浦安から日本を立て直す!(令和4年、浦安稲門会創立35周年記念誌に寄せた挨拶文)

浦安から日本を立て直す!

私は高校も早稲田大学高等学院だったので、高校大学と、母校には相当長い間お世話になりました。高等学院の入学式は大隈講堂で開かれ、ときの奥島総長が貫録たっぷりな演説をぶたれて、「君たち学院生には勉学のことは一切期待しておらん。ただ君たちの先輩に中野正剛と緒方竹虎という偉大な人物がいた事だけは覚えておきなさい。」と述べられました。その時の学院長先生が伴一憲というドイツ哲学の先生であり福岡出身の方だったので、よく院長室に伺っては、中野正剛や緒方竹虎の出身である福岡や玄洋社について話を聞かされました。中野正剛は、戦前の民政党の政治家で東条内閣の独裁政治と対決して自決しました。緒方竹虎は中野の親友であり、朝日新聞の主筆や戦後の自由党総裁を務めた大物政治家です。

なかでも中野正剛の演説は天下一品であり、私は大学に進学すると、中野に憧れて彼の出身である早稲田大学雄弁に入会しました。雄弁会では朝から晩まで議論に明け暮れ、先輩たちに議論で詰められる恐怖で必死に本を読み、地方遊説やフィールルドワークなどで見聞を広めました。また各大学での弁論大会にも出場し、東大の安田講堂や慶応の三田演説館などで演説したのは良い思い出です。私の学生生活は全て雄弁会に捧げたので、大学を卒業したというより雄弁会を卒業したという感じです。

大学卒業後は玄洋社の大アジア主義に憧れて単身インドに渡り、デリーとダライ・ラマ法王の亡命政府があるダラムサラという場所を行き来して、インド人や亡命チベット人に日本語教育を教える活動をしました。商売にも手を出しましたが見事に失敗しました。最初はチベットの独立を助けようと思って行きましたが、その内、他国を助ける前にまずは日本が自立していないじゃないかと思うようになり、生まれ育った故郷である浦安から日本を立て直そうと決意し、令和元年の統一地方選挙に出馬して浦安市議会議員になりました。いまは『維新と興亜』という言論誌を発行し世論喚起にも努めています。浦安は私の両親が合わせて5回市長選挙に出たこともあり、私にとっては宿命の地です。政治は日々闘いの連続ですが、浦安と日本の為に戦い抜きます。

ダラムサラの景色

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