この本は、97年に北朝鮮から韓国に亡命し昨年死去した金正日の側近の回顧録。著者は主体思想の理論家である。主体思想の成立過程を知りたいので読んだ。
53南労党(南朝鮮労働党)派指導者
朴憲永、李承燁等粛清
56スターリン批判に反撃しソ連派及び延安派粛清
延安派は金科(左が木扁)奉、崔昌益、ソ連派は朴昌玉らが代表して連合
66年中国で文化大革命勃発、これを支持しない金日成を修正主義者だと非難した中国に対して、「金日成はソ連の「右傾修正主義」と中国の「左傾冒険主義」にすべて反対し自主的な革命路線を堅持していくとして主体をより強調した。」(173)
同年、「社会発展の動力」と題する論文が問題化
「論文の内容は思い出すとこうである。〈ソ連共産党では、社会主義経済制度が樹立されると、資本主義から社会主義への過渡期は終わる。そのときからプロレタリア独裁も弱められて国家は凋落するという。中国共産党では、過渡期は無階級社会である共産主義理想社会が実現するまで続き、階級闘争も続く。したがってプロレタリア独裁も引き継がれていくという。〉しかしわたしは、過渡期の終息は社会主義経済制度の樹立だけでは不十分で、これに相応した社会主義的生産力に基づいて社会主義制度が自らの優位性を十分に発揮できるようになって初めて可能だと考えていた。そこで〈我が国の場合には、南北が分断され対立している条件の中で、祖国が統一されたときこそ過渡期が終わり、それまでは南北間の階級闘争が続くためにプロレタリア独裁政権の存在が必要だ〉という内容であった。そして社会発展におけるインテリの役割について強調しながら、インテリをその出身成分(階層)と結び付けて活動の進歩性の当否を判断するのではなく、彼らが社会発展に寄与した結果に従って評価すべきだと主張した。」(174)
→社会主義制度における個人崇拝と階級闘争、プロレタリア独裁の終焉を預言するこの論文が、金日成の弟である金英柱(当時のナンバー2)の讒言誣告により反党的修正であるとして問題化、67年の金日成による「5・25教示」が出るきっかけとなった。
「つまるところこの論争には、階級主義的立場で独裁を一層強化し、金日成に対する個人崇拝を深化させようとする統治集団の要求と、階級闘争をプロレタリア独裁を弱め民主主義を拡大することを渇望するインテリ層という二つの対立が横たわっていた。」(176)
→「わたしはこのときから階級的利益を社会共同の利益、人類共通の利益の上に置く階級主義は、階級利己主義に転落せざるをえないだろう、そして階級利己主義は指導者の利己主義につながるのは必然であり、それは指導者に対する個人崇拝と個人独裁に集約されるしかないとの結論を下すにいたった。」(186)
→歴史創造の主体を階級ではなく、人間に求め主体思想を体系 化、しかし北朝鮮では金日成バッジの着用が義務化され、個人崇拝強化
⇒客観的には中ソ論争、主観的には「5・25教示」が契機