「拘幽操」は、唐の韓愈の作品である。韓愈は、唐代を通じて第一番の文人で、「韓文」といって、一家の文集があり、その巻数は多い。そのうちに、この「拘幽操」もある。大体古から文人というものは、詩歌文章を専一の務めとして、義理を知らずに書くものであるが、韓愈においては、世の常の文者と違って、義理を知って書かれた。深く道の大本を理解なされたとはいえないが、孟子以 来、見所のある人は、董仲舒(前漢の大儒)とこの人とを指すことで、尋常の文章家とあしらうことはできない。故に程子も、韓愈においては、常体の文人の様に容易にも見るなと仰せられ、朱子も「韓文」の為に「考異」(諸本を校定してまとめたもの)をなされた程である。何故ならば、このような作品によって、文王の文王たるところ、至徳の肝心を言いぬかれたからである。「楚辞」などにも、この文が載せてあるけれども、程朱以来、ここで文王至徳の所が見えるということを理解している人はもとより、名を聞いた人も希なことで、常の文章なみに心得ていた。それを山崎先生に至り、この文を世に広く称揚なされ、程朱の説を後に附しておよそ論語を読む学者に至徳ということの実体を知らしめて、忠孝の目当となさしめたのである。
古から君に仕えるものが、常の場では忠なように見えても、それは君のあしらいが結構なり、太平無事な時は、皆そうあるものである。あるいはここぞという場に臨んで、君の為に身命を捨てもする健気な者もないではないが、概ね名のためにするか、利のためにするか、または一旦の感 激でするか、根本から徹底的に洗いさらってみた時には、真実君が愛しく忍びられぬという至誠惻怛(そくだつ、痛み悲しむ)の本心を尽す本来の忠とはいえない。どうしても気に入られたい、立身がしたい、禄を増やしたいというような汚い心入れで、御髭の塵を取って媚びるものや、まさかの場に振り切って逃れる者は除けておいても、随分忠義忠義という合点でも、畢竟君 が愛しいという本心より出でるのでなければ、少し君のあしらいが悪くなり、 あるいは讒言に遭うか、何か自分の意に違うことがあると、はやいつの間にか、御恩がありがたいの、身命を捧げようなどと思った心は、どこかへやって、どうして自分の意が聞き入られないのか、主君には勝てないが、あんな措置をすべきではない、主君ならば主君らしく大人しくしておれなどというように(要検討;サリトテハキコヘヌコトヂヤ、主ニハ勝レヌニヨツテヂヤガ、アアシヤル筈デハナイ、主君ナレバコソ、ダマリテ居レト云ヤウニ)、君を怨む心が起こる。この怨む一念の、主君なのだから主君らしくと思う心が、すぐに君を弑する心、敵に与する心となり、古から乱臣賊子の君を弑したり、父を弑したりするのも、この僅かなことを怨ル一念が、積り積もってのことで、一朝一夕の際にふっと兆すものではない。とすれば何ほど結構な奉公ぶりでも、働きがあっても、真味真実、君が愛しくてならないという至誠惻怛の心が突き抜けていなければ、忠ではない。
忠は中心とも書き、どこまでも、君が大切でならぬという本心のやむにやまれぬ意味からのことである。ここを目当とせねば、一人扶持とる者も、どうも奉公はならず、何時恩賞欲しさに主君の源義朝を謀殺した長田忠致や明智光秀になるとも知れない。それゆえ常人よりいえば、これを目当てとして、もし一念君父を怨む心が兆したならば、やれこれがすぐに君父を弑する心だと、痛く自らを懲らし、戒めて、こうした心の根を抜き、源を塞いで、君父が大切で止まれず、真実愛しくてならず、どんな事を以ってしても変心することがないというまでの本心を得るまでが、この「拘幽操」の吟味である。拘は、抱えるとも、捕らえるとも読む。捕らえて牢へ入れること。幽は、幽闇で人跡の絶え果てた、鳥の声もしない様なところのこと。そこに文王を捕らえておいたのである。文王は殷の紂王の代には、西伯といって、西国大名の頭であった。紂王の悪虐が甚だしくて、天下万民が疎み果て、その滅亡を望んでいた。一方で文王には聖徳があり、仁政を行われて、天下これに帰服したが、背ける諸侯を率いて殷に服従なされたので、殷紂の代は文王の聖徳でもっていたようなものなのである。しかるに崇候虎が讒を用いて、西伯が参勤なされたときに、何の訳もなく彼を捕らえて、羑里(ゆうり)ヘ押し込めた。西伯は自分の身に少しも覚えがなかったので、常の者であれば、ここで何かと言い訳を申し立て(要検討;ココデハ何カト云ワケモセウズ)、もとより大いに怨むであろうが、西伯においては、少しも讒者のせいにするつもりがなく、微 塵も君の仕打ちを無法だと思う気持ちもなかった。それはただ火が常に熱く、水が常に冷たく、梅が常に酸っぱいように、君を大切に思し召す惓繾惻怛(けんけんそくだつ、民がその君を忘れようとしても忘れられず痛み悲しむ)の心よりに他に、微塵も他念がなかったからである。我身に罪があるのだろう、罪があるからこそ、こうなったのだ。また君の恵みゆえに、こうなったのだと思し召す他はない。ここが文王の至徳というべきところで、臣子の本心である。
