2.世界は、アメリカの一体何に怒っているのでしょうか?
イスラム原理主義が活発化した背景には、80年代以降、アメリカ主導で押し進められた金融経済のグローバル化が一因としてあると言われています。戦後のブレトンウッズ体制ではドルを基軸とした固定相場によって資本市場が国家に統制されていました。このため各国は、市場経済の生み出す社会矛盾を、国家の財政支出を伴う社会保障によって緩和することができました。またこうした福祉国家が成立するためには、より平等主義的な社会を目指す国際社会の政治的コンセンサスがあったことにも留意せねばなりません。しかし70年代の経済的後退期を通じてアメリカでは、80年代になるとレーガノミックスに象徴されるような個人中心の市場主義改革が行われたことによって、国家は市場経済の領域から排除され、資本と労働の対立が熾烈さを加えていきました。こうした社会的分断は、一国内部のみならず、欧米の占める先進国とイスラム世界を含む後進国との間に横たわる国際所得格差の拡大となって現れ、それがイスラム社会の西欧世界に対する憎悪の下部構造を成しているのです。
市場経済の浸透によってイスラム世界に格差と貧困が広まったというのはイスラム原理主義の世俗的な要因ですが、それと同等に重要なのは文化的要因です。すなわちアメリカ、延いては西欧世界由来のリベラル・デモクラシーが、イスラムの宗教や文化共同体を破壊していることに対する怒りがイスラム世界の根底に渦巻いているのです。制約なき市場経済は、利潤や効率性を無限に追求する資本の論理によって宗教共同体のあらゆる要素を商品化し、世俗的な基準で標準化しようとします。大衆の欲望を喚起する広告、それを宣伝するメディア。のどかな農村から、刹那的な快楽が道徳的な真実よりも優先される都市に駆り出された個人は、資本の鉄鎖に繋がれながら、孤独と不安、空腹と絶望の深遠に沈みこむのです。