大アジア研究会発行『大亜細亜』創刊

『大亜細亜』創刊号表紙この度、小生等が主宰する大アジア研究会の機関紙として『大亜細亜』を創刊する運びとなった。大アジア研究会は、戦前における大アジア主義の思想と運動の研究とその現代における実践を目的とした有志の勉強会である。本紙『大亜細亜』は、季刊での発行を目指し、日ごろの研究と実践の成果、今後の方針などを発表して参りたい。(←ダウンロードは画像をクリック)

以下に、『大亜細亜』冒頭に掲げた「創刊の辞」を転載するので読者のご高覧を乞う。

『大亜細亜』創刊の辞

欧米型の政治経済システムの弊害が世界を覆うようになって久しい。それはデモクラシーとキャピタリズムの限界として露呈してきた。しかも、問題は政治経済に止まらず、人類の生命・生態系を脅かす様々な領域にまで及んでいる。

人間生活を支える相互扶助・共同体機能の喪失、精神疾患の拡大に象徴される精神的充足の疎外、地球環境問題の深刻化などは、そのほんの一例に過ぎない。これらの問題の背景にある根源的問題を我らは問う。それは、行き過ぎた個人主義、物質至上主義、金銭至上主義、効率万能主義、人間中心主義といった西洋近代の価値観ではなかろうか。

これらの価値観は限界に達しつつあるにもかかわらず、今なお、大亜細亜へ浸透しようとしている。新自由主義の大亜細亜への侵食こそ、その具体的表れである。亜細亜人が、時代を超えて普遍性を持ちうる、伝統文化・思想の粋を自ら取り戻し、反転攻勢に出る秋である。今こそ我らの生命と生態系を守るとともに、文明の流れ自体を変えなければならない。

かつて大亜細亜の英雄たちは、列強による邪悪な植民地主義に立ち向かい、西洋近代文明と正面から対峙した。頭山満を中心とする玄洋社が亡命亜細亜人に協力したことに示される通り、境遇と志を共にする亜細亜人が民族を超えて連帯した。それは大亜細亜主義、興亜論として大きな思想潮流をなしていた。しかも、皇道政治、皇道経済の提唱に見られるように、先覚者たちは國體に則った政治経済の在り方を模索し、欧米型政治経済システムの超克を目指した。

メッカ巡礼を二度敢行した興亜論者田中逸平は、「大亜細亜」の「大」とは領土の大きさでなく、道の尊大さを以て言うとし、大亜細亜主義の主眼は、単なる亜細亜諸国の政治的外交的軍事的連帯ではなく、大道を求め、亜細亜諸民族が培った古道(伝統的思想)の覚醒にあると喝破した。大道への自覚と研鑽、伝統の回復こそが大亜細亜の志なのである。

國體の理想に基づき国内維新を達成し、亜細亜と道義を共有していくことが、我らが目指す道なのではなかろうか。それが「八紘為宇の使命」にほかならない。

興亜の先覚荒尾精は「天成自然の皇道を以て虎呑狼食の蛮風を攘ひ、仁義忠孝の倫理を以て射利貪欲の邪念を正し、苟くも天日の照らす所、復た寸土一民の 皇沢に浴せざる者なきに至らしむるは、豈に我皇国の天職に非ずや。豈に我君我民の 祖宗列聖に対する本務に非ずや」(『対清弁妄』と説いた。

残念ながら、わが国は大東亜戦争に敗れ、占領期の言論統制を経て、大亜細亜の理想は封印された。崇高なる民族的使命を忘却し、政治家たちは目先の政局の動向や経済成長率、株価の動向に一喜一憂し、真摯に向き合うべき理想を忘れている。

今こそ日本人は、「天孫降臨以来の我が国の天職」たる大亜細亜の理想を回復し、文明転換の流れを率先して牽引すべきである。大亜細亜の理想の封印を解くため、今本紙を創刊する。

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三橋貴明『日本「新」社会主義宣言』(2016、徳間書店)の要約

