小林よしのり氏の『大東亜論』を読んだ。(1)

大東亜論遅まきながら、小林よしのり氏の『大東亜論』を読んだ。率直に面白く、もっと言えば、血湧き肉躍る感動すら覚えた。こんな大仕掛けの漫画を描ける氏は、もはや一己の天才と称すほかない。本作を通じて、大アジア主義が広く世の中、なかんずく、青春の熱情を下らない色恋に浪費しているいまどきの若者たちに知られるきっかけになれば、我が国の将来にとって裨益するところすこぶる大なりであると思うし、またそうあることを願う。

いまでこそ、頭山満や玄洋社の諸豪傑はなかば神格化された存在になっているが、もともと彼らは明治維新に取り残された福岡の片田舎から出てきた全く無名の青年たちであり、定職にも就かず、ひどい貧乏に見舞われながら怏々(おうおう)たる苦悶の生活を過ごしていたのである。しかし、それでいて少しも将来を悲観することなく、身を卑屈にすることもなく、むしろ皇国の命運を一身に背負い立つ独立の気概に満ち溢れ、眼をギラギラさせながら、同志の仲間たちと国事を論じ、アジアに経綸を廻らしていたのであり、自ら国家の尖兵たらんとするその凄まじい主体性と行動力には驚愕と同時に敬服の念に打たれざるを得ない。

彼等の生涯を貫くものは、赤子のように純粋な正義感と鬼神をも恐れぬ断固たる勇気であり、それはまさに「自ら省みて直くんば千万人と雖も我往かん」とする武士(もののふ) の精神なのである。

本書が説くように、戦後、玄洋社はGHQから狂信的「右翼」のレッテルを張られたが、実のところ、玄洋社には右も左もなく、あるのはただ尊皇の一点のみであった。そして我が国において天皇と国民は君民一体なのであるから、尊皇はすなわち尊民となり、自ずから人民尊重の理念が導かれるのである。玄洋社が自由民権団体として出発し、その憲則に「皇室を敬戴すべし」と云いながら、同時に「人民の権利を固守すべし」と謳っていたのはそのためである。両者は決して矛盾するものではなく、民を大御宝とし給う天皇の存在を通じて一体化していたのであり、玄洋社が自由民権を主張したのは、天皇の権威を笠に着て大政を壟断し、西欧に追従する藩閥政府を打破し、本来の皇道政治を取り戻すためであった。

よって彼らの主張は薩長藩閥に対する「民権の伸長」であり、西欧追従に対する「国権の伸長」となり、ここでいう「民権」と「国権」は車軸の両輪のごとく一体不可分の関係にあった。しかしながら、これに西欧的な右や左の価値基準を満ち込むと、その本質を見誤ることになる。
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