新東亜論―米国の普遍主義を排す(2009)5

5.日本民族は大文字の家族です。それが不信感と利己主義で引き裂かれてしまいました。

構造改革の結果、日本社会は絶望と貧困で引き裂かれてしまいました。国民は道徳的な指針を失い、不安な経済生活を強いられています。しかし、それも考えてみれば国家の命運にとって至極当然である次のような理を、冷戦以後も省みることなく閑却してきた当然の報いではないでしょうか。その理とはすなわち、国家の政治と経済、文化は三位一体であるということです。或いはこれを言い換えて、政府と市場、道徳の三位一体とすることもできましょう。政府は市場への適切な介入を通じて、流動的な資本の生み出す利潤を国民の福祉に結び付けねばなりません。またそうした市場に於ける自由な取引を支持するのも、国家の堅牢な政治的基礎なのです。さらに国民の道徳は、国家の法秩序を支える精神的基礎であると同時に、不確実性に覆われた市場経済のリスクを軽減して企業の生産能力を高めるでしょう。このように国家が堅実な発展を遂げる上で、政治と経済、文化の三要因は、どれか一つを欠いても結局は残りの全てを駄目にしてしまうのです。

私たち日本人は、この点を見落としていた。戦後民主主義では政教分離や個人主義の名の下に、民族の共有する文化や美徳が公の領域から排除されてしまいました。また経済と政治との関係を否定して、自ら軍備に制約を課してきたのです。結果的に日本民族の文化は、企業における共同体精神のうちに温存されましたが、それも昨今の構造改革で破壊されてしまいました。さらにそればかりか、構造改革で国民の経済水準は低下し、同じ民族の間で強者と弱者の社会的断然が進行しているのです。敗戦で自信をなくした日本はアメリカのいうリベラル・デモクラシーを盲目的に受け入れ、終いには全てを失ってしまいました。

 

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