新東亜論―米国の普遍主義を排す(2009)7

7.ナショナリズムを中心とした世界は人間の現実であると同時に理想でもあります。

私たちは、全ての国際関係を支配する過酷な現実を厳粛に受け止めねばなりません。それは、全ての国が平等に満足するような国際社会の共通利益など、絶対に存在しないということです。世界国家を自任するアメリカも、所詮は一己の利益を貪欲に追求する国家であることに変わりありません。したがって、彼らが推進する「グローバリゼーション」も、その実体は、アメリカによる世界征服を目的とした「アメリカナイゼーション」に過ぎないのです。こうしてみれば、リベラル・デモクラシーの浸潤によって、陰湿な侵略の脅威に晒されたイスラム世界が、テロリズムの是非は別としても、激しい抵抗の誘惑に駆られるのは、至極必然的な成り行きであると思います。イスラム世界で巻き起こった激しい反米闘争の火の手は、終にはパックス・アメリカーナの楽園に燃え移り、根本的な世界秩序再編の気運が醸成されつつあります。

さらに近年、世界を狂乱に陥れた金融資本主義の破綻は、こうした趨勢に拍車をかけるでしょう。私がそう考えるのには二つの理由があります。第一に、景気後退によって失業が増加すると、政府は財政出動や金融緩和を通じて需要を喚起しようとします。しかしそうした政策は、財政収支や経常収支の悪化を通じて自国通貨の切り下げ圧力を高めてしまうため、政府は「国内政策の自律性と国際通貨の安定性」という宿年のジレンマに悩まされます。そこでこのジレンマを回避しようとすれば、政府は金融や貿易に関する自由市場へのコミットメントを放棄して、経済ナショナリスティックな政策に舵を切らざるをえません。それまで成立していた「安価な政府」への国際的合意が破綻して、世界経済が有力な国家を単位とした幾つかの経済圏に分断されてしまうわけです。これはドルを中心とした、開かれた世界経済を志向するアメリカにとっての挫折を意味します。

第二に、これからアメリカの経済が回復するかどうかは正直よく分かりませんが、どうなるにせよ、世界はもはやアメリカのリーダーシップを望んではいないのではないでしょうか。つまり、アメリカ文明の行き着いた巨大な金融資本主義に対して、世界は幻滅と違和感を抱いているように思えるのです。経済は人間のためにあるのであって、経済のために人間があるのではない。愛する家族や故郷共同体、母なる祖国の繁栄が目的であって、市場経済はあくまでその手段、道具であるはずです。しかし金融資本主義は、経済と人間の秩序を顛倒してしまった。利潤のためなら何でもありというような、そういう不道徳で節操のない、非人間的な社会を生み出してしまったのです。今後アメリカ経済が回復するためには、信用収縮を起こした金融市場に再びカネを垂れ流してバブルを作る他ありません。しかしそれは、資本による道徳破壊と共同体の解体という高価な代償を伴うものであり、したがって世界各地の根強い文化的抵抗に遭遇すること必定でありましょう。このように、時勢の赴くところ、世界帝国と化したアメリカが没落して普通の主権国家に回帰していくのは必然でありましょうし、またそうあるべきであると世界は希望していると私は思います。

 

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