本当の「維新」とは何か:第Ⅱ部① ボストンにいるB君と香港にいるN君に捧ぐ

○神武創業の精神は、皇位の御徴である三種の神器に象徴される、天皇の国家祭祀と国家の内外に対する大権の総攬、さらにはその大権を燦然と照らし出す御稜威の三位一体から成り立っており、かくして我が国の国体と政体は祭政一致を以て旨とする。その意味で、壇ノ浦の合戦で安徳天皇が入水遊ばれ草薙の剣が海底に沈んでしまったことは、朝廷による兵馬の権の喪失と、その後の長きにわたる武家の大政壟断を暗示する不吉な出来事であった。

王政復古の大号令に示されたように、明治維新は神武創業への先祖帰りであり、武家によって簒奪された矛と勾玉を奪還して祭政一致の真姿を顕現することが第一の目的であった。したがって明治元年、明治大帝が五箇条の御誓文を天神地祇に奉告遊ばされ、次いでその御誓文を受けて神祇官が太政官に対置されたことは、明治国家の真面目が祭政一致にあることを明確に示すものであった。周知のように、明治2年には版籍奉還、続く明治4年には廃藩置県が断行され、徳川幕藩体制で封建諸侯に分断占有されていた国家の統治権は名実ともに朝廷に奉還されている。

では矛、すなわち兵馬の権は何処にあるか。これは明治十五年に渙発された軍人勅諭に闡明されている。曰く、「それ兵馬の大権は朕が統ぶる所なればその司々をこそ臣下に任すなれその大綱は朕親ら之を攬り肯て臣下に委ぬべきものにあらず。子々孫々に至るまで篤くこの旨を伝え天子は文武の大権を掌握するの義を存して再び中世以降の如き失体なからんことを望むなり。朕は汝等軍人の大元帥なるぞ」。

○このように、神武創業の再現である明治維新は三種の神器の三位一体を回復し、祭政一致の国体を顕現することを企図していたが、なかでもそうした一連の改革の極北ともいえる所産が、明治21年の大日本帝国憲法である。いうまでもなく帝国憲法は、天皇主権を根幹とし、天皇が国権の総攬者にして軍の統帥権者であることを規定しているが、前述したように、その統治権は「天壌無窮の神勅」を始めとする「皇祖皇宗の遺訓」に由来するものであった。事実、帝国憲法の前文に相当する『告文』は「祖宗の神霊」に向けられたものであり、そこでは天皇が「天壤無窮ノ宏謨に循ひ惟神(かむながら)の宝祚を承繼し旧図を保持して敢て失墜すること無」きことを皇祖皇宗に誓約しているのである。かくして三種の神器の鏡と矛は回復されたのであるが、残る勾玉はどうであろうか。

○この点について、伊藤博文の側近として帝国憲法の起草に携わった井上毅の功績は広く知られている。井上は古今東西の国典を渉猟し、我が国固有の統治理念を、天皇よる「シラス」という言葉に見出した。この「シラス」は、「ウシハク」いう言葉と対照され、古事記の「出雲の国譲り」の段で天照大御神が建御雷神(たけみかずちのかみ)をして大国主神に「汝がうしはける葦原中国はわがみ子の知らさむ国と言よさし給えり」と問わしめたのが元になっている。井上は、「ウシハク」が欧州やシナの君主国にありがちな「家産国家(Patrimonialstate)」の覇道理念であるのに対し、「シラス」は、天皇が上、高天原に対しては天照大神の御神勅をご神鏡に拝し、下、臣民に対しては公明正大で寛大温仁な統治を行うという意味での王道理念を意味すると説いた。他でもなく、この「シラス」こそ勾玉である。

 

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