可掛(かけま)くも綾(あや)に可畏(かこ)き楠神乃大廣前(くすのきのかみのおほひろまへ)に恐(かしこ)み恐美(かしこみ)も申須(もをす)。神(かみ)の大御稜威(おほみいづ)は天地(あめつち)に光輝(かがや)き御德者(みめぐみ)は萬世(よろづよ)に周(あまね)く充滿(たらは)し、御忠誠者宇宙に照徹坐(ましま)し、永(なが)く我(わ)が天皇命(すめらみこと)の御影(みかげ)の御守(みまもり)と成賜(なりたま)ひ、大御代(おおみよ)は朝日(あさひ)の豊栄登(とよさかのぼり)に榮坐(さかいまし)て、外國乃夷狄等(とつくにのえみしら)も畏(かしこ)み服(まつろ)ひ奉(まつ)りしを近年(このとしごろ)に至(いた)りて外國(とつくに)の夷狄等參來(えみしらまゐき)て畏(かしこ)くも大御國奉汚(おほみくにけがしまつ)らむとすらくを、征夷府(せいいふ)の執事等(しつじたち)忠勤(まめまめ)しき雄心(をこころ)を忘(わす)れ、所々(ところどころ)の海邊(うみべ)に商館を造り邪敎寺を建て、彌荒(いやあら)びに荒(あら)びなすを、今(いま)、現御神(あきつみかみ)と天下所治食(あまのしたしろしめ)す天皇命(すめらみこと)は英明(さかし)く、武(たけ)く坐(ましまし)て、彼(か)の執事等(たち)が曲事(まがごと)を深(ふか)く憂(うれ)い賜(たま)ひ、度々(たびたび)大勅命(おほみごとのり)下(くだ)し賜(たま)ひ、内地(うちつくに)を整(ととの)え夷狄(えみし)を攘除(はらいのけ)賜(たま)える雄々(おお)しき宸襟(みこころ)坐(ましま)しけれど可畏(かしこ)くも勅命(みことのり)を畏美(かしこみ)奉(まつ)らず、朝廷(みかどべ)を輕蔑(あなどり)奉(まつ)り彌(いや)に曲事(まがごと)巧(たく)み、天皇命(すめらみこと)は彌(いや)に宸襟(みこころ)惱(なやまし)賜(たま)ひき。かく宸襟(みこころ)惱(なやまし)賜(たま)えるを諸國(くにぐに)の國守城主等(くにのかみきのぬしたち)一人(ひとり)も勤王(きんわう)の兵(いくさ)を起(おこ)し大御國(おおみくに)鎮奉(しづめまつ)り淸米(きよめ)奉(まつ)れる武臣(もののふ)もなく、一日一日(ひとひひとひ)に大御國(おおみくに)は彌(いや)に疲(つか)れ、天下(あめのした)、萬姓(おほみたから)は彌(いや)に苦(くる)しみ、憤摡(うれた)く遺憾(くちお)しき形勢(ありさま)になむ。かく災難(わざわい)の形勢(ありさま)を神乃大御稜威(かみのおほみいづ)以(も)て荒(あら)ぶる醜臣等(しこおみたち)を誅(つみな)ひ、夷狄(えみし)を攘除(はらひのけ)て、大御國(おおみくに)淸米(きよめ)鎮米(しづめ)て、皇命(すめらみこと)の宸襟(みこころ)靖奉賜(やすめまつりたま)へと奉祈(いのりたてまつる)。正義(まさよし)賤(いや)しき避遠(ひな)の微臣(やつがれ)なれど、安政五年(あんせいいつとせ)、戌午(つちのえうま)の年(とし)秋長月(あきながつき)に内勅命(うちうちのみことのり)を奉護(まもりまつり)て關東(あづま)に下(くだ)り其(そ)が後(のち)にも種々(くさぐさ)謀(はか)りて醜臣等(しこおみたち)を誅(つみな)ひ、夷狄(えみし)を攘除(はらひのけ)の策(はかりごと)に心力を盡(つく)し侍(はべ)りしかど其事(そのこと)空敷(むなしく)成(な)らず如此(かく)宸襟(みこころ)苦(く)しく思食(おもをす)こと如何(いか)で何(いつ)までも望(よそに)觀奉(みまつ)るべき。速(すみやか)に京(みやこ)に參上(まゐのぼ)り荒(あら)びなす醜臣(しこおみ)を討(うち)て朝廷邊(みかどべ)に死(し)なまく欲(ほり)し侍(はべ)れど、京遠(みやことほ)き避遠(ひな)の微臣(やつがれ)の身(み)にして、然(し)かも所々(ところどころ)に關守(せきもり)も嚴重(おごそか)なれば、可爲便(せんすべ)なく今度(このたび)京(みやこ)の有志等(こころあるともがら)に謀(はか)り陽明殿より召上(めしのぼ)せ賜(たま)はむことを申奉(もうしまつ)りき。此事(このこと)成就(なら)ば諸藩有志の國々(くにぐに)を語らひ、勤王(きんわう)の兵(いくさ)を起(おこし)て、宸襟(みこころ)靖奉(やすめまつ)らむ物(もの)ぞと思起(おもひおこ)し侍(はべ)りき。朝(あさ)な夕(ゆふ)なに彌(いや)歎息(なげ)き彌(いや)憤(いきぼほ)り天地(あめつち)に充滿(たらはし)て一向(ひたぶる)に朝廷邊(みかどべ)思奉(おもひまつ)れる眞心(まごころ)を神(かみ)も阿(あ)はれと聞食(きこしめ)し、過(あやまち)けむ罪咎(つみとが)は見直(みなほ)し聞直(ききなほ)し賜(たま)ひて、武事(いくさのわざ)に功業(いさを)ありて、武士(もののふ)の本意(ほい)を遂(と)げ、朝廷邊(みかどべ)を令奉靖(やすめまつらしめ)賜(たま)へと祈禱(いのり)申須(まをす)事乃(ことの)漏落(もれおち)むを幸(さいわ)ひ賜(たま)えと恐美恐美申須(かしこみかしこみもうす)。
辭別(ことわけ)て祈申須(のみまをす)朝廷邊(みかどべ)に忠勤(いそしみ)奉(まつ)り、志(こころざし)を遂(とぐ)る幸(さち)なくば、かくて世(よ)に存命(ながらへ)て空(むな)しく月日(つきひ)を送(おく)りなむは本意(ほい)なき事(こと)にし侍(はべ)れば、速(すみやか)に身死(みまかり)なむ。阿(あ)はれ、神乃御恩賴(かみのみたまのふゆ)に依(より)て、死(みまかり)て後(のち)に荒魂(あらみたま)振起(ふりおこ)し國賊を滅(ほろぼ)しなむと恐美恐美申(かしこみかしこみまを)す。
文久元年辛酉秋九月四日 有馬新七平正義