先日、『保建大記』の著者である栗山潜峰先生の墓所がある駒込の龍光寺(臨済宗東福寺派)を訪ねた。境内で質素に佇む先生の墓石の左隣には、『大記』の序文を撰した三宅観瀾の墓石、そして右隣には鵜飼金平こと鵜飼錬斎の墓石が並んでいた。錬斎は山崎闇斎門下で、潜峰を八条宮尚仁親王に、そして親王薨去の後は、水戸光圀に紹介した人物である。
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