孫崎享『戦後史の正体』(創元社,2012)書評

  対米自主派の論客、孫崎享氏が新刊を出した。氏は戦後の我が国政治史を「対米自主派」と「対米追随派」の相克葛藤の歴史として描いている。

まず、本文で引用されている豊下楢彦氏の『昭和天皇・マッカーサー会見』や進藤栄一氏が米国公文書館から発掘した文書によれば、先帝陛下はマッカーサーに対して、米軍が沖縄の軍事占領を無期限で継続するよう希望する意思を伝達していたという(14,87)。また対米自主派の筆頭とされる重光葵は、鳩山一郎内閣の外相時にダレスとの会談に先立って、陛下から駐屯軍の撤退は不可なることを下命されたという(「続・重光葵日記」)(167)

これらの事実が示唆する戦後日米関係のプロファイルは以下のようなものだ。すなわち、天皇制の存続と引き換えに日米同盟推進者に転じた昭和天皇の意を汲む形で、吉田茂は対米従属的な日米安保と、その奥の院ともいえる日米行政協定(改定後は日米地位協定)を締結した。この日米行政協定は、周知の通り17条で米兵の治外法権を認めている他、米国の合意がない限り米軍基地の使用が無限に継続されるという問題などを孕んでいた(148)。そこで吉田は世論の反対を避けるため、これを国会の批准審議が必要でない政府間の協定で隠密裏に成立させたのだった。

以来、石橋湛山や鳩山一郎をはじめ、時の内閣を率いた対米自立派の指導者が米国との困難な交渉に臨んだが、なかでも前述した重光外相は鳩山内閣時にアリソン駐日大使と会談し、米国地上軍を6年以内、米国海空軍を地上軍の撤退から6年以内、合計して12年以内に米軍の完全撤退を要請している(161)。以外に思えたのは、戦後CIAから資金援助を受け、アメリカの走狗の如く思われていた岸信介が首相就任早々に安保条約と行政協定の改定を表明し、米国のマッカーサー大使に対して駐留米軍の最大限の撤退を申し入れていることである(189)。筆者の推測によれば、安保闘争で岸内閣が倒れた背景には、対米自立の野心を内に秘めた岸首相の真意を警戒したCIAが、ブントや経済同友会系の財界、田中清玄などの右翼に岸潰しの金を出した事実があった。

 他にも芦田均外相が米軍の「有事駐留」を主張した片山哲内閣や、米国の反対を押して日中国交回復に踏み切った田中角栄内閣など、対米自立を模索した歴代内閣は枚挙にいとまがないが、不思議なことにこれらの内閣はスキャンダルや検察の取り締まりによって何れも短命に終わっている。筆者はその背景に、CIAGHQ管理下の「隠匿退蔵物資捜査部」を前身とする現在の東京地検特捜部、そしてそれらと結託したマスコミや米国の息がかかった経済同友会系の財界の共謀があると見ている。

かくして浮かび上がる構図はこうだ。侵略勢力たる米国とそれに内通した我が国の買弁勢力は、結託して我が国の権力を牛耳り世論を操作してきた。そしてこれに楯突く対米自立派の内閣や指導者は彼らが仕組んだ謀略によって相次ぎ失脚してきた。日米行政協定のように米国にとって都合が良く、我が国にとって都合の悪い外交的取り決めは隠密裏に行われ、建前は国民主権や民主主義を掲げながらその実は秘密外交で国民を瞞着してきた。国民には「核抜き・本土並み」の沖縄返還を約しながら、一方では核持ち込みの密約をアメリカと結んだ佐藤栄作首相もその一人である。このようにアメリカとその買弁勢力は、政敵を排除し、国民の世論を歪め、世界に率先して平和の価値を喧伝すべき役割を担った我が国の自主性を阻害している。

さて、こうした筆者の考えは在日米軍の撤退と我が国の自主独立を志向する結論部分に於いては正しく見えても、その動機に於いては的外れに思われる。何故ならば、筆者が米国とその買弁勢力によって歪められていると見做した国民の「世論」なるものが如何なる実体を有するものなのか不明であるし、または仮にその実体が証明されたところでそれが本当にアメリカからの自主独立を求める意見なのか知る由もないからである。その証拠に、例えば以前、対米従属の権化のような小泉首相を国民は熱狂的に支持したが、これも国民の「世論」ではなかったか。それすらも米国の策略の結果だというならば、何を以って真正とし何を以って虚偽とするのか愈々分からなくなる。

端的に言えば、筆者の問題意識は、国民主権原則よりも対米従属的な安保条約が優先されることであるといえる。しかし繰り返しになるが、問題は、では国民主権とは何ぞや、なかんずく主権を行使する国民の意思は奈辺にありやということである。ルソーは、「特殊意思」の雑多な総和である「全体意思」に対置される概念として、理性による全的な合意を経た「一般意思」を措定した。しかし現実の民主政治に於いて、「一般意思」などは観念的な虚構に過ぎない。つまり、世論などあってなきがごときものだ。

さすれば、日米安保と地位協定に現出した対米従属が問題なのは、それが国民主権の原則に反するからというよりは、むしろ逆に天皇統治に現れた我が国の国体の尊厳を損なうからに他ならない。冒頭の先帝による沖縄発言や重光日記の記録について言えば、それらの事実が問題となるのは、毫も筆者が指摘するように陛下が御身を守る引き換えに現行憲法で禁止された政治関与をして米国を擁護したことにあるのではなく、否その点に関して言えば、天皇陛下の国家統治の大権を干犯した主権在民憲法の方こそよっぽど対米従属的で問題なのであって、陛下の沖縄発言について言えば、一視同仁たるべき大御心が本土に局限せられたこと、また重光日記について言えば、先帝が米軍の駐屯を希望されたことで、攘夷の悲願が遠のいたことこそ問題とされるべきなのである。

 

 

日米地位協定http://www.jca.apc.org/~runner/chiikyoutei.html

 

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