新東亜論―米国の普遍主義を排す(2009)4

4.私たちの日本を蝕む「文明」という名の「アメリカニズム」

戦後アメリカが推進した市場経済は、貧困の戦禍にあえぐ西側諸国の国民経済を成長させ、生活水準を引き上げました。我が国もアメリカ主導の開かれた世界経済から、多くの利益を引き出してきたのは周知の事実です。しかし我々の経済的成功を、単なる市場経済の恩恵といって片付けるのは早計でしょう。なぜならば戦後における日本経済の特徴は、むしろ競争的市場から自国産業を保護する国家のイニシアティブと、それを容認するアメリカとの機微な政治的コンセンサスによって規定されていたからです。アメリカはソ連を封じ込めるために日本の基地を必要としていました。逆に日本は、経済に本腰を入れるために軽武装を維持し、アメリカに対する保護政策を必要としていた。ここに両国の政治的ならびに経済的な利害が一致し、我が国は「日本株式会社」と称されるような、国家と企業、資本と労働の緊密な協力関係を特徴とする特異な国家経済モデルを確立したのです。してみれば、戦後の経済的成功は、国家の賜物であるともいえましょう。

日本が経済的成功を遂げるのに与って力があったいまひとつの要因は、勤勉と倹約を尊び強固な信頼によって結びつく国民の道徳精神です。国民の勤労倫理は、企業の生産性を高め、倹約精神は莫大な資本蓄積を通じて国家の大規模な産業政策を下支えしました。このように、戦後我が国が産業立国によって経済的成功を収めた背景には、強力な国家と、高潔な道徳が作用していたのです。

しかし、東西冷戦がアメリカ優位の下に終息すると状況は一変します。というのも、アメリカは世界で唯一の超大国になったことから、日本が戦略的に重要ではなくなり、そのため日本の国家保護政策を支えていた日米間の政治的コンセンサスが崩壊してしまったからです。したがって大体このころから、アメリカは日本に金融市場や労働市場の自由化を柱とする広汎な「構造改革」を要望し始めましたが、それは資本と労働を結び付けていた国家を市場から排除することによって、共同体である企業を解体し、個人を自己責任のジャングルに放り込むことを意味していたのです。何でも個人が優先される戦後民主主義のなかで、「日本株式会社」は日本の共同体文化を体現する最後の堡塁だったのではないでしょうか。

 

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