小生が厚顔無恥を承知の上で主宰している崎門学研究会の機関紙として『崎門学報』を発刊することに相成った。以下に学報冒頭の発刊趣旨を掲げる。
いまなぜ崎門学なのか
崎門学は江戸時代中期の儒者、山崎闇斎が始めた学問です。その特徴は飽くまで皇室中心主義の立場から朱子学的な大義名分論によって「君臣の分」と「内外の別」を厳格に正す点にありました。君臣の分は、天皇が主君で国民は臣下であるという序列、内外の別は内国と外国の思想や人種の区別を明確にするということです。それは必然的に、内においては徳川の専政、外においては外敵の来寇という内憂外患を乗り越えるための尊皇攘夷思想に行き着き、明治維新の思想的端緒にもなりました。なかでも闇斎の高弟である浅見絅斎などは「終身足関東の地を踏まず」として御所のまします京都で尊王斥覇の教えを説き、その弟子である若林強斎もまた御所の近くに「望楠軒」という私塾を構えて弟子たちに尊王思想を鼓吹したのでした。幕末志士の重鎮である梅田雲浜などはこの望楠軒の出身であり、また望楠学派ではありませんが、越前の橋本左内や長州の吉田松陰、薩摩の有馬新七なども崎門の学統に連なります。望楠学派を始め、崎門学は主として在野において育まれ、だからこそ時の権力への阿諛追従を一切許さぬ厳格な行動倫理を保ちえたのですが、一方で、三宅観瀾や鵜飼錬斎、栗山潜鋒といった闇斎門下が水戸光圀の求めに応じて『大日本史』の編纂に参画したことによって、その思想は幕末の水戸学、つまりは徳川体制の内側にも深甚な影響を与えました。
では、以上のような性格を有する崎門学を現代の日本に生きる我々が学ぶ意義はどこにあるのでしょうか。
そもそも天孫邇邇芸命が天照大神のご神勅によって地上の世界である葦原中国に降臨し、そのご子孫である神武天皇が我が国を建国されて以来、我が国は万世一系の天皇が君臨し、国民と父子同然の君臣関係を育んで来ました。無論、その過程では、蘇我氏や藤原氏、源平以降の六百年以上に渡る武家政権など、時の権力が天皇と国民との間に介在し、国家の衰乱を来たすこともありましたが、そのたびに、志士仁人が尊王思想を鼓吹して王事に奔走し、その努力は終に明治維新の大業となって実を結んだのでした。ところが先の敗戦以来、我が国は、アメリカによって国民主権や武装放棄を謳う憲法を押し付けられ、その結果、天皇と国民の間における君臣の名分は捨て置かれて来ました。また軍事的自立の喪失は、小国特有の事大主義を惹起し、我が国政府は外交的のみならず思想的な対米従属に陥っております。というのも、日米間の安保条約と地位協定によって、いまも全国に治外法権を有する五万人近い米兵が蟠踞し、畏くも皇居上空の制空権は横田に指令基地を置く米軍に掌握されております。こうした軍事的プレゼンスを背景に、アメリカは我が国に政治的自由主義としてのデモクラシーのみならず、近年では経済的自由主義としての市場主義を扶植し、国内の買弁勢力と結託して我が国における国民財産、民族資本の剽窃を企んでいるのです。
目下の安倍政権は、シナや朝鮮に対する旧来の軟弱外交を改め、我が国の領土主権の護持を唱えておりますが、主権は既に朝廷の元を離れ、中朝を防圧するために「日米同盟」を強化すればするほど、かえって一層の対米従属を招き、それによる国威の失墜が中朝の我が国に対する侮りと侵略を助長するというパラドックスに陥っております。また安倍政権は、米製の市場主義イデオロギーに加担し、TPPへの参加や移民の受け入れを含む労働規制の緩和などの自由化路線を推し進めておりますが、これは市場における我が国の政策的自律性を損ない、ひいては国家主権の国際資本への従属を帰結するものです。かくして我が国は、今も占領遺制に呪縛せられ、君臣内外の分別を閉却した結果、緩慢なる国家衰退の一途を辿っているのであります。
そこで小生は、この国家の衰運を挽回する思想的糸口を上述した君臣内外の分別を高唱する崎門学に求め、兄と慕う月刊日本の坪内隆彦氏と共に闇斎の高弟である浅見絅斎の『靖献遺言』を読了し、更にはその感動の昂揚を禁ずること能わず、今日における崎門正統の近藤啓吾先生に師事してその薫陶を得たのでありました。最近では同じく崎門学の重要文献である栗林潜鋒の『保建大記』を有志と輪読しております。
これまでそれらの研究成果は各種団体の業界紙や崎門学研究会のサイトで発表いたして参りしたが、この度、それに加えて会報を発行し、同志の方々の御高覧を賜りたく存じ上げます。つきましては。甚だ迷惑とは存じますが、何卒以上の趣旨を御諒察頂き、当会の活動にご指導とご鞭撻を賜ります様、関係各位には謹んで宜しくお願い申し上げます。
崎門学研究会代表 折本龍則
(崎門学研究会)