三橋表紙・筆者によると、近年の我が国於けるデフレは1997年の橋本政権における消費増税が発端であるという。バブル崩壊後の景気後退局面で橋本政権は消費税を5%に増税し、さらに財政支出の削減を行った。その結果、国民の消費や投資が減り、需要が収縮したことでデフレに陥ったのである。消費増税の結果、国民総所得としてのGDPは縮小し、政府の租税収入も6兆円減った。

・安倍首相は、昨今のデフレを「貨幣現象」といったが、実体は、消費や投資を含む総需要の不足である。GDPの三面等価の原則から、国民の総需要と総所得はイコールになる。つまり、総需要の不足は、総所得の減少を意味し、所得の低下がさらに消費や投資の減少をもたらし、総需要の不足がデフレに拍車をかけるという悪循環に陥っているのである。

・2012年に発足した安倍政権は、14年に消費税を8%に押し上げ、さらには17年4月に10%に押し上げようとしている。デフレ下での消費増税は、物価を強制的に引き上げ、国民の消費や投資を押し下げる結果、更なる経済のデフレ収縮を引き起こす。事実、14年における消費増税の結果、我が国の民間消費支出(個人消費)と民間企業設備はともに4%代で下落し、GDPは二期連続のマイナス成長を記録した。

・安倍自民党は、14年の選挙公約で2020年までのプライマリー・バランス(国債の元利払いを除いた政府の歳入と歳出のバランス)の黒字化を謳い、選挙後の経済財政諮問会議と産業競争力会議においてまとめられた「骨太方針」では、財政健全化のために公約通り20年までのPB黒字化を目指されすことが盛り込まれた。自民党内では、財政健全化のために歳出削減を求める意見もあるが、政府がPBを黒字化したいなら、短期的な財政出動でデフレ脱却し、名目GDPと税収を増やさねばならない。政府の経済政策にPB目標を導入したのは、小泉政権下で経済財政政策担当大臣であった竹中平蔵である。竹中は、安倍政権においても、産業競争力会議や国家戦略特区諮問会議の民間議員を務めている。

・竹中が、小泉政権下で推し進めた緊縮財政と構造改革は、我が国のデフレ不況を深刻化させ、国民を痛めつけた。安倍政権も事実上、構造改革路線を継承し、労働規制緩和や電力自由化、農協改革、混合診療の拡大などの自由化政策を推し進めている。なかでも、労働規制の緩和は、外国人労働者や非正規雇用を拡大させ、労働者の実質賃金の低下を招く一方で、竹中が代表を務めるパソナなど、人材派遣会社の利権を飛躍的に拡大させる。しかし安倍首相が「岩盤規制」と呼ぶ、これらの規制は、国民の安定した生活を守るために必要なものだ。

・また農協改革も、その本質は、アメリカの金融業界が農林中金やJA共済という巨大マーケットに参入するための布石であり、JAの格式会社化も、カーギル社などの穀物メジャーが我が国の農業を買収する道を開くものだ。こうした改革は郵政改革のときと同じだ。日本郵政から郵貯と簡保が切り離されたのと同様に、JAから農林中金やJA共済という黒字事業が分離されれば、その黒字で補填されていたJAの赤字は、結局「税金投入」という形で国民が負担せざるを得ない。

・「日経平均至上主義」にとらわれた安倍首相は、上述した労働規制緩和のほか、円安政策、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)による株式保有の拡大、法人減税などの政策によって株価を押し上げ、支持率を維持しようとしている。しかし、我が国の株式市場における取引は外国人投資家71%(2015)を占めており、企業の増益による配当金や株価の上昇によるキャピタルゲインは外資を益するだけである。

・日銀の量的緩和は、日銀当座預金残高を主とするマネタリーベースを増やことにはなっても、民間銀行などの金融機関から経済全体に供給されている通貨の総量であるマネーストックの増加を意味するものではない。量的緩和の結果、16年1月時点で日銀当座預金は254兆7249億円に膨れ上がったが、15年12月時点のマネーストックは921兆円である。結局民間での資金需要が増えなければ、総需要も不足し、デフレ脱却はできない。

