管仲論他
次に春水は、斉の管仲がもともと桓公の弟である公子糾に仕えながら、糾が殺されると、今度はかつての主君を殺した桓公に仕えた無節操を非難したのに対して、強斎先生はこれに賛意を表しつつも、あのとき斉の隣には、いまだ中国の俗に化さない大国の楚が周室をも窺っており、もしこの時に管仲が桓公を助けて楚を討たなければ中国は夷狄の風俗に堕していたであろうと述べています。またこれと関連して、春水は、唐の初代皇帝である太祖李淵に仕えた王珪と魏徴が、太子つまりは皇太子である建成の側近を仰せつけられながら、建成を殺し二代皇帝に即位した弟の太宗に鞍替えしたのは、太祖の命によるものであるから不義不忠ではではなく、朱子がこれに反論したのは不見識だという意見があるがどうかと問うたのに対して、強斎先生は「それは沙汰の限りの説なり」として一蹴し、ひとたび建成が太子に立った以上は、たとい兄弟といえども、将来の天子である建成は君、太宗は臣というのが紛れもない大義名分なのであって、建成を弑した人は誰であろうと主君の敵、いわんやその側近を命じられながら、おめおめと太宗に仕えた王珪と魏徴を擁護する意見は功利に目が眩んだ俗論に過ぎないと述べています。
神明来格の説
続いて春水は鬼神来格の説について質問します。これは自然や人間の魂や肉体の造化なり生成のサイクルについて述べたもので、来格は、これは小生の推測ですが、神明、すなわち祖宗の霊魂が、現象界の依り代に降臨し憑依することであろうと思います。その依り代が神主であり、ここでは宮司を意味する神主とは全く異なる意味で使われています。そこで我々はこの神主を立て、誠敬を尽くして祀ることにより、神主を通して祖宗の霊としての神明は自らの肉体に憑依して永遠の生命を得ることができます。しかしながら、仏教的な輪廻転生観に立つと、我々の魂や肉体は、祖宗とは無関係に生成流転することになり、そもそも神主を立て神明を祀ることが無意味になってしまう。春水はこのことを強斎先生に問うたのでした。これに対して先生は、そこらに生えた木一本とっても、葉は枝に根ざし、枝は幹に根ざし、幹は根に根ざす。さらに根は種に根ざし、種はまた親木に根ざすという様に、たとえその親木が朽ち果て、気が遊散しても、その木の理は実在し、理あるところまた気が生成して木という生命を永遠に繋いでいく。このように自然界の森羅万象は理気貫通しており、それは人間についても同じことが言えます。強斎先生の言葉を引用します。「我が身は父母に根ざし、父母また天から降ったものにてもこれ無く候えば、また其の父母に根差し、生々するなりに源を推せば、皆由って来ることない人はこれ無く候。然らば祖考既に死すといえども、その理気一貫した子孫にて候えば、其の由って来る本源の祖考を封植せでは叶わぬことにて候。・・・況や人として祖先の神明を祭祀せずしてすもう様これ無く候。」あるいは前述した通りですが、こうも言っています。「人の血気は限りあるものにて、死すれば魄は土に帰し、魂は気とともに遊散して、これがのこってあるの何のと云うことのないは知れたこと。さてその祖先の血気と我が血気と二物でなく、我が血気のよって来たるは、一糸髪も先祖の血気中より生まれ出ださぬ物はないゆえに、とんと一貫一枚にて先祖の神明即自己之神明にて候。」この「先祖の神明即自己之神明」というのが極めて重要なことであろうと思います。しかるに仏教は、輪廻を説くから神明来格など信じていないのに位牌を立て、死者の知りもせぬ戒名を彫り付け、膠や漆で塗り固めたり、華美な装飾を施したりするのは、全く理に合わないことだと先生は述べています。またその上で、「人々の分限相応に、我が心頭の安んずる処が即ち礼の節分、神明の受ける処にて候えば、別に祠室を立てる勢いがなければせいでもよし、珍膳で祭ることがならねばそれもなくてもよい」と述べ、形式よりも誠敬の内実が重要であると述べています。朱子が『論語集注』で「礼は必ず忠信を以て質と為す」と言っているのもこのことでありましょう。