中臣祓師説(若林強斎講義、澤田重淵筆記)2/7

高天乃原爾神留座須云々

式の六月大祓の祝詞・伊勢本・吉田本、三本あり、いづれにも詳略異同あり。今よむは垂加翁の伊勢の大宮司大中臣精長より伝え玉う伊勢本なり。吉田本は十二段にわかち、例の十二月に配するなど、牽合付会の説多し。全く誤りぞ。伊勢本は十段に別つ。総じてかようの詞は自然の詞ぐさりがありて、詞にもつたなりに段落をわけるがよい。こちからいくつにわかつがよいわるいと云うことはないことぞ。高天乃原は、天子の御座所を申し奉る。神予巻に、高天原に生まるる所の神、名を天御中主尊と曰く、とあるは、蒼天を指す。上様はすぐに天地の主宰、神明の御血脈にましますゆえ、すぐに高天乃原と御座所を申し奉るぞ。此の時の都は、大和の高市郡を指して云う。神皇一体と申し奉って、上様はよのつねの人種でない。天地のひらくるなりに、天地の主宰国常立尊より御血脈一貫なさせられて、上様が神様なり、神様が上様にて、まします処は高天原にきっと留まらせられて、上古も今も同じこと。神道は只この上に屹度神様の留まらせられ、天下に臨御ましますと云うことをわすれぬことなり。天地もあなたのござなさるればこそ、天の行度もかわらぬ、地も常磐堅盤に動かぬ、万物も生々して其の性変わらず、面々も寒いめもひだるいめもせず、かように埴生の小屋までもかまえておる。皆あなたの屹度留まらせられて御座成らる御蔭の下にたつゆえぞ。第一番にかく名のるが深旨あることで、始終にこうむるぞ。猶口訣ある御事なり。皇親神漏岐・神漏美命は、高皇産霊・神皇産霊尊なり。神代巻に、高天原に生まるる所の神、名を天御中主尊と曰う、次に高皇産霊尊、次に神皇産尊、とあり。御中主の御徳を受けさせられ気化なされたぞ。造化の物を生じる徳をみむすびと云う。即ち水結び、また実結ぶことで、元気生々の御徳すぐに其の御徳ゆえ、皇産霊と云う。御中主と御一体なり。御女は日神の御よめご、吾勝尊の妃、瓊々杵尊の御母にてまします。御徳と申し、御ちなみと申し、日神の政を輔佐し、瓊々杵尊をもり立たせられ、皇統の常磐堅盤に立ったは、全く高皇産霊の御功徳となり。皇はすべらぎ、親はむつまじいぞ。皇天二祖と申し奉るが日神・高皇産霊尊ぞ。只御外戚と云うばかりでない。外戚にもせよ、列臣なれども、右通りの御徳ゆえ、日神とならべてあがめ奉ることぞ。日神の詔を受けさせられ、高皇産霊尊と御とりさばきなれば異議はないことなれども、そこが御敬の至りで、諸神をあつめ衆議の上で、瓊々杵尊へ御代譲の旨を宣させられたるぞ。八百万と云って、神々はのこらせ玉はぬ。八は四方四隅合った全備の数ぞ。神集神議とあれば、八百万神の集議なるほどに、神々と云う。又私事でない。皆神の詔をうけてのことゆえ、神々と云うとある。恐らくは後説是なるべし。皇孫尊は、瓊々杵尊を申し奉る。

(崎門学研究会)

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