『靖献遺言』を読む3諸葛亮

 諸葛孔明といえば、三国志でお馴染みだが、彼の真面目は詭計を事とする軍師としてのそれにあるのではなく、興漢討賊の大義に殉じた蜀の忠臣としてのそれにある。諸葛亮、字(あざな)は孔明は、後漢が衰微し天下が分裂する中、世俗を厭い、山中に謹慎して晴耕雨読の日を送っていた。そんな折、漢室の正統な血を引く劉備玄徳が三顧の礼をもって孔明を訪い、興漢討賊の志を陳べたところ、孔明はその至誠に感動して出蘆した。

ときあたかも奸臣曹操は、献帝の命を竊(ぬす)み、曹操の子曹丕に至っては、献帝を廃して自ら魏の皇帝を僭称した。かくして高祖劉邦より四百余年続いた漢は滅んだのであるが、献帝には後嗣がなかったため、劉備は漢中王として献帝の喪主を自任、蜀の帝位に就いて(昭烈皇帝)孔明を丞相(首相)に任じた。

後、劉備は蜀の後事を孔明に一任して崩じた。孔明はその遺嘱によって南中を平定して後顧の憂いを絶ち、しかして魏を討つために北征の途に就いた。その際、幼帝劉禅に諭告して献上したのが「出師表」であり、馬稷の違命によって魏に大敗を喫した後、再度の北征に赴いた際に献上したのが「後出師表」である。

結局孔明は志半ばにして斃れたが、彼の政治は公明正大、信賞必罰に徹し、天地の間に三綱の道義を闡明すること、「日月とその光明を同じくして可なり」というべきものがあった。 

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