撤去しないばかりか、釜山公使館前を始めとして世界各地に新たな慰安婦像を設置し、さらには徴用工問題で日本企業を提訴するなど、反日運動は底止するところを知らない。こうした韓国の不誠実な態度に対して、安倍内閣は、韓国政府を批判し、日韓通貨スワップの停止などの対抗措置を講じたが、韓国が合意を守らないことは、対日請求権の最終的解決を定めた日韓基本条約を反故にした時点で分かっていた。それよりも、安倍内閣が「河野村山談話」を踏襲し、「従軍慰安婦」の存在を認め、屈辱的な謝罪と賠償をあえてしたということの方が問題だ。

アベノミクスの挫折

次に、経済政策の問題である。

安倍内閣の経済政策といえば、「アベノミクス」である。第二次安倍内閣は、デフレからの脱却を最優先課題に掲げ、大胆な金融緩和、機動的な財政出動、成長戦略の「三本の矢」を柱とする経済政策を掲げた。日銀は黒田総裁のもとで、二年で二%のインフレ目標を設定し、「異次元の金融緩和」によって、マネタリーベース(貨幣供給量)を十二年末の一三八兆円から二年後には二倍の二七〇兆円に増やし、長期国債やETF(上場投資信託)の購入も二倍に増やした(十三年三月に一三五兆円が十五年三月には二九六兆円)。また政府は、積極的な財政出動を行い、十三年度のGDPベースの公的資本形成(公共投資)は八・六%もの増加になった。成長戦略に関しては、「日本再興戦略」を策定し、規制改革による供給サイドの強化を図った。これらの政策により、十二年度以降の消費者物価はマイナスからプラスに転じ、株価も就任前の九〇〇〇円から十三年度末には一五〇〇〇円まで上昇、失業率や有効求人倍率なども改善した。

しかし、上述したように、マネタリーベースが倍増した一方で、マネーストック(非金融機関での貨幣供給量)は十三年三月の一一五〇兆円から十五年三月の一一七七兆円とほとんど増えておらず、日銀マネーは金融機関に滞留し民間への貸し出しや需要喚起にはつながらなかった。本来、こうした景気の後退局面においては、政府が積極的な財政出動を行い、有効需要を創出せねばならないが、安倍内閣では財務省を中心とした財政規律派がプライマリーバランスの黒字化を主張し、公共投資は十四年度には二・〇%、十五年度には一・六%減少した。そればかりか、消費税率が十四年四月には五%から八%へ、十九年十月には八%から十%に引き上げられたことで消費が落ち込み景気回復を遅らせた。消費増税の一方で、法人税率は段階的に引き下げられ、一部の大企業には租税特別措置や輸出還付金などの特典が認められている。中央大学の富岡幸雄教授によると、大企業優遇の不公正な減税相当額は五%分の消費税額(九・四兆円)に相当するという。

これらの結果、日銀の「異次元緩和」にもかかわらず、生鮮食品を除いた消費者物価指数(コアCPI)は十七年で〇・五%、十八年で〇・九%、十九年で〇・六%の上昇に止まり、さらにエネルギー価格の上昇を除いた指数(コアコアCPI)では十七年で僅か〇・一%、十八年で〇・四%、十九年で〇・六%と、目標の二%には遠く及ばなかった。

内閣発足以降の七年間で、日経平均株価は二・三倍になったが、それは実体経済を反映したものではなく、日銀やGPIF(年金基金)による「官製相場」とも言われている。また金融機関に滞留した日銀マネーが、ヘッジファンドなどへの融資を通じて海外の投機筋に流れ、円安に乗じた日本株の買い叩きが進んだともいわれる。いまや我が国の株式取引(フロー)にしめる外国投資家の比率は七割に達し、彼らは株高によって莫大なキャピタルゲインと配当を手に入れる一方で、投資先の企業には高い自己資本比率(ROE)を要求し、労働分配率は低下して、労働者の実質賃金も低下し続けている。かくしてグローバル資本・大企業による国民・中小企業の搾取という現代版搾取の構図が成立しているのである。