・近年の構造改革論は、1980年代のアメリカでミルトン・フリードマン等シカゴ学派が唱えた新自由主義的なイデオロギーが根底にある。規制緩和や民営化を唱える構造改革論は、インフレ下での不況(スタグフレーション)に対しては有効かもしれないが、デフレ下では、総需要を一層減少させ経済を破滅させる。

・また構造改革による規制緩和や民営化は、政府と結びついた一部のレント・シーカ―に新規参入による利益をもたらす。郵政民営化では、かんぽ生命から1兆2000億円、ゆうちょ銀行から最大22兆7000億円が外資に流れた。またかんぽ生命のがん保険はアフラックが独占した。新規参入による競争は、決して公正ではない。

・安倍首相は、TPPを推し進め、我が国が経済成長するためには外需に依存せざるをえないという「経済的自虐主義」に染まっている。しかし中国経済の失速も一因となり、現在の世界は実質GDPが成長しても貿易が増えにくいスロー・トレードの時代に突入しており、外需主導の成長は期待できない。またTPPに関しても、TPP加盟国のうち、我が国の輸出先の六割を占めるアメリカの自動車関税はそもそも低く、さらにその低い関税の撤廃時期も15年から30年と長く、TPP批准による輸出拡大は期待できない。

・その反面で、TPPはISDやラチェット条項で我が国の主権を制限し、グローバル投資家に対する「内国民待遇」を我が国に求め、我が国が安全保障上の理由で特定の産業に外資規制を設けることを禁止する。

・我が国の「国富」とは、対外純資産ではなく、投資によって蓄積されたインフラや、我が国固有の土地、資源からなる生産資産によって計られる。昨今の日本の低成長の最大の理由は、この生産資産に対する投資を怠ったことにある。特に人材投資は労働者の生産性を高め、「単位労働コスト」を引き下げることによって国際的な価格競争力の強化にもつながる。

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『崎門学報』第七号発行

崎門学報号七号表紙『崎門学報』第七号を発行致しました。ご高覧下さい。

 

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アルテミオ・リカルテと日比の絆3/3

アーサー・マッカーサー

アーサー・マッカーサー

さて、次々と援軍を送るアメリカは、ついに八万の大軍を差し向けてフィリピンの完全制圧を図った。ときにその大軍を指揮したのがアーサー・マッカーサーであり、彼の息子こそ、戦後GHQの総司令官として我が国を統治したダグラス・マッカーサーである。マッカーサー父子は、事実上のフィリピン総督である軍政長官としてフィリピンに君臨し、その後、ダグラスが我が軍との戦闘に敗れてフィリピンを撤退するときには「アイ・シャル・リターン」の有名せりふを残したことでも知られる。

強大なアメリカ軍に対して独立軍も勇敢に戦ったが、武運拙く、リカルテは1900年6月、アギナルドも翌年3月に相次いでアメリカに捕まり、1902年7月、アメリカはフィリピンの完全な軍事制圧を完了した。アメリカはアギナルドに豪華な邸宅と多額の年金を保障すると、彼はその懐柔に屈してアメリカに忠誠を誓ってしまった。しかし、リカルテは、あくまでアメリカへの服従を拒否したため、グアム島に流刑された。グアム監獄は、飢餓と疫病がはびこる地獄さながらの悪環境で、リカルテ流刑の三年目には、最初90人いた同囚がわずか28人に激減していた。アメリカは、同国への忠誠と引き換えに、囚人たちを解放したが、リカルテはあくまでこれを拒否したので、今度は彼を香港に追放した。

ときあたかも日露間は風雲急を告げ、開戦の機運が高まっていた。リカルテは、日露開戦がフィリピン独立の好機になると考え、1903年12月、香港を脱出し、秘かにフィリピンに帰還した。彼はかつての同志であるアギナルドを訪うて再起を促したが、アギナルドはアメリカによって完全に骨抜きにされてしまっていた。

リカルテはバターン半島にある天然の要塞であるマリベレス山での蜂起を決意し、同志を糾合して着々と準備を進めたが、蜂起直前にして密告者の裏切りに合い、アメリカ官憲に捕縛された。これは1905年5月24日のことで、「マリベレス事件」と呼ばれている。

