新東亜論―米国の普遍主義を排す(2009)3

3.自由、自由といいますが、それは何のため(what for)の自由でしょうか?

さらにこうした西欧が道徳的に堕落した世界であるというイスラム原理主義者の確信は、民主主義に対する彼らの露骨な嫌悪によってより一層強化されています。というのも、彼らは、神の一者性を否定し、異教徒はおろか無神論者まで平等に政治的自由を容認するような民主主義こそが、人間を絶望的な価値相対主義の闇で蔽い、結局は無気力な快楽主義を蔓延らせている諸悪の根源であるとみなしているからです。信仰を個人の自己決定に委ねることが果たして本当の自由といえましょうか。人間に神を選び取ることなど出来るはずがないし、仮にそれが可能ならばそもそも神など人間に必要ではないでしょう。民主主義が全ての価値を平等に承認するからといって、それは決して全ての個人に宗教と道徳の自由を認めることにはなりません。むしろ全ての信仰を相対化してしまえば、結局それは人間に無宗教と不道徳を強いてしまうだけなのです。

さてこうしてみると、アメリカのいうリベラル・デモクラシーは一体誰の利益になるのでしょうか。市場経済と民主主義が帰結した貧困と疎外、ニヒリズムと快楽主義といった問題は、イスラム世界のみならず、近年の日本社会をも着実に蝕んでいます。この辺の消息を知るために、とりあえず戦後における日米関係の変遷を以下で辿ってみましょう。

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