明治天皇様が沖縄に寄せられた大御心は「一視同仁」

沖縄、わが国の国土面積の0.6%に過ぎないこの小さな島には在日米軍施設の74%が集中している。

 

戦後我が国は空虚な平和憲法を偽善的にかし頂く一方で、現実的な国防問題のしわ寄せをこの小さな島とそこに住む無力な民衆に押し付けてきた。また非核三原則を掲げる一方で、米軍の核兵器をこの小さな島に持ち込んできた。

 

普天間基地の移転問題をめぐり、自民党本部が日米合意に沿った辺野古への移設を掲げているのに対して、自民党沖縄県連はあくまで「県外移設」を主張し、党内の不調和が浮き彫りになっているようだ。

 

本土の国民は、在日米軍が沖縄県民に塗炭の苦しみを強いてきたにもかかわらず、この問題に対しては冷淡なまでに無関心だ。一部には、政府から膨大な補償金を「ゆすり」取ってきた沖縄県民に対する侮蔑の声すら聞かれる。

 

残念ながら、本土の国民が沖縄に対してかくも無関心でいられるのは、所詮自分たち大和と琉球の人間は異民族であるという意識が根底にあるからではないか。つまり、極論すれば「彼ら(沖縄県民)は夷狄だから我々には関係ない」、という意識である。

 

しかしわが国の建国の成り立ちに頭を回らせば、今日の国民の大半の祖先は神武東征によって皇化に服するまで東夷(あずまえびす)、つまりは夷狄だったのである。なかには朝廷に弓引く大逆無道の輩もいただろう。

 

神武建国以来、ご歴代の天皇様は「荒ぶる神とまつろわぬ人」には矛をお取りになったが、一度皇化に服した臣民に対しては「一視同仁」(一君万民のご仁慈)の大御心で臨まれてきた。

 

それはシナへの朝貢の非を改めず、わが国にまつろわざりし尚氏の琉球に対しても同様である。以下のご詔勅をご覧頂きたい。

 

琉球藩ヲ廃スルノ勅諭(明治12年3月11日)

 

琉球藩旧シク王化ニ服シ寔ニ覆育ノ徳ニ頼ル今乃恩ヲ怙ミ嫌ヲ挟ミ使命ヲ恭マス是葢シ舟路遼遼見聞限アルノ致ス所朕一視同仁深ク既往ノ罪ヲ責メス該藩ヲ廃シ尚泰ヲ東京府下ニ移シ賜フニ第宅ヲ以テシ且尚健尚弼ヲ以テ特ニ華族ニ列シ倶ニ東京府ノ貫属タラシムヘシ所司奉行セヨ

 

このように明治天皇様が沖縄に臨まれた大御心は「一視同仁」、つまり本土の国民と隔てなく、等しく皇恩に浴せしむるという寛大な思し召しであった。

 

畏くもこの大御心を拝し、今日の政治において実践するのであれば、基地の重荷は全国民が平等に負担すべき、つまり沖縄基地の大半は県外に移設すべきである。

 

もしも政府と本土の国民が今日の状況を放置し無関心を続けるのであれば、沖縄の民意はわが国から離反し、その心理の空隙は隣国であるシナが埋めることになるであろうが、もとよりそれは我々の望むところではない。

 

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