またしてもアメリカに捕縛されたリカルテは、今度はマニラのビリビット監獄に収容され、読者や家族との面会も許されない独房で、六年の刑期に服した。刑期の満了にあたり、アメリカは再度彼に豪華な年金暮らしと引き換えにアメリカに忠誠を誓うことを求めたが、ここでもリカルテはきっぱりと断ったので、今度は香港の無人島であったラマ島に流した。ラマ島にはインドや中国の革命の同志が、彼の声望を慕って集り、リカルテは二番目の妻であるアゲタ夫人との生活に家庭的な安らぎを得たようだ。しかし、そんな生活も長くは続かず、英国官憲は、インド独立運動の志士たちと交流のあったリカルテを拉致して上海の未決牢に収監した。

頭山満

頭山満

しかしアゲタ夫人は上海に潜入して未決牢の守衛を買収し、リカルテは脱獄に成功すると、用意されていた日本郵船の船に乗って日本に亡命した。この脱獄と亡命におけるあまりの手際のよさには不可解な点も多く、かねてより日本に亡命していたインド独立運動の志士、ラス・ビハリ・ボースが、彼を保護していた頭山満や犬養毅に頼み、頭山らが日本郵船の船を用意したとも言われている。

かくして日本に亡命したリカルテは、最初アメリカ領事館がない名古屋の近郊に潜伏していたが、後に頭山等の計らいで横浜に移り住んだ。横浜では、「カリハン」という喫茶店を経営したり、後藤新平の紹介で海外植民学校のスペイン語教師を務めるなどして過ごした。当時、日米間には我が国の朝鮮併合の交換条件としてアメリカのフィリピン占有を黙認するという密約が存在していたため、アメリカにとって政治犯であるリカルテの存在は好ましくなかったが、頭山たちが彼を匿ったのである。

それから時は過ぎ、1934年に成立したフィリピン連邦政府憲法のもとで大統領に就任したケソンは訪米の帰路、横浜に立ち寄り、自らリカルテを訪れて帰国を促したが、彼は次のように言ってその申し出を断ったという。「わしはフィリピンに星条旗がひるがえっているかぎり、その星条旗の下に帰ろうとは思わない。わしが祖国に帰る日は、祖国が完全に独立し、むかしわれわれが立てたあの革命旗が、堂々と、だれはばかることなく立てられる日だ。わがままをいうようだが、わしはそのことを神に誓ってしまったのだ。」

晩年のリカルテ

晩年のリカルテ

1941年12月8日、大東亜戦争が勃発すると、参謀本部はリカルテを呼んで、フィリピン占領後の独立を約し、その協力を求めた。これを最後のチャンスとみたリカルテは、ついに決死の覚悟を固め、12月9日に陸軍の輸送機でフィリピンに帰還した。彼は時に七十五の老齢に達していたが、「リカルテ将軍帰る」の報を聞いた大衆は歓喜の渦に包まれたという。リカルテ帰還の一週間後にフィリピンに上陸した我が軍は42年の上半期までにフィリピン全土を占領し、翌43年にはフィリピンの独立を承認して、ホセ・ラウレルを大統領とするフィリピン第二共和国が成立した。しかし、マカーサー将軍率いる米軍が44年にフィリピンに再上陸すると、アメリカは反転攻勢を強め、山下奉文将軍率いる我が軍は山岳地帯にこもって抗戦を続けた。もはや戦況が絶望的になるなかで、ラウレル大統領は我が国への亡命を決意し、山下将軍はリカルテに対してもラウレルと共に日本に逃れるよう勧告した。しかしリカルテは、祖国の地に骨を埋める覚悟でこの申し出を断り、老躯をおして山下将軍の逃避行に同行した。そしてその途中で赤痢にかかり、小さな山小屋のなかで波乱万丈の八十年の生涯を閉じた。彼は死に臨んで、自分の墓は第二の故郷である日本に立ててほしいと遺言し、その遺言にしたがって、彼の指は日本に持ち帰られて、東京多摩霊園にある墓地に埋葬されたという。