第三の成長戦略であるが、第二次内閣の発足に際して、安倍首相はリーマンショックに露見した「ウォール街中心の強欲資本主義」を批判し、「瑞穂の国の資本主義」を標榜して政権の座に就いた。ところが、その後の安倍内閣は、成長戦略の名のもとに、新自由主義的な規制改革を推し進めている。いまその事例を挙げれば、入国管理法の改正(第二次内閣発足時から外国人労働者は一〇〇万人増加した)、国家戦略特区法改正、TPP、農協の解体や農地法の改正、種子法の廃止など一連の農業改革、水道法や漁業法の改正、労働規制緩和など、枚挙に暇がない。最近では、コロナのドサクサに紛れた種苗法の改正が試みられたが、世論の反対で見送られた。(平成三十年四月における種子法(主要農作物種子法)の廃止を受けて、筆者は同志等と共に、安倍首相に対して「安倍首相に対して種子法廃止に抗議し、同法復活と併せて必要な措置を求める要望書」を提出した。この種子法の廃止は、我が国での市場拡大を狙うモンサントなどグローバル種子企業とアメリカ政府の外圧によるものであり、稲作を中心とする我が国の農業を破壊する売国的所業である。要望書の全文は、『不二』平成三十年九月号に掲載頂いたのでそちらをお読み下されたい。)

こうした規制改革は、①賃金や物価の下方硬直をもたらしてデフレを助長する②農村や地方社会、家族などの伝統共同体を解体し、東京一極集中を加速し、孤独と貧困、格差の問題を深刻化するといった点で問題であるが、さらに悪質なのは、内閣に巣食う一部のレントシーカー(利権屋)が、アメリカやグローバル資本と結託して、政府の規制改革によって生まれた利権を私物化していることである。なかでも、その首魁と目される竹中平蔵氏は、内閣の産業競争力会議(現未来投資会議)や国家戦略特区諮問会議の民間議員を務めながら、自らが会長を務める人材派遣会社のパソナや社外取締役を務めるオリックスに対して露骨な利益誘導を行っている。竹中氏は、アメリカによる「年次改革要望書」にしたがって、小泉構造改革を押しすすめ、我が国社会を格差で引き裂いた張本人だ。そのような曰くつきの人物を、いまだに政府内に温存している安倍首相もまた、同じ穴のムジナということである。

このように、安倍首相は政権内部の新自由主義者を野放しにし、「瑞穂の国の資本主義」に逆行する政策を押しすすめ、「日本を取り戻す」どころか、グローバル資本に「日本を売り渡す」政策を推し進めている。

終わりに

今般のコロナショックで、安倍内閣は対応を誤り、国民の支持を失った。目先のインバウンド消費や、オリンピックに固執したことで初動の水際対策が遅れ、国内での感染拡大を招いた。また今回のコロナショックで、最も打撃を受けているのは、いまや全労働者の四割を占める非正規労働者である。「世界恐慌以来」、「戦後最悪」といわれる未曽有の経済ショックのなかで、不安定な雇用環境にある彼らは、解雇や雇止め、長期の休業に直面し、生活の困窮に陥っている。非正規雇用の拡大は、別に安倍内閣に始まったことではないが、安倍内閣による一連の新自由主義的労働規制緩和が、そうした潮流に棹を差したことは間違いない。今回のコロナショックは、一感染症の蔓延に止まらず、ヒトモノカネと共にウィルスまでもが自由に行き来するグローバル資本主義のリスクや弊害を浮き彫りにするものであった。本来であれば、それへの反省は保守の側から出てくるはずであったが、国家を否定するリベラルの専売特許になっているのが口惜しい。まさに右の売国、左の亡国である。

とはいえ、私も政治家の端くれであるのだから、他人の批判ばかりをしていても仕方がない。問題なのは私がどう行動するかである。それはネオコン(保守の仮面を被った新自由主義者)でも、リベラルでもない、真正保守の勢力を結集して、我が国を真の独立に導くことである。これは並大抵のことではないし、これまで多くの殉教者を出したことも知っている。しかし、生き変わり死に変わりして「七生報国」の精神で戦えば、大願は必ず成就すると信じている。だから皆さん、諦めないで一緒に頑張りましょう。

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