『高度国防国家戦略』③

○戦国企業に継承された忠孝道徳
戦後焦土と化した我が国は、軽武装・経済中心路線の所謂「吉田ドクトリン」を堅持し、石橋湛山の「小日本主義」を地で行くような国家政策に転向した。これは東亜経済ブロックを構築し、そのために強大な軍事力を保有する戦前の「大日本主義」と対照的である。帝政下の天皇は政教一致に立ち、国家神道の祭司であるのみならず統治権を総攬する政治的主体であったが、戦後は民主主義と政教分離原則の下、その神格と政治的実権の一切をアメリカの手によって剥奪された。アメリカは日本の「軍国ファシズム」復活を何よりも恐れ、天皇とその軍隊を国民から引き離したが、その一方で戦前の統制経済システムはその大部分の温存を許した。強力な国家を特徴とするこの戦後経済システムの下で、政府は金融を統制し、重厚長大産業を保護育成した。
こうした政府と企業の緊密な連携は後に「日本株式会社」と呼ばれる独自の経済システムを生み出し、戦後我が国の輸出主導成長に寄与したが、その際このシステムで重要なのは次の二点である。第一に、国家の諸制度によって規律された経済システムは、例えば企業の資金調達コストのような、「情報の非対称性」に起因する経済主体間の「取引費用」を軽減し、国民経済のパフォーマンスを高めた。つまり日本型経済システムは、経済合理性を有していたということである。しかしそれ以上に重要なのは、第二に、日本の企業が安定的金融システムの下で終身雇用や年功賃金を実現し、集産主義的な経済モデルを形成したことで、元来一個の「利益社会」に過ぎざる企業が宛ら「共同社会」の相を呈するに至ったことである。これは精神的次元の特徴だ。戦後民主主義によって封印された嘗ての忠孝道徳は、鉄の結束を誇る企業共同体への忠誠に転移し、またそれは日本企業の優れた労働生産性となって現れたのだ。

○市場経済(資本)と共同体(文化)の矛盾的統一とその変容
このように「日本株式会社」は、利潤原則によって流動する資本と歴史的基層に根ざした伝統社会の文化を、国家を通じて繋ぎとめる装置であった。それは明治以来の近代化政策によって衰退の一途を辿る農村社会を国家による所得移転を通じて延命し、また都市化の過程で孤立化した個人に、企業という新たな精神的拠り所を与えたのである。ところが、上述した80年代以降に於けるアメリカの復活と、それと対照的な我が国の経済的停滞は、金融市場の自由化を眼目とする「構造改革」の嵐を惹起し、我が国を著しい経済的・社会的混乱の渦中に陥れた。
戦後西側衛星国(日本や現EU諸国)に対するアメリカの襟度は、所詮米ソ伯仲構造の産物に過ぎなかった。つまりソ連という最大の敵を前にして、陣営内部のコンセンサスを確保する必要上、アメリカは彼ら衛星国に一定の外交的譲歩を示したのである。だから冷戦末期に、アメリカがソ連に対する圧倒的な優越状態を確立し、諸外国に対する外交的足枷を取り去ると、彼らは次第に単独主義的傾向を強め、自己の「特殊」な「国益」を「普遍」的な「利益」の名の下に強制するようになった。その標的は日本とて例外ではない。アメリカは、市場メカニズムを礼賛する主流派経済学の命題を持ち出し、競争的市場のみが資源の効率配分をもたらし、消費者の利益を増進すると主張し、国家主義的な我が国経済システムの「構造改革」を要求した。そうした彼らの主張の背景には、「自己責任原則」に貫かれた市場のみが、「個人の自由」という市民社会の道徳的理想を可能とするアリーナであるというリバタリアン特有の政治哲学があった。

 

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