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自主防衛への道―いまこそ核武装による恒久平和の確立を

北朝鮮の核武装が意味するもの

去る平成28年2月7日、北朝鮮が事実上の弾道ミサイルを発射した。このミサイルは射程1万から1万3千キロのICBM(大陸間弾頭ミサイル)であり、アメリカ本土を射程におさめる。すでに北朝鮮は2006年以来、これまで四回の核実験を行っており、金正恩は核弾頭の小型化にも成功したと主張している。よってそれが事実ならば、小型化した弾頭を弾道ミサイルに搭載すれば、アメリカ本土を核攻撃出来ることになる。                             

これは北朝鮮が、朝鮮有事に際するアメリカの介入を排除する抑止力を手に入れたことを意味し、戦後の米韓同盟にクサビを打ち込むものだ。というのも、朝鮮有事にアメリカが韓国を支援すれば、北朝鮮はアメリカ本土への核攻撃を示唆し、米韓同盟を無能化することが出来るからだ。この可能性が韓国側にもアメリカへの不信感を生じさせ、早くも韓国世論では核武装論が噴出しているという。

しかし同様の問題は、米韓のみならず北朝鮮の脅威を共有している我国とアメリカとの関係についても同様である。

MDは無用の長物だ

北朝鮮からのミサイル攻撃に対して、我が国は同盟国であるアメリカからMD(ミサイル防衛)を導入し配備している。MDは、敵国から発射された弾道ミサイルを、自国の迎撃ミサイルで撃ち落すシステムであり、我が国はアメリカに一兆円以上を払って、イージス艦など海上配備型の迎撃ミサイルであるSM3と地対空誘導弾パトリオットのPAC3を配備している。

しかし、実はこのMD、導入元のアメリカですら、これまでに行った迎撃実験は一度も成功しておらず、カネがかかる割りに実用性が乏しいシステムであることが指摘されている。アメリカは北朝鮮の脅威を喧伝し、自国の軍産複合体を儲けさせるために、法外に高く信頼性の低い兵器を我が国に売りつけているふしがある。

またMDが機能するためには、わが国政府はアメリカの軍事衛星から送られるミサイル発射情報に依存せざるを得ず、仮に北朝鮮がアメリカに対する核恫喝を行った場合は、前述した米韓同盟のように日米同盟も無力化されかねない。

揺らぐアメリカの信用

とはいっても、北朝鮮の核・ミサイル実験はもはや年中行事と化しおり、たしかに脅威ではあるが、所詮は周辺国から外交的な譲歩を引き出し、経済援助を手に入れるための空脅しに過ぎないという見方もあるだろう。

しかし、北朝鮮の後ろ盾となっている中国の脅威ははるかに現実的だ。周知のように、中国は近年における経済成長の鈍化にもかかわらず、軍事費は相変わらずの二桁増を続け、積極的な海洋進出を進めている。こうした軍事的拡張の結果、仮に中国が尖閣諸島に侵攻しわが国と交戦状態に突入した場合、我が国がアメリカから導入したF15戦闘機やオスプレイによって迅速に対応し、尖閣を死守ないしは奪還することが出来たとしても、中国は軍事行動のレベルをエスカレートして我が国に核恫喝を仕掛ける可能性がある。

また日米安保に基づいて日本を援護するアメリカに対しても、在日米軍ないしはアメリカ本土への核攻撃を示唆して中国が核恫喝を行えば、アメリカは対日防衛を躊躇し、我が国民が期待するアメリカの核の傘は機能せず、核戦力を持たない我が国は中国への軍事的屈服を強いられる他ない。それでなくても近年、中東政策に膨大なコストを浪費し、財政的な制約を抱えるアメリカは嫌が応にも孤立主義的な性格を強め、中国の台頭を抑止する意思も能力もない。つまり日米同盟論者が信仰するアメリカによる核の傘は破れる以前に被さってもいないのである。

