『奉公心得書』
楠望軒の志士、竹内式部の学識が天聴に達した際に、彼が門人の堂上公卿に教示した『奉公心得書(ほうこうこころえしょ)』は、崎門学の精髄を発揮した日本臣道の極致である。そこでその内容を要約すること、以下の通りである。
まず我が国の天子は、天照大神より天津日継(あまつひつぎ)たる宝祚を受け継いだ神の末裔にして現御神(あきつみかみ)なのであり、この世で天の日を仰ぐ全ての生きとし生けるもののなかで、その大恩を蒙らぬものはない。だから「人間は勿論、鳥獣草木に至るまで、みな此の君をうやまひ尊び、各(おのおの)品物の才能を尽くして御用に立て、二心なく奉公し奉る」べきである。
だた、この御恩と奉公の関係は、封建的な主君と家来のそれとは異なり、神代の祖先から子々孫々に至るまで永遠に続くものであり、我々は親から頂いたこの命さえ、そもそもはといえば、共通の始祖たる天照大神の賜物なのであるから、君臣の大義の為には親をも滅し、誠忠を尽くさねばならない。特にそのことは、日頃より天子の御側近くに侍る堂上方、公家衆において然りである。
しかし、だからといってそれは君主に対してひたすら媚び諂へばよいというものでもなく、臣下として言動こそ慎むべきではあるが、むしろ「天地万民の為めに君を正しき道にいざなひ奉り、御前に進みては、道ある人を進め、善をのべ、邪なる人は勿論、はなしをもふせぎ、只善き道に導き奉り、共に天神地祇の冥助を永く蒙り給はんことをねがひ給ふ」というのが真のあるべき姿である。
しかし、こうして君を輔導しようとすれば、時には、意見が容れられず、また讒言に遭うなどして、疎まれ虐げられることもあるだろう。すると、臣下の胸中にはそれまでの御恩を忘れ、君を怨む心が兆し、そうした心が積もり積もって延いては謀反の禍乱を来たすとも限らない。だから、そんなときこそ臣下である我々は、天照大神の御恩を思い起こし、その天孫神裔たる天子に対し奉る誠忠の念を新たにすべきなのである。
式部はかく述べた上で、楠正成公の「君を怨むる心起らば、天照大神の御名を唱ふべし」という言葉を引用するのであるが、この楠公の言葉こそ、若林強斎が創始した望楠軒の名の由来に他ならないことは既に述べた。さらに、この『奉公心得書』の基調を成すエートスは、山崎闇斎が我が国における臣道の極致を示すものとして表彰し、弟子の浅見絅斎からその弟子の若林強斎へと受け継がれた韓愈の『拘幽操』の精神と完全に符号することに照らせば、前述したように、式部が望楠軒の学統に影響を受けたのみならず、むしろその正統を継ぐ人物であることは論を俟たないのである。
なお、『奉公心得書』及び、上述した韓愈の『拘幽操』、並びにその浅見絅斎による講義である『拘幽操師説』(若林強斎筆録)は、当会(崎門学研究会)のサイト(www.kimonngaku.com)に掲載してあるので、ご参照下されたい。