アルテミオ・リカルテと日比の絆1/3

フィリピン独立闘争の歴史に不朽の名を留める英雄がいる。その名はアルテミオ・リカルテ。

アルテミオ・リカルテ

アルテミオ・リカルテ

リカルテは、16世紀以来フィリピンを植民地支配したスペインとアメリカに対する独立革命を主導し、大東亜戦争では山下奉文大将率いる我が軍と共に戦った。

スペインがフィリピンを征服したのは1565年。当時フィリピンには100万人の原住民がいたが、スペインはこれをわずか2~300人の遠征軍で征服し、皇太子フェリペ(後のフェリペ2世)の名を取ってフィリピンと命名した。以来、スペインの植民地主義者は、本国から送られたカトリック宣教団と結託して原住民を過酷に差別し搾取し続けたが、やがてスペイン本国の衰退に伴い、原住民の不満が高まっていった。

ホセ・リサール

ホセ・リサール

そうしたなか、1872年、フィリピン人修道僧に対する差別待遇への反発を発端に、カビテ州で最初の反乱が起った。スペイン政府はこれを容赦なく弾圧したが、これ以降、フィリピンにおける抵抗運動は活発化した。現在フィリピンで「国民的英雄」とされるホセ・リサールもまた、同時期にスペインへの抵抗運動を唱導し、1892年にはフィリピン民族同盟を結成したが、そのわずか四日後に、植民地政府によって逮捕・投獄され、穏健な改革運動は挫折した。

 

アンドレス・ボニファシオ

アンドレス・ボニファシオ

それ以来、スペインへの抵抗運動は地下化し、フィリピン民族同盟の幹部であったアンドレス・ボニファシオが創立した「カティプナン」と呼ばれる秘密結社が急速に勢力を拡大していく。創立当初の1893年には、会員が300人にも満たなかったが、わずか三年後に最初の革命蜂起を起こした時には三万人に膨れ上がっていた。

アルテミオ・リカルテは、1866年ルソン島最北端のバタックで生まれ、1890年にはマニラにある名門、サント・トーマス大学を卒業した。彼は、他の有能な青年たちがスペイン留学を望んだのと異なり、祖国フィリピンで一生を民族教育に捧げる決心をし、カビテ州サンフランシスコ・デ・マラボンの小中学校の校長をしていた。そんな中、上述したボニファシオに見込まれてカプティナンに参加し、独立革命に身を投じたのである。リカルテがカプティナンに入会した前年には、当時カビテ州の町長を務め、のちにフィリピン共和国の初代大統領になるエミリオ・アギナルドが入会している。

 

エミリオ・アギナルド

エミリオ・アギナルド

1896年、ついにカプティナンは革命蜂起を起こした。アギナルドは革命軍司令官として戦い、リカルテもマラボンに兵を挙げてアギナルド軍を助けた。革命軍は緒戦こそ善戦し、翌年の87年には革命政府が樹立されたが、やがてスペイン本国から三万人の鎮圧軍が送られると、形勢を不利と見たアギナルドはスペインと勝手に和睦し、巨額の賠償金を手にして香港に逃亡した。しかしリカルテはその後も孤軍奮闘、革命軍の総指揮官としてスペインへの抗戦を続けた。

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