我が国も核武装を検討していた

こうしてアメリカの核抑止力に対する信頼性が揺らぐ中、我が国が上述した中朝の脅威に対抗し、自主的な核抑止力を保持することで北東アジアにおける力の均衡を維持しようという意見が出てきても不思議ではない。

事実過去にも、1964年に中国が核保有を宣言した際には、時の佐藤栄作内閣が我が国の核武装に向けて動き出し、同じく佐藤政権下の68年から70年までの間に、日本が自力で核武装できるかの調査が行われた。その結果、内閣調査室から提出された報告書によれば、我が国が原爆を少数製造することは当時のレベルでもすでに可能であり、比較的容易であると指摘されている。具体的には、黒鉛減速炉である東海炉(98年運転終了)は兵器級プルトニウム生産に適しており、プルトニウム原爆であれば200から300発製造可能」と記されている。

その後、周知のように、佐藤政権は67年に非核三原則を打ち出し、72年には沖縄返還が実現したが、その裏には有事の際にアメリカが沖縄に核兵器を持ち込むという密約があった。佐藤はアメリカの説得に屈し、アメリカの核に期待して我が国の核武装を断念したのである。

原爆製造は技術的に可能だ

周知の様に原爆には、プルトニウム型とウラン型がある。我が国が広島に落とされたのはウラン型で長崎はプルトニウム型だ。

まず、プルトニウム型に関して、すでに我が国は、原発の使用済み核燃料から回収した余剰プルトニウムを50トン近く保有している。このプルトニウムで原爆を製造するためには、プルトニウム239 の比率を93%以上に高めて兵器級プルトニウムを精製せねばない。そしてその作業は、核燃料サイクルと呼ばれる、高速増殖炉を使った核燃料の再処理によって可能であるとされるが、この核燃料サイクルは、複雑な構造から運用が上手くいかず、福島県敦賀市にある高速増殖炉もんじゅも実用化の目処が立っていない。

そこで、次にウラン型であるが、これは青森県六ケ所村にあるウラン濃縮施設でにおいて、天然ウランから核分裂を起こしやすいウラン235を抽出することによって製造が可能である。

現行法でも核武装は可能だ

この様に、佐藤内閣時の報告書が答申した様に、我が国の原爆製造は技術的には可能であるが、核燃料サイクルが実現しない限り、資源小国である我が国は天然ウランの輸入に頼らざるを得ない。また、上述した我が国の核再処理施設や核濃縮施設にはIAEAの査察官が常駐しているため、我が国が原爆製造に着手するためには、NPTから脱退せねばならない。しかし、NPTは第10条で「 各締約国は、この条約の対象である事項に関連する異常な事態が自国の至高の利益を危うくしていると認める場合には、その主権を行使してこの条約から脱退する権利を有する。」と明記されているのであり、前述した最近の情勢変化を受けて、我が国が「自国の至高な利益」を守るためにNPTを脱退することは、国際法で認められた正当な権利である。

また、国内法的にも、現行の原子力基本法には、我が国の核開発について、「確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行う」と記されており、我が国の「安全保障に資する」核開発としての核武装を禁ずるものではない。

さらに、憲法とのかねあいでも、1957年、岸信介首相(当時)は、現行憲法のもとで許される自衛権の行使の範囲内であれば、「自衛のためなら核兵器を持つことは憲法が禁じない」との見解を述べている。これは、我が国の核武装が、憲法が行使を認める個別的自衛権の範疇だということである。

このように、我が国の核武装は、憲法改正を必要とせず、現行法の枠内で実現可能だ。これは日米の一体的運用を前提にしたMDが集団的自衛権の行使にあたり、憲法違反の疑いがあるのに比べて余程政治的なハードルは低い。要は、安倍首相の政治決断次第だということなのである。

米国主導の核秩序から脱却せよ

とはいえ、アメリカは、戦後アイゼンハワーが行った「アトムズ・フォー・ピース」演説以来、核の平和利用と引き換えに核燃料や原子力技術を西側に輸出する政策を堅持しており、我が国がNPTを脱退し、原子力の軍事転用の意思を表明すれば、日本への核燃料の輸出を停止する可能性がある。とくに我が国が天然ウランの過半を輸入しているオーストラリアとカナダは共にアングロサクソン諸国であるから、アメリカに同調する可能性が高い。