「論語」に至徳の例は二つ出ている。一つは太伯(泰伯)、もう一つは文王である。ともに君臣の義の体現者で、至徳の内実は、君臣父子の関係を離れて外にないことを知ることが出来る。 それは臣子たるものの身として、君父の愛おしく、どうしても離れることが出来ないということが、まるで火が燃えたがり、水が濡れたがるように、止むに止まれぬ情が、桀紂にもせよ、誰にもせよ、讒を用いるにもせよ、どっちへどうしても、ただ愛おしいより他はないといった具合なのである。天命に従い、人心に応じるというようなことが、忌々しくてどうしようもないというところが至徳であって、衷心より、雁は虫になっても北へゆくというように、余義も余念も無いのを至徳という。その至徳ということを他義を入れずに、裸にして見せたのがこの文章である。操は、琴操といって、琴に調べ合わせて歌う唱歌である。それを操というのは、操は「みさお」とも、「とる」とも読む。罪でもあって君に棄てられるのであれば、その筈であるが、罪も無く、讒に遭って棄てられるようなときは、どうして自分の意見が聞き入られないのかと怨めしく思わずにはおけない(要検討;扨モ聞ヘヌコトジャト云様ニ成ラネバヲカヌ)。しかしその様なときでも、微塵も君を怨む心無く、「我を思ふ人を思はぬ報ひにや我思ふ人の我を思わぬ」(古今集巻十九、雑)といったように、真実君を大切に思う惓繾惻怛(けんけんそくだつ)の心の、止むに止まれず、忘れるに忍びぬ情から謡う歌を、操という。それで常の歌よりは、殊にすぐれて感慨があるのである。覆霜操の、箕子操のというのも同じ類である。
文王羑里(ゆうり)の作
文王は、武王が天下を保たれたあとの諡号(おくりな)であり、このときは西伯といった。羑里は、殷の時代の獄屋の名である。都から遥かに程隔たって、人も通わず、鳥の声もしない様なところである。この操は文王が作られたという訳ではないが、韓愈が文王の至徳を知り抜いて書かれた。それで文王の文王たる真味がわかるため、文王の作といっても差しさわりがないのである。
目窅々(ようよう)たり云云
ここからが羑里での艱難を述べた箇所である。窅々は、目が落ち窪んで、見えなくなったことである。羑里の獄屋は日月の光もなく、菖蒲(あやめ)も育たないため、目が落ち窪み果てて、その凝(こる)というのは、水が凍ったように、目が凝り固まって、動かないことをいう。菖蒲を見れば、目が働くこともあろうが、その菖蒲ですら育たないので、目が凝り固まって盲目になってしまった。
耳粛粛(しょうしょう)たり云々
粛粛は、秋の気配が物寂しいようなことにもいう。森々として、物音がしない状況である。目に菖蒲が見えなくても、せめて耳に何かの物音は聞こえそうなものであるが、誰訪う人も無く耳が塞がってしまった。
朝、日出でず云云
朝であっても、日が出ない。夜であっても、月星の光が見えない。。
知ること有りや、知ること無しや云々
これは、生きているのか死んでいるのか分からないという困窮の極みに至っても、やっぱり紂王が愛しくてならない御心の他ない。怨む筈だの、どうのということはない。竹の子のどう踏みにじっても、生えたがるより他なく、火をどうたたき消しても、燃えたがるより他ないことである。常人はここまで突き詰めて考えるに至らず、少しでも自分の意見が入れられぬとなると、もう怨む。怨みを表すか、表さぬかの違いこそあれ、やはり長田 となり、明智となる種子を含んでいる。さてさて恐るべきことである。文王は、ここまでとことん突き詰めて考えたので、雁が虫に成っても北へ行くより他ないように、ただ紂王が愛しくてならない心は、このように、いや増すばかりであった。この心が下の詞の嗚呼云々に出てくるのである
嗚呼、臣が罪、誅に当りぬ云云
この一句が、拘幽操の拘幽操たる所以、至徳の真味真実が分かる。嗚呼という詞は真味から出てくる言葉であって、微塵も意を加えたり、強いて言うことではない。前の 辛苦の至りから、嗚呼と出てくるところが、きわめて肝要のところである。嗚呼我は成敗さるべき者、あなた様は聖明の君主であると、心底思し召すより他ない。ここに微塵でも君主の非が見えたのであれば、もはや君臣の関係は切れたということである。あなた様は、どうあろうが、こうあろうが、愛しく大切な心は、(要検討;フルヽナリニ)、いや増して、伯兪が母にたたかれる杖と共に愛おしく思うのも、まずこうした心である。親が子を愛するに、良ければよいにつけて、いよいよ可愛い。悪しければ悪しいにつけても、いよいよ可愛いのは、 親子一体の、純粋な心である。殷紂については、誰知らぬ者もない暴虐の天子、をれを文王は聖明であると言った。むしろ文王は臣が罪、誅に当ると述べたのは、要約すれば、間違ったことのようであるが、文王の心からすれば、親子一体純粋の、愛おしい心以外のものでないので、その是非を比べるべきではない。唯フルヽナリニ、君がどうしても愛おしい、その心ゆえに、私の仕え方が悪かったのでこうなったのだ、あなた様は聖明のお方であると、思し召すより他はない。天命に順(したが)い人心に応じる、または臨機応変の処置だのということは、この心から見れば、忌々しくてどうにもならない。ここが文王の至徳のところであって、武王はいまだその善を尽くしていないこと、天下万世臣子の指針は、これより他にない。ここが明らかにならねば、一人扶持とることもままならない。おぞましいことである。恐るべし恐るべし。