したがって、今後我が国がNPT体制のようなアメリカ主導の核秩序から離脱する場合には、ウラン等の供給ルートを多角化することによって重要資源の安定調達を確保する必要がある。その際、新たな供給源になりうるのは、アメリカ主導の核秩序と一線を画するロシアやインドである。ロシアは国内にウラン鉱山を有するのみならず、世界のウラン生産の27%を占めるカザフスタンのウラン開発を主導している。またインドはNPTの非加盟国でありながら、我が国と原子力協定を結んでおり、核開発での協力が期待できる。

重要なのは、両国が中国と長大な国境線で接し、安全保障上の脅威を我が国と共有していることだ。ロシアは中国と沿海州の領有やシベリアへの越境移民などの問題をめぐる潜在的な対立を抱え、またインドもアクサイチンやラダックなどで中国との領土紛争を抱え、中共軍による越境侵略が後を絶たない。周知のように、我が国はロシアと北方領土問題を抱え、日露平和条約交渉は中断されたままであるが、両国の和解を妨害しているのはアメリカである。過去にも、ダレスの恫喝で日露交渉は頓挫し、現在もアメリカは安倍首相の訪露に反対しているという。

安倍首相は、アメリカを過剰に怖れ、対米譲歩を繰り返しているが、かつて98年にBJP(インド人民党)政権下で核実験を行ったインドは、いまもアメリカとの友好関係を維持しているし、現首相のナレンドラ・モディー首相も一時は、アメリカから過激なヒンドゥ・ナショナリストとしてビザの発給を停止されていたが、首相に就任した14年には訪米してオバマ大統領と「民生用原子炉協定」について協議している。同様に、我が国の核武装も、アメリカからの自立ではあっても、訣別を意味する訳ではない。既成事実を積み重ね、「日米同盟」を漸次相対化していくプロセスが必要だ。

核武装は経済政策としても有効

我が国が核武装するに際して、その抑止力を最大限に発揮できるのは原子力潜水艦である。原潜は、通常動力の潜水艦より静粛性には劣るが、潜航時間が長く、秘匿性・生残性に優れている。よって、これに核弾頭を装備したSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)を搭載すれば、敵からの核攻撃に対する第二撃(報復)能力を確保し、さかのぼって敵に第一撃を思いとどまらせることが出来る。

その際、我が国が保有する原潜はあくまで国産での開発をめざすべきだ。前述したように、現在の自衛隊が装備している、F15戦闘機、イージス艦、パトリオットミサイル、オスプレイなどの兵器は、アメリカの継続的な技術支援、作戦面での協力がなければ運用不可能であり、それが我が国の自立を妨げる重大な要因になっている。よって我が国政府は、兵器の国産化を推進することによって、軍事産業における技術革新を促し、アメリカへの軍事依存を漸次軽減して行かねばならない。

また原潜を始めとする兵器の国産化は、政府主導の産業政策、ケインズ的な有効需要政策としても有効である。ある試算によると、戦略ミサイル原子力潜水艦を一隻保有するためにかかる経費は、9360億円であり、その開発期間が各5年として4隻保有した場合に要する20年でかかる経費の総額だけでも7.5兆円になるという。よってこれらの事業に対する政府支出がもたらす経済的な波及効果は計り知れず、かねてよりデフレ不況からの脱却を目指す我が国にとって、景気浮揚策としても有効であると思われる。

核武装なき対米自立は幻想に過ぎない

これまで縷々述べたが、つまるところ、国家の防衛政策は「我が国以外は全て仮想敵国」(チャーチル)だという原点から出発せねばならない。中朝の脅威のために「日米同盟」に頼る考えも、また対米自立のためにアジアとの「友愛」に期待する考えも、共に我が国を守ることは出来ない。我が国を守りうるものは、唯一我が国のみである。このことを自覚すれば、我が国が生き残る道は、唯一核武装による国家の自主独立しかないと確